パンドラの箱は実在した
拙者には最近、気になる御仁がいる。いや、決してそういう意味ではなくて。本当に純粋に、興味をもっているだけだ。
このあいだ転校してきた、ノエル殿という女の子。帰国子女でハーフとのことで顔立ちは確かにそれらしいが、両親とは普段から日本語でコミュニケーションを取っていたそうで、普通に流暢な日本語を話せるという、ちょっと、いや、かなり割と特殊なひと。
拙者とノエル殿の出逢いは、突然だった。ノエル殿が拙者の落とし物を拾ってくれたらしく、わざわざ届けてくれたことが、はじまりだった。あの日は珍しく普通に廊下を歩いていたところを、つんつん、といきなり背中をつつかれて、死ぬほど驚いて腰を抜かしたっけ。そうして廊下に座り込んでしまった拙者に、ばかにすることなく屈託のない笑顔で話しかけてくれたこと、今でも覚えている。
「ねえねえ。これ、きみのだよね?」
「え?……あっ」
「さっき落としたの見かけたんだ。はい、どうぞ」
そう言って、確かに拙者の私物であるゴム製の手裏剣を差し出してくれた。日本人らしくない顔立ちだけど、話し方はまんま日本人。噂に聞いていた通りだったけど、それでも衝撃的なことに代わりはなかった。見た目と事実のギャップが凄すぎて、受け取る為に伸ばした手が結構震えた。
「それ、知ってる。『手裏剣』っていうんだよね」
「ふえっ!?……あ、い、いかにもでござる」
「『忍者』って職業のひとが使う道具って聞いたよ。合ってる?」
「忍者!?……う、うむ!職業というか、なんというか…でも概ね合ってるでござるよ」
「よかった!それはそうと、凄いよね、忍者!」
「……え…?」
「だって、そうじゃん。魔法なんて使わなくても、身ひとつで壁登ったり、風のように走ったり、水潜ったり、戦ったり、いろいろできちゃうんでしょ?凄いよね。寧ろ、忍者が魔法使いみたいじゃん!」
そう言って笑ったノエル殿とは、今しがた逢ったばかりだというのに。忍者を知っていてくれたこと、興味を持ってくれたこと、リスペクトしてくれたことが嬉しくて。いつもの人見知りがこの日は仕事しなくて。それから暫くノエル殿を足止めして忍者のことを話し続けた。ノエル殿の予定を考えず、割と長い時間話していた。にもかかわらず、ノエル殿は最後まで拙者の話に興味を示してくれて、前のめりで聞いてくれた。
それからも、ノエル殿と話すのは緊張しなかった。忍者の話から、最近はなんでもない雑談まで楽しめるようになっている。ノエル殿には話しかけることが怖くない、寧ろ、話が尽きることがない。とても朗らかで、話しやすくて、拙者の話もしっかり聞いてくれて。なにより忍者にとても興味をもってくれた。何度も話をしていくうちに、今では「ノエル殿」「忍」と呼び合えるくらいにまで仲良くなれた。
ノエル殿は転校生というか帰国子女というか。確かに少々雰囲気は違っていた。しかしそれゆえに校内でも既に変わり者扱いされている拙者にも臆することなく接してくれた。はじめてだった。どうしようもなく、嬉しかった。もっと話がしたいとまで思う程には。
ノエル殿とはじめて逢った日に想いを馳せていると、ちょうど廊下で、よく知る後ろ姿を見かけた。あれは間違いなくノエル殿だ。どこかへ行く途中だろうか。用事、かな。……だとしたら、邪魔しちゃいけないとわかっている。だけど。それでも。ここで動かなかったら、もしかしたら今日はもう逢えないかもしれない。話ができなくなるかもしれない。それは避けたいと思い、急いで追いかけることにした。捕まらないよう走らず、でも追い付けるよう早歩きで。急いだ甲斐があったか、階段を降りているのをギリギリで確認できた。
「ノエル殿!」
「その声は忍だ!昨日ぶり!…なんか慌ててる?どうしたの?」
「少しお時間宜しいか?見せたいものが……っ!!」
「忍っ!!!」
嬉しさのあまり急いだせいで階段を踏み外した。まずい、落ちる。いや、それよりもこのままじゃ下にいるノエル殿に激突する。それだけは絶対に勘弁。拙者のことはいいから、避けて。ノエル殿はどうか、無事であって。自分が落ちるというのに、悠長にそんなことを考えて、これから来るであろう衝撃に備えて目を閉じた。
しかし、幾ら待てど暮らせど一向に痛みが来ない。いや、もしかしたら既に天に召されてるのか。痛みを感じずに天国に逝けたのなら、それはそれでよかったのかも………
「……忍、大丈夫?」
痛みも衝撃もなく、代わりに届いたのはノエル殿の声。ということは…拙者はまだ、生きているというのか。恐る恐る、目を開ける。目の前にはノエル殿の顔がある。…あれ、先程まで階段の下に居たのではなかったか。拙者の勘違いか…?とにかく、ノエル殿に怪我がないなら、とにかくよかった。安堵の溜め息とともに視線を少し下げた瞬間。ノエル殿の足元が視界に入って、言葉を失った。
「………え…っ」
「…えへへ。バレちゃったね」
なんと、ノエル殿の足が地面から浮いていた。見間違いかと思ったが、何度見ても、何度目を擦っても、自分の頬をつねっても、その光景が変わることはない。ここは現実じゃないのかと一瞬馬鹿げたことを考えたが、その割には意識もあるし、自分の足元に影もある。幽霊になった…というわけではなさそうだ。ということは、つまり……今目の前に起こっている出来事は、超非現実的な現実。
「今のでわかっちゃったと思うけど……わたし、忍たちとは違うんだ。もっと端的に言えば、人間じゃない」
にんげんじゃない。ノエル殿は息をするように平然と言ったが、それはパワーワード以外のなにものでもない。だって、人間じゃないって。にんげんじゃ、ないって。
「忍には、ちゃんと言うよ。わたし、ここと違う世界の住人。…こっちの世界でいう、『魔法使い』ってやつ」
「まほう、つかい…?」
「そ。……あ、この世界に来た理由は特にないんだ。世界征服とか、漫画によくあるようなことは考えてないから安心して」
「う、うむ……?」
「うん。物騒なのは、うちの世界だけで充分。…でも、できれば今のことは、わたしと忍だけの秘密にしてほしい」
「………えっ」
「…あ、予鈴だ。じゃあ、そういうことで。よろしくね!」
「え、あ、ちょ、ノエル殿!」
言うだけ言って、ノエル殿はさっさと行ってしまい、ひとりぽつんと取り残される拙者。いろいろ言いたいことや聞きたいことがあったのに。言うだけ言って、いなくなってしまった。ていうか、どういうこと。人間じゃないって。にんげんじゃないって。しかも、魔法使いって。実在するんだ。……いや、異世界から来てるから実在と言えるのか。いやいや、そんなことより。
「…どういうこと……?」
突然投下されたメガトン級の爆弾と秘密。今の出来事をこの短時間で脳内処理して、そのうえで受け止めるなんて、できるわけない。そしてこれから、この秘密を拙者ひとりで抱えていけるのだろうか。……なんか、気のせいかな。おなか痛くなってきた。
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