ちゃんと伝わってるよ





「やっちゃった……」


今日はバレンタインデー。言わずと知れた、女の子から行動できる日。渡したい相手がいる場合は、何日も、或いはそのもっと前からいろいろな準備や計画を立てる。わたしの場合は年が明けたときには既に悩み始めていた。なにを作ろうか、ラッピングはどうしようか、どこで、どのタイミングで渡そうか。何度もシミュレーションして、何度もチョコを試作して、あれこれ試行錯誤を重ねて、満足いくものを追求してきた。そして昨日、ようやく胸を張って渡せるものができた。当日に間に合ってくれてよかった、と心底ほっとした。その当日に、わたしは先程の言葉通り、やらかしてしまった。

相当浮かれ気分だったのか、なんにもないところでつまずいて転びそうになった。それだけならまだよかったかもしれない。まずい、と本能的に思ったのだろう。咄嗟に荷物を庇おうとして鞄を抱えたのが間違いだった。思いのほか強く抱えてしまって、気付いたときには鞄がぺしゃんこ。鞄には、紅郎さんに渡そうと持ってきていたチョコが入っていたのに。だから無意識に庇ったんだろうけど。

恐る恐る確認したら、この為に準備した可愛い箱が半分以上潰れていた。中身は怖くて確認できていないけれど、この状態では確認しなくても察しがつく。恐らく跡形もないのだろう。こんな状態で渡せるはずもなく、これからどうしようかと、誰もいない教室でひとり途方に暮れている。

しかしそうしていられるのも時間の問題、ポケットに突っ込んだ携帯が震える。着信相手はもちろん紅郎さん。どうしようかと思ったけれど、出ないという選択肢はなくて。覚悟して、ゆっくり携帯を手に取って、応答を押した。


「もっ、もしもし!」

「あかり。悪い、今終わった」

「う、ううん!今日もお疲れさま」

「ありがとよ。あかり、今どこだ?」

「えっ、な、なんで?」

「なんで、って…一緒に帰りたいって言ったのお前だろ」

「あ、う、うん!そうだったね!えーっと……ごめん!急用できちゃって、まだ仕事残ってて…もうちょっと帰れそうにないの」

「そうか。ゆっくり済ませてこい。待っててやるから」

「あ、あのね…それが、全然終わる目処が立ってなくて。だから今日は先に帰っていいよ」

「……ったく。嬢ちゃんは嘘が下手だな」

「ぴゃあああっ!!」


電話口から聞こえていた紅郎さんの声が、突然背後から聞こえた。振り返ると、ドアの向こうに紅郎さんの姿があった。幻覚かと思って手をつねってみたけれど痛かった。幻覚じゃ、ない。


「くっ、紅郎さん!なんで…」

「教室まで迎えに行こうと思ったら、ここからあかりの声が聞こえた気がしてよ。一応開けてみたところだ」

「にしてもノックくらいしてほしかったよ…心臓止まるかと思った…」

「心臓止まりそうだったのは俺だっての」

「え、どうして…」

「約束ドタキャンされんの、はじめてだ。今まではどんなに遅くなっても絶対待ってただろ。しかもあんなバレバレな嘘つきやがって……絶対なにかあったとしか考えられねえだろ」


うまく言葉を返せないわたしに対して、紅郎さんは一切責め立てることはしない。それどころか「ま、無事でよかったけどよ」という一言までくれて…本当にこのひとは、どこまで優しいんだろう。


「……で、だ。なんで嘘ついた?」

「えっ」

「訳ありなのは察しがつくけどよ。どうした」

「え、えっと…」

「…俺には言えないことなのか」

「そういうわけじゃ…」

「俺、そんなに信用ねえか?」

「そんなんじゃない!…これは、わたしの問題なの」


信用してないわけがない。それでも言えない理由は、言うことによって再認識するからだ。自分がドジ踏んで自ら今日という日を台無しにしたことを。紅郎さんに気持ちを伝えるチャンスをパーにしたことを。再認識すれば、落ち込む。落ち込めば、また考える。負の無限ループだ。


「…無理に言わなくてもいいけどよ。そのまま黙ってても、あかりは辛くないのか」

「…辛くない、っていうのは嘘になる。でも…言うのも辛い」

「そうか。なら言わなくてもいい。俺もこれ以上は問い質さねえ。その代わり、一緒に帰らないっていう選択肢は無しな」


断られたの、結構堪えたんだぞ。そう呟いた紅郎さんは淋しそうに笑ってわたしの頭を撫でた。わたしだって、本当は一緒に帰りたかった。帰り道で、いつもありがとうって、大好きですって言いながらチョコを渡したかった。自業自得だが、すべて台無し。でも…だからって、紅郎さんにこんな顔させていい理由にならない。いいはずがない。

……やっぱり、事情だけでも話そう。隠し事してこんな顔させるくらいなら、わたしが凹んだほうがずっとましだ。それに紅郎さんなら、きちんと話せばわかってくれる。それくらいで怒るようなひとじゃないことは、わたしがいちばん知っている。


「……あのね」

「どうした?」

「今日、バレンタインじゃん」

「ああ。そうだな」

「それで……用意、してたんだ。紅郎さんには、絶対渡したいって思ったから」

「そうか。ありがとうな」

「で、でもっ」


遮ったのはいいけれど、言葉に詰まる。やっぱり、言うのは辛い。でも、話すって決めたでしょ。紅郎さんの、あんな顔を見る以上に辛いことなんてないでしょ。そう言い聞かせて、なんとか言葉を繋いでいく。


「…ごめんなさい。だめにしちゃった」

「どう、だめにしちまったんだ」

「転びそうになって、咄嗟に鞄ごと抱えて…」


みなまで言わなくても察してくれたのか。紅郎さんは一言だけ「そうか」とつぶやいた。余計なことは一切言わないで、それだけ。それがいちばんの優しさだって、よくわかる。


「怪我、してねえか」

「えっ、……う、うん。わたしは、全然」

「今のは、嘘じゃねえな。…なら、いい」


いたわってくれるような優しい言い方に、どうにかして黙ってやりすごそうとした自分の卑怯さを憎んだ。どうして最初から、ちゃんと言おうとできなかったのだろう。そうすれば、一瞬でもあんな顔させなくて済んだはずだった。


「今日帰ったら、すぐ作り直してくるから。一日だけ待っててくれる?」

「それは構わねえが……今の話のチョコ、まだ持ってるよな」

「う、うん。後で処理するつもりで」

「それ、今くれねえか」

「……は?」


自分でも驚くレベルで間抜けな声が出た。だって紅郎さん、とんでもないこと言い出すから。だめにしたって言ったばっかりだよね。まさかもう忘れた…なんてことは、ないよね?


「紅郎さん、わたしの話聞いてた?」

「一言一句聞いてたよ」

「だよね。だから一日待って…」

「あかり」


いつもより一段と、優しい声。こんな声で呼ばれれば、なにも言えなくなる。まるで魔法にでもかかったみたいに。どんな声でわたしの名前を呼んでいるのか、紅郎さんはわかっているのだろうか。


「それがいい。今、ほしい」


わたしの鞄を指差して「だめか?」と尋ねてきた紅郎さん。ずるい。そんな頼み方されたら…断れるわけないじゃん。これが惚れた弱みってやつだよなあ、降参だ。情けなく震える手で差し出したけど、紅郎さんは「ありがとな」と言ってしっかり受け取ってくれた。


「なんだ。ちょっと角が潰れてるだけじゃねえか」

「いやいや!どこが『ちょっと』なの!半分潰れてるよ!」

「全然だろ。それに見てみろ、中身もちょっと片寄ってるだけだ」

「……ああもうっ!本当は完璧な状態で渡すはずだったのに…!」


綺麗なラッピングとよくできたガトーショコラ、とどめに「大好きです!」って渡して、惚れ直してもらう算段だったのに。何度も言うが自業自得なのは充分わかっている。それでも、やるせない気持ちだけは、どうすればいいのかわからない。


「…けどよ、こんなことにならなかったら言わなかったろ、それ」

「それは、そうだね」

「だよな。今回こうなったからこそ、あかりがどんな気持ちで作ってくれたのか聞けた。逆に俺は嬉しいよ」

「え…っ」

「俺の為にここまでがんばってくれたんだろ。…惚れ直した」


耳を疑った。だってそれは紛れもなく、今日いちばん聞きたかった言葉だった。わたしの計画ではこんな形で聞くことになるつもりなどなかった。けれど、こういう状況でも、わたしの努力は、気持ちは、確かに伝わったんだって……そう、思ってもいいのかな。


「本当にありがとな」

「…どういたしまして」


紅郎さんは大層嬉しそうに言ってくれるから、きっと全部伝わったんだなって、勝手に思ってしまう。そう思わせるあなたが悪いんだけど。あーあ、なにをやっても敵わないなあ。もう、わたしの方が、惚れ直しちゃったじゃん。



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