この答えを、誰か教えて
「いらっしゃいませ」
お店に入った俺を迎えてくれたのは、芽衣さんの声じゃなかった。芽衣さんを捜してきょろきょろする俺に「空いているお席どうぞ」と明るく声をかけてくれた。このひとも、とても感じのいい店員さんだ。
なんとなく芽衣さんがいないときにカウンターに座るのは少し抵抗があったけど、そのうち来てくれるだろうと思うから素直に座ることにする。この前みたいにならないよう、芽衣さん今日は出勤日であることをあらかじめ確認しているし。
「ご注文はお決まりですか?」
「あ、いや、あの…」
「どうしました?」
「…今日、芽衣さん、いますか」
「芽衣?………………ああ!藤岡ですね」
「藤岡」と言われて今度は俺が一瞬戸惑った。本当に一瞬、誰?って思ってしまった。そういえば芽衣さんのことを名前で呼ぶようになって、思いのほか時間が経っていたのかもしれない。芽衣さんの名字が藤岡だってことを度忘れするくらいに。
「すみません。藤岡は只今休憩をいただいてます。あと10分くらいで戻ると思いますよ」
「それまで待っててもいいですか」
「もちろんです」
注文はそれからすると察してくれたのか、店員さんはお水だけ俺の前にそっと置いてくれた。なんか申し訳ない気もするけれど、芽衣さんにお願いしたいのが本当のところだから有難い。
「藤岡のお知り合いですか」
「え、あ、まあ、一応…」
「そうですか。…なんだか珍しいです」
「珍しい…?」
「はい。学生さんで藤岡のお客さんは。藤岡、特に大人の客層に人気いただいていますから」
学生が珍しいというより、大人に人気という言葉に衝撃を受けた。やっぱり芽衣さん優しいし親しみやすいから、サラリーマンとかが立ち寄ってお茶するんだろうな。思い返せば、スーツ姿でコーヒー飲んでるひとを、俺は何回も見たことがあった。
「ちなみに、ついた渾名はマダムキラー」
「……へ?」
「ついた、っていっても、つけた張本人なんですけどね」
マダムキラーという言葉に思わず拍子抜け。え、大人って…そっち?サラリーマンとか、ビジネスマンとか、そういうのじゃなくて…?
「藤岡、ご両親といろんなところ行ってるから、いろんな土地のこと知ってるんですよ。それで話が盛り上がって、リピーターが増えるというわけです。もちろん、藤岡のコーヒーとか紅茶が美味しいっていうのが前提条件ですが」
お話を聞いて、なんとなく理解した。確かにご両親とよく出掛けるって言ってたもんな。それには納得したけど…あとひとつ、引っ掛かる。
「芽衣さんのお客さんって、女性が多いんですか…?」
「うーん…そうですね。9:1くらいの割合で圧倒的に女性が多い気がします」
……9:1か…確かに圧倒的に女性のお客さんが多いんだろう。9割ってことだもんな。…じゃあ、残った1割は?具体的に、何人いるんだろう?……俺以外に、こんなに芽衣さんに良くしてもらっている男がいるの…?
「あ、藤岡戻ってきたかも。少々お待ちください」
考える間を与えないと言わんばかりのタイミングで、芽衣さんが戻ってきたらしい。遠くの方でなにやら話し声が聞こえる。かと思ったら足音が近付いてきて、奥から見えたのは今度こそ芽衣さんの姿だった。
「あら!いらっしゃい」
そう言って笑って迎えてくれた芽衣さん。いることはわかっていたけど、実際に顔を見られて、ほっとしている。…よかった。逢えた。そう、思っている。
「藤岡、悪いけどちょっと聞かせて。このイケメンお兄さんと、どういう関係なの」
「マブダチ。ね」
俺の顔を見ながらそう言った芽衣さんに頷く。誤魔化すことなく仲が良いことを認めてくれたことは嬉しい。…しかも、マブダチって…友達よりワンランク上って思っていいのかな…?
「翠くん水くさいなあ。来てたなら呼び出してくれればよかったのに」
「いえ、休憩中って聞いたんで…」
「休憩と翠くんだったら天秤にかけるまでもない。あの子にも言っておくから、次からは呼んで」
「でも…」
「いいの。わたしが楽しみにしてるんだから」
そう言われて嬉しくないわけがない。俺の存在が、芽衣さんにとって邪魔になってないってことだろうから。いつしかここが、俺にとっても落ち着く場所になってきている。だから、迷惑って思われてないようでよかった。
…さて。芽衣さん来たし、ココアを注文しようと芽衣さんの顔を見たら、エプロンのポケットから見覚えのあるボールペンが。
「…あっ」
「ふふ、気付いた?しっかり使わせてもらってるよ」
俺があげたバリィさんのボールペンを持ちながら「ありがとね」と言ってくれた。…そういえば芽衣さんもこの前言ってたっけ。「すぐ使ってくれて嬉しい」って。その気持ちが今、よくわかった。
「ちなみにコップは家で使ってるよ」
「ありがとうございます!全部俺の一押しなんで、気に入ってくれたなら嬉しいです」
「もうお気に入りもお気に入り。毎日お世話になってる。それでさ、聞いてよ翠くん。このペン使うときね、こうやって向き調節して、バリィさんと目が合うように自然に持っちゃうの」
「わかります!俺も無意識でその向き固定で持っちゃいます」
「ね。それと、なんか嫌なことあったときに心浄化するって言ってたよね。それの意味もわかってきた。確かにこうやってバリィさん見てると、多少のイライラはどうでもよくなる」
「そう!それがゆるキャラの魅力なんですよ!芽衣さんがどんどんバリィさんに目覚めてきてて、俺感激です!」
「今のところバリィさんだけなんだけどね」
「それだけでも充分です!今後もバリィさんの魅力を存分に伝えていきます!」
「うん。たくさん教えて」
好きなものを共有できるのは嬉しい。そして、それに理解を示してくれてもっと嬉しい。……ただ、不思議なことに、芽衣さん以外に、こんなことを思わない。他のひとには別に布教しようと思わない。話が合えばきっと楽しいんだろうけど、だからって自分から広めようと思わない。…面倒、だし。
最初は、絵が上手な店員さんだなって思った。俺が、芽衣さんが描いてくれた絵のファンになった。そのあと、ひょんなことから芽衣さんが俺たち流星隊のファンでいてくれたことを知った。それからいろいろな偶然が重なって、お友だちと言っても差し支えない距離感になった。気さくで優しいお姉さん。そう思っていた。そのはずなのに、なんだか違う気がする。そう思うことに、今は違和感を覚える。
……今、俺は、芽衣さんのことを、どう思っているのだろう。どうして、あんなに芽衣さんのことを気にするんだろう。あんなに芽衣さんの環境が気になるんだろう。芽衣さんが描いてくれたひこにゃんを見ながら、答えが出そうもない問いを頭の中で何度も繰り返した。
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