知らないままでいたかった
「はわわわ〜…!ついに!ついに!!この日が来たね!」
今日は待ちに待った、握手会の日。例の流星隊ファン仲間である親友を誘って、会場に乗り込んできた。ご覧の通り、わたしの親友は大興奮である。朝に合流してからずっと、このテンションである。
「うわー、賑わってるねー」
「流星隊以外にも参加してるところあるもんね。それぞれのファンが集まってるんだよ」
「改めて凄いのね、夢ノ咲って」
「ね。それにしてもさ、この日は絶対仕事休み取れって言われたときは何事かと思ったよ」
「ごめんごめん。驚かせたくて」
「驚いたなんてもんじゃないよ。ほんと最初は意味わかんなかったもん」
「わたしも急いでたから。余裕なくてごめんね」
公式発表前の情報を翠くんから聞いたとは絶対言えない、でもこの子のことは絶対誘いたかった。だから「お茶してた子がたまたま夢ノ咲のアイドル科の子で、盗み聞きで得た情報」と大嘘をついてしまったのだ。……ごめんね、こんなやつで。
「えっと…流星隊は、どこかな〜……あ、あった」
「ちょっと遠いな。やっぱり人気高いから、広いスペース取ってるみたいね」
「そりゃそうか。伝統ユニットだし、実際の実力も校内屈指だし」
具体的な場所こそ知らされていなかったが、これも実は翠くんから「もしかしたら、入場口から遠いかも」と言われていたから驚かない。流星隊人気を考えれば当然の措置だとも思う。余裕もって広いスペースを取ろうと考えても、おかしくないもんね。
「ていうか芽衣、そのワンピース可愛いね。新調した?」
「…わかっちゃった?」
「何年親友してると思ってんの。やっぱり推しに逢えるとなると、気合い入るよね」
「恥ずかしながらね。握手会だから、距離が近いと思って。見られても変じゃない姿でいたかったから」
「わかるわかる。その動機、全然恥ずかしくないから。いいじゃん、似合ってるよ」
「…ありがと」
動機は恥ずかしくないと言われて嬉しかったが、似合ってると言われた方が気恥ずかしい。友人として、なまじ付き合いが長いからかな、同僚に褒められるのとは全然違う。…まあ、仕事で私服や私物を褒められるってことがないと言われればそれまでなんだけど。
おしゃべりをしつつもちゃんと足を進め、流星隊がいるスペースに到着。そこの光景は想像通りというか、想像以上というか、既にたくさんのファンが集まってた。わたしたちも目的を果たすべく『最後尾』と書かれたプレートのところへ行き、長蛇の列の一部と化した。
「にしても本当に人気だね。流星隊」
「うん。最初に連れてってもらったライブのときより、賑わってる感じする」
「そうだね。あれから定期的にライブしたりヒーローショウやったり、精力的に活動してたみたいだから」
「そっか。がんばってるんだね」
「芽衣、感想がお母さんみたい…」
「せめてお姉さんにして」
そうは言ってみたが、翠くんから活動内容は粗方聞いている。今日はこんな練習をした、どこでなにをした、この日にライブがある、ヒーローショウがある。いろんなことを、少し面倒くさそうに、でも割と詳細に教えてくれる。そして「面倒くさい」と言っている言葉の裏で、たまに表情が緩むときがあるのを見ている。…たぶん、流星隊の身内を除けば、ここにいるどのファンの子よりも、流星隊の、翠くんの活動に詳しいと思う。だって本人から直接話を伺っているんだから。……よくよく考えたら、これってかなり贅沢だよな。今更だけど、凄いな。ただの偶然から、こんなことって有り得るもんなんだなあ。わたしって運が良すぎると、つくづく思った。
「…ていうかさ。芽衣、本当に今回気合い入ってるね」
「なんで」
「いやさ、今気付いたんだけど。鞄にバリィさんくっついてるから」
「ああ、これね。食いついてくれたらいいなって思って」
「最早下心は隠さないのね」
「今更誤魔化す必要ないっしょ」
「言えてる。まあ、こっちも最近水族館行って勉強してきたから!直接話せるかもしれないしね!」
「あはは。やっぱり考えることは一緒だ」
翠くんの気を引きたいから、今朝のうちに、今日はこの鞄を持っていくと翠くんに写真を送っておいた。もちろん気付いてもらうため。まあ、わたしの顔を見れば気付いてくれるとは思ってる。それでも、もし、ちょっと視線を動かしたついでとかに、遠くからでも見つけてもらえるかもしれないって思った。
…しかもこのバリィさん、翠くんからもらったものだ。一通りバリィさんグッズをお裾分けしてくれたあと「よかったら、これもどうぞ」と渡してくれた。流石にもらいすぎやしないかと躊躇ったが、「一緒に持ちましょうよ」と満面の笑みで先手を取られてしまい、わたしの単純な思考能力は見事に正常に機能しなくなった。そしてまんまと鞄につけてきたというわけだ。大量生産物の既製品だとしても、わたしと翠くんしか知らないこと。
…あ、そうだ。わたしが流星隊のことを知らなければ、彼らのファンにならなければ。翠くんがたとえうちのお店にお客さんとして来てくれてたとしても、「うわあ、イケメン」とだけ思う程度でここまで興味を持たなかっただろう。こんなふうに仲良くなれなかっただろう。本当に人生って、なにがあるかわかんないよね。
「…あのさ」
「ん?」
「今更なんだけど、さ。わたしに、流星隊のこと教えてくれて、ありがとね」
「…え、ちょっと、芽衣?なに、急に」
「口に出すのは、はじめてだけど。思ってるのは割と前からなんだよね」
明らかに戸惑ってる親友に、お構い無しに続ける。たぶん今言わないと、この先ずっと言えないと思った。言えないことばかりだからこそ、これだけは絶対に伝えなきゃいけない。しかも、今言わなきゃいけない。そんな気がしたんだ。
「まだまだ浅いけどさ。流星隊のこと知って、ファンになってから、毎日がずっと楽しい。きっかけをくれたのは事実だし、ちゃんとお礼、言ってなかったなって」
「芽衣…」
ありがとう。わたしに流星隊を教えてくれて。あのときライブに誘ってくれて。今更口にするのはちょっと勇気が要ったけど、本当にそう思っているから言葉が詰まることはなかった。今の言葉に嘘はなかったのが伝わったのか、目の前の親友は柔らかく笑ってくれた。
「…あ、ほら!見えてきたよ!」
恐らく照れ隠しだろう、誤魔化すように親友が指差した先には、流星隊がみんな揃ってファンのひとたちと交流している姿があった。こうして五人揃っているところを見ても、真っ先に目で探したのは翠くんのことだった。ほんと、無意識って怖い。
今までにもライブには何回か行かせてもらっていたが、ステージ上でパフォーマンスする姿を遠目から見ているだけだった。当たり前だけど。でも今日は違う。いつもお話をさせてもらってる翠くんとは違う、アイドルとしての高峯翠、流星グリーンに逢いに来た。もちろん流星隊のみんなにもう一度逢えることも楽しみ。そこは間違いない。ただ…誰に逢えるのがいちばん楽しみかって問われたら、そこは疑いようもない。翠くんだと自信を持って言える。しかも翠くんから「来ません?」って声をかけてくれた。言われなくても普通に来ただろうけど、翠くん本人から言われたことが、気にしてもらえたことが嬉しかった。
あのときのことを思い出して、ちょっと…いや、かなりの幸せに浸りながら再度翠くんに目を向ける。まだ距離があるから会話は聞こえないが、そのぶん翠くんの表情や動きはよく見える。たぶんというか確実にゆるキャラの話をしているのだろう。本当にゆるキャラ好きなんだね。お話が一息ついたのか翠くんは満面の笑顔で握手に応じている。………待って、そんな顔で笑わないで。わたし、翠くんのそんな顔見たことな…………
「……え」
無意識に抱いた気持ちに、驚きのあまりに声が勝手に出た。いや、だって、今のは一体なによ。こんな、あまりにも自分勝手すぎる感情。…ない、絶対ない。これは違う。絶対違う。だって、だって………………どうしよう。
「…芽衣?」
「……ごめん、ちょっと、体調悪いかも。わたしの分まで、お願いね」
「え、ちょっと!芽衣!」
心配してくれたであろう親友をよそに、咄嗟に鞄を押し付けて急ぎ足で行列から離れた。「待って!」と微かに聞こえたが、聞こえないふりをしてその場から急いで離れる。足を止める余裕なんて今のわたしにはなかった。
果てしなく続いているように思えた人混みをどうにか掻き分けて、喧騒から少し離れた、人影のない建物の裏でようやく足を止める。その瞬間、力が抜けたようにその場にずるずると座り込んだ。
「……最悪…」
いろんなものがぐちゃぐちゃに混ざって、すべての感情を表すにいちばん近い言葉だ。咄嗟に逃げてきてしまったが、あんなの、あの子に対しても最低じゃないか。あんな逃げ方をしたわたしのことを気にしないような子じゃない。もしわたしが本気で体調不良と言えば、あの位置からでも一緒に列を離れてくれる。そのくらい、気にしいで優しい子。そんなあの子をひとりにして逃げるなんて、つくづくわたしは卑怯で最低。幾ら冷静さを欠いたからって、今頃になって気付くなど言語道断。
そしてもうひとつ、今頃気付いたもの。こんなに胸が苦しくなった原因にも、わたしが翠くんへ向ける気持ちの正体にも。そしてこれは、出来ればこの先ずっと気付きたくないものだった。だって、いつの間にかわたしは、翠くんのファンでも、お友だちでもなくなっていたんだから。
「……好き、だったんだね」
この『好き』は、お友だちとしてでも、アイドルとしてでもない。この会場のなかで翠くんにいちばん近いのはわたしだという優越感も、わたし以外と楽しそうに話さないでという独占欲も。全部全部、翠くんのことが好きだから。いつから、そうだったかなんて、今は幾ら考えてもわからない。考えたって…『いつから』がわかったところで意味がない。
今更、戻れない。あの子のところにも、わたしの気持ちも。ただのファンだった頃にも、お友だちとして笑い合っていた日々にも。どんなことをしたって時間は巻き戻せない。どんなに悔いても、もう遅い。これからどうすればいいのかわからず、今はただ、両目から絶えず溢れ出る自責と後悔を拭うことしかできなかった。きっとこれは、翠くんと近付きすぎたことに対する、神様からの罰なんだね。
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