すべてを溶かす熱量




ショコラフェスの準備が始まってから、俺はひとつだけ、でもどうしても気がかりなことがある。俺は、今年のバレンタインデーに、歌歩ちゃんからチョコをもらえるのか。起きているあいだ、ずっとこのことが頭から離れない。寧ろ考え始めてからは寝付きがすこぶるよろしくない。別に特段チョコを食べたいわけではない。ただ、歌歩ちゃんの本命として、特別扱いしてもらえるのか。この一点だけだが、どうしても譲れないところ。

この話をするとみんな呆れ気味に「どう考えても本命確定でしょ」「校内一のリア充のくせに」「嫌味?」などと言われ、とかく本気にしてもらえない。こっちは真剣そのものだというのに。大将にまで「取り越し苦労だろ」と言われたときは、ちょっとショックだった。俺だって取り越し苦労であってほしい。でもそんなに楽観視できるわけもない。だって一度も、歌歩ちゃんからバレンタインデーの話をされたことがない。話に挙がるのはショコラフェスのこと、イコール仕事のこと。もしかしたらバレンタインがどういう日かということを忘れてるのかもしれないと疑いたくなるレベル。

そして今日は、そのバレンタインデー当日。未だに歌歩ちゃんからのアクションは、ない。このまま、なにも起こらずに一日が終わるのかな…………なんか、心なしか胃が痛い。もしかして、楽しみにしてたのは俺だけなのかな。だとしたらショックすぎる。いや、歌歩ちゃんだって準備に忙しかったんだ。今だって仕事が延びちゃって、大変なんだろうし。強要はよくない。………でも…待ち遠しく思っていたのは、本当だ。だからこんなに気にしてるわけだし。


「……ん?」


ポケットに突っ込んである携帯が震えた。短い通知ということは、メッセージだ。送り主を確認した瞬間、携帯を落としそうになった。歌歩ちゃんだった。「ガーデンテラスに来てくれる?」と、一言だけ。仕事じゃないのかと思ったが、そんなことはどうでもいい。さっきまで諦めかけていたというのに。呼び出された場所が場所だ、どうしても期待してしまう。廊下は走らないとか、見つかったらお説教確定とか、そんなこと言ってる場合じゃない。

ガーデンテラスに到着すると、誰も居ない空間に、ぽつん、と歌歩ちゃんの姿。……この状況で期待するなっていうのが無理だろ。


「歌歩ちゃん!」

「わ、鉄虎くん!早かったね!」

「ま、まあ…他でもない歌歩ちゃんからの呼び出しなんで」

「そっか。ありがと」


歌歩ちゃんは相変わらず、いつもみたいに嬉しそうに笑ってくれる。でも…気のせいか、いつもより、顔が少し赤いというか、なんというか。……それに若干、甘い匂いがするような気が……期待しているせいで嗅覚おかしくなったか?


「なんの用か、うすうす感づいているとは思うけど…鉄虎くんに、渡したいものがあります」

「は、はいっ」

「えっと…受け取ってくれたら、嬉しいです」


歌歩ちゃんがテーブルに置いたのは、チョコのケーキが乗ったお皿と、小さくて可愛らしい柄の紙袋。…ケーキが別にあるってことは、あの紙袋の中身は……もしかして、チョコ以外に、なにかプレゼントとか…?


「いつも、ありがとうね。こんなわたしと、一緒に居てくれて。なんの取り柄もないわたしを、好きになってくれて」


とどめに、この一言。今までの不安はなんだったんだと自分に言いたいくらい、期待通り…いや、期待以上の展開。歌歩ちゃんは、きちんと用意してくれていた。ここまで周到に、入念に準備してくれていた。俺の為に、ここまでしてくれた。それをこうして実感できて、安堵の気持ちが、どっと押し寄せてきた。


「……よかったあぁぁぁ〜…っ!」

「え、なに!」

「ずっと、もらえるか不安だったんスよ…」

「なんで!」

「だって歌歩ちゃん、なんにも話してくれないっスから。もしかしたら忘れてんじゃないかって…」

「それは…ほんとに、ごめんね。…実は勝手がわからなくて悩んでたの。本命なんて、はじめてなんだし。失敗、したくなかったから」

「…はじめて?」

「当たり前!」


今後も、歌歩ちゃんの本命でいられるのは俺だけであってほしい。そんな浮わついた気持ちを引き込むように、甘い匂いが鼻を掠めた。まるで目の前のチョコケーキが「主役を無視するな」と訴えかけてきているようだ。そりゃそうだ、歌歩ちゃんの手作りなんだ、これ以上放っておいたら失礼すぎるよな。


「それで……これ、いただいても、いいっスか?」

「あ、うん。その為に呼んだから、あったかいうちに食べてくれたら嬉しい」

「あったかいうち…?」

「うん。もしかしたら熱いかもしれないから、気を付けてね」


言葉のニュアンス的に、どうやらこのチョコケーキは焼き立てらしい。いい匂いしてた理由がわかった。デコレーションもこんなに綺麗にしてくれてて食べちゃうのが勿体ない気もするけれど、歌歩ちゃんがせっかくがんばってくれたんだ。冷めないうちに食べよう。スプーンをさくっと入れると、中から液状のチョコが出てきた。これ、テレビとかで見たことあるやつだ!


「俺これ知ってるっス!フォンダンショコラってやつっスよね!こんなん作れるもんなんスか!?」

「一応は、ね。……結構練習したんだよ」

「……もしかして、俺の為だったり…?」

「…それ以外にあると思う?」


思わず首を横に振る。歌歩ちゃんが、俺の為だけにがんばってくれた。一生懸命、考えてくれていた。こんなに嬉しいことはない。浮わつく気持ちのまま、スプーンを口に運ぶ。想像していたよりもずっと美味しいと、素直に思えた。


「めっちゃ美味い…!」

「ほ、ほんと…?」

「ちゃんと甘いんだけど、甘すぎないこの絶妙さが最高っス!あと五個くらい、ぺろっといけそうっスね」

「それはさすがに食べ過ぎじゃ…」


歌歩ちゃんは苦笑いしたけれど、俺は至って本気だ。甘いものが特段好きってわけではないけど、他でもない歌歩ちゃんが、他でもない俺の為に作ってくれたものなら、どれだけでも食べられる自信がある。そもそも歌歩ちゃんが作ってくれたものは全部美味しいから。冗談じゃなく、幾らでも食べられる。


「一応、あと少し余ってるんだけど。よかったら持って帰る?」

「幾つ余ってるんスか?」

「確か、みっつだったかな」

「じゃあ、ひとつは今ください。で、ふたつは持ち帰りたいっス」

「わかった。包んでくるから少し待ってて」

「簡単にでいいっスよ。全部今日中にいただくんで。…それと、こっち開けてみていいっスか?」

「もちろん。鉄虎くんのものだから、遠慮しないで」


そのあいだに残りのフォンダンショコラを用意してくると、歌歩ちゃんは一度席を離れた。本人がいないところで開けていいものか、と一瞬躊躇ったが、歌歩ちゃんがああ言ったなら遠慮するのは良くないのかも。

お洒落な紙袋に入っていたのは、これまたお洒落な箱。包装を解くと、中身はマフラータオルのセットだった。嬉しいけれど、驚いた。使っていたタオルが幾つか古くなってきてて、ちょうど新しいものが欲しいと思っていたから。更に驚いたことに、びっくりするくらいに好みのデザイン。黒を基調としていて、俺のこと考えて選んでくれたんだなってわかってしまう。

汚さないようにしまっておこうと、紙袋を覗いて気が付いた。底の方に、まだなにかがある。そっと拾い上げると、可愛い封筒に、歌歩ちゃんの字で『鉄虎くんへ』と書かれていた。……これ、どう見ても、お手紙だよな。手作りのチョコと、プレゼント、それにお手紙まで…どれだけ尽くしてくれるんだろう。…見てみたい。今すぐ読んでみたい衝動に駈られる。しかし我慢。歌歩ちゃんが戻ってくるかもしれないし、なにより今この場で読んで、俺自身が正気を保てる自信がなかった。家に帰って、ゆっくり読ませてもらおう。そういう結論に至って、タオルとお手紙を丁寧にしまう。そこでタイミングよく歌歩ちゃんが戻ってきた。

渡してくれたフォンダンショコラは簡単に、だけど丁寧にラップでくるんでくれていた。こういうところの小さな気遣いが嬉しい。もともと優しい歌歩ちゃんだけど、俺に対しては輪をかけて優しい。俺のことは特別扱いしてくれてると、すごく伝わってくる。


「あの、歌歩ちゃん」

「なあに?」

「…さっきの。あれ、俺の台詞っスよ」

「……ん?なにが?」


心当たりがないのか、本当にわからないといった顔している。ここにきて天性の鈍さを発揮。まあ…そんなことも含めて歌歩ちゃんは歌歩ちゃんで。俺は、そんな歌歩ちゃんが好き。好きすぎて、たまらない。


「俺だって、なんの取り柄もないし。今日だって、ひとりで突っ走って、歌歩ちゃんに迷惑かけてばかりで」

「そんなこと…」

「それでも……強いて言えば、歌歩ちゃんを好きな気持ちだけは誰にも負けるつもりないってことくらいっスかね」


言ってから気付いた。今のはちょっと、クサすぎたかもしれない。こういうところだよな、突っ走って、とんでもないこと言うのは。……引かれてたら、どうしよう。


「ふふ、わたしと一緒だ」


恐る恐る顔色を伺ったら、同じだね、と心底嬉しそうに笑ってくれてた。やっぱり歌歩ちゃんは、こんな悪癖だらけの俺には勿体ないひとだと思う。でも、だからこそ、俺のすべてを懸けて大切にすると誓う。歌歩ちゃんを好きな気持ちだけは、俺が唯一自信を持てるところだから。

お返しは一ヶ月後。三倍返しが相場と世間では言われているが、それだけで済ませるつもりはない。俺も精一杯、がんばるから。どうか楽しみにしていて。



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