心がざわつくのは、きみのせい






今日は出勤が早かったぶん、早く帰れる。時間に余裕あるし、たまには、ちゃんとごはん作ろう。そう思って帰りに商店街に立ち寄った。……今更、翠くんに逢えたらいいなという下心を隠すつもりはない。

仲良くなってからも何度か翠くんのところに顔を出しているが、運が悪いのか翠くんはいつも居なかった。レッスンか部活が忙しいんだろう、毎回お手伝いしてるわけでもないんだろうと、頭ではわかっている。でも、やっぱり、居たらいいなって思いながら行くわけだから、居なかったら少なからず淋しくなってしまう。

今日は…今日こそは、居るだろうか。そんなことをまた思いながら、今日も懲りずにまた顔を出すことにしたのだ。いや、翠くんが居なくとも、ちゃんとお買い物してるよ。だから、大丈夫。セーフ。……なにがセーフなんだか。

期待は、していないと言えば嘘になる。お店について店内を伺うと、翠くんどころか、おうちのかたも見当たらない。…大丈夫、なのか?いろいろ。まあでも、こういう商店街は大丈夫なのかな。お向かいのお店から丸見えだもんな、ここで白昼堂々と万引きなんか出来ないか。

取り敢えず、どなたか来るまでゆっくり見させてもらおう。なに作るかも全く決まってないし、のんびり待っていよう。そう、思ったときだった。


「いらっしゃいませ………あれ、芽衣さんだ」

「ふぇっ!!?」


完全に気を抜いていたせいで、反射的にめちゃくちゃ変な声出た。しかし今の声はなんだ、気持ち悪い。仕事中だと、どんなに急に呼ばれても平気なのに。

ていうか、今のは絶対変に思われた。たぶん、笑われてるか、引かれてる。恐る恐る振り返ると、そんな予想を嘲笑うかのように、いつも通りの翠くんがいた。わたしもよく知ってる穏やかな顔で「こんにちは」とまで言ってくれた。……おおらか、だなあ。


「こんにちは。なんか、気持ち悪い声出したよね。ごめんね」

「いえ、全然。それより、お仕事は?」

「今日は早上がり」

「そうなんですね。お疲れさまです」

「翠くんも、学校のあとにお手伝いだよね。お疲れさま」


これが普段着なのだろうか、シャツとスラックス姿で店番してる。ああ、ちゃんとお手伝いしてる。なんて、当たり前かつ変なことを考えてしまった。


「八百屋さんしてる翠くん、久しぶりに見た」

「そっスか?結構いるつもりですけど」

「そうなの?たまに来ても居なかったから。入れ違いだったかな」


厳密に言えば、結構な頻度で来ていた。正直に言うと気持ち悪さ最大値だから、ここは黙っておこう。ただでさえ翠くん、うちにお客さんとして来てくれてるのにね。


「…これからは、来るとき、一言連絡ください」

「え、なんで?」

「なんで、って…芽衣さん、俺によく言うでしょ。遠慮しないで呼んでって」

「……ああ!あれね。だって、わたしはあそこが職場だから」


翠くんに限らずだけど、わたしはお客さまをお迎えするのが仕事。お得意様なら、呼ばれれば休憩中でも喜んで伺う。…まあ、そのとき休憩が残り30分以上あったとして、それでも返上しても構わないって思うのは、翠くんだけだと思う。


「…なんか不公平な気がするんスけど、それ」

「なんでよ」

「……ま、いいっスよ。それで今日は、どうします?」

「それがさ、迷ってるんだよね。夕飯どうしようか。翠くん、なに食べたい?」

「ええー…俺に聞かれても…」

「わたしもさ、なーんも浮かばなくて困ってるんだよ。ちょっと知恵貸して」

「そう言われましても…俺、いつも食べたいものとか、特にないし…」

「そっかー……じゃあ、お買い得のお野菜は?」

「お買い得というか…なんとなく売れてるのは、玉ねぎかなあ」

「ふむふむ、玉ねぎか……うん、よし!決まった!翠くんナイス!」


飴色玉ねぎをいっぱい入れてハヤシライスにしよう。この前はカレーだったけど、全然味違うからいいっしょ。作り方は酷似しているが。だって楽なんだもん。

そうと決まれば必要なものを買おう。玉ねぎとにんじんは必須。あとはサラダ作るのにレタスもお願いしよう。前回翠くんに頼んだときと比べて圧倒的に少ない気もするが、取り敢えず今日はこれくらいで大丈夫だろう。


「おいくら万円ですか」

「……なにそれ」

「…うそ、言わない?」

「言わないです」

「うそでしょ!」


これが世で言うジェネレーションギャップというやつなのか。いにしえからのギャグだと思っていたのに。時代の流れなのか、そもそも翠くんの周りでは言わないだけなのか。後者だと思いたい。切実に。

ショックを受けつつ、改めて翠くんから伝えられた代金をお支払する。お品物が入った袋を受け取って、なんとなく違和感を覚える。想像してたより、重い。気になって中身を確認してぶったまげた。そりゃ重いわけだよ。玉ねぎもにんじんも、わたしが申告した数より多く入っていた。


「み、翠くん!」

「はい」

「これ!数間違えてる!」

「間違えてないですよ」

「そんなことない!だってわたし…」


今日はそれぞれひとつずつしか頼んでないよ。そう言おうとしたのに、この続きは言葉にならなかった。翠くんが口元に人差し指を当てて、内緒のポーズをしてた。うわあ、ぐうの音も出ないレベルでイケメンだあ。


「芽衣さんだから、特別サービス。もらってください」

「でも…」

「大丈夫です。親もお得意さんには全然やってるんで。俺だけ怒られるってことは絶対ないですから」


本当は良くないことだってわかってる。前と違って個人的なものじゃない、商売なんだから。でも翠くんにああ言われては、わたしからはもう、なにも言えない。…とにかく今は、翠くんがおうちのひとから怒られないことを祈るしかない。


「それで…すみません。今は店、俺しかいなくて、送っていけなくて…」

「ううん、大丈夫だよ。車、近くに停めてあるから」

「なら、よかった。…………あの、芽衣さん」

「はあい」

「来月の予定って、もう決まってます?その…仕事、とか」

「来月?全然。そろそろシフトの希望は出す頃だけど…どうかした?」

「えっと、その……芽衣さんって、ライブ以外も興味あったりします…?」

「ライブ以外と言われましても…具体例がほしいな」

「来月、夢ノ咲で結構大きいイベントがあって…まあ、かいつまんでいうと、握手会なんですけど」


翠くんの話によると、来月の中頃に、夢ノ咲のアイドル合同で握手会をするらしい。まだどれくらいの規模になるか、どこのユニットがどれだけ出るか、そのあたりはまだ確定じゃないけど。それでも校内随一の強豪ユニットである流星隊は参加が決まっているとのこと。


「もう参加が決まってるなんて、さすが校内トップクラスのユニット!すごいね!」

「いや、別に……で、ここからが本題なんですけど」

「はいはい」

「…よかったら、来ません?」


翠くんの言葉に、ん?と頭を傾げ、足りない頭で意図を探る。えっと…「よかったら、来ません?」って……それは、つまり…握手会に来ないかということ?………ちょっと待て。まさか、本人からイベント参加のお誘いを受ける日が来るなんて。そんな都合のいいことがあっていいものか。そんな幸せなことが、あっていいものなのか。


「いいの?行っても」

「いいも悪いも、最終的に決めるのは芽衣さんですから。……ただ…来てほしくないひとにわざわざ声かけるほど、俺もお人好しじゃないですよ」


来てほしくないひとには声かけない。つまり、わたしは翠くんにとって、来てほしくないわけではない、ということか。しかも、わざわざ都合の確認してまで、声かけてくれたなんて。やばい、どうしよう、嬉しい。そんなの、行く以外の選択肢があるわけがない。


「ありがとう!喜んでお邪魔する!絶対行く!」

「待ってます」


本来なら公式の情報が出回る前に洩らすなんて言語道断なんだろうけど。それでも、こうして声をかけてもらえるくらいには歓迎されていると思っていいのだろうか。いけないことだと頭ではわかっていても、翠くんの柔らかい表情に絆されてその気になってるわたしも、きっと同罪だろう。

流星隊の、翠くんの成長を見守れて嬉しい。出来ればこの先も、見守っていたい。見守らせてほしい。心からそう思った。思っていた。……このときまでは。



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