だからどうか笑ってよ





「芽衣さんが無事なら、それでいい」。その言葉に嘘はなかったと自信をもって言える。それでも芽衣さんは、あの日行けなかったことをずっと気にしている。恐らく、今も。


あの握手会は、芽衣さんが来てくれるって思ったから、がんばれた。こんなこと思っちゃいけないんだろうけど、イベントが始まってから……あの日「来ません?」と声を掛けて、二つ返事で「行く」と言ってくれた瞬間から、芽衣さんが来てくれることを楽しみにしてた。当日も始まってから、ずっと待ってた。芽衣さんの姿と予め教えてくれてた鞄を捜しながら、今か今かと待っていた。そんな俺の前についに現れたのは、芽衣さんの鞄をもった、芽衣さんじゃないひとだった。申し訳ないのはわかっているけど、少しだけ、へこんだ。それでも咄嗟に芽衣さんの名前を出さず「お連れの方は?」と言えたことには素直に自分を褒めてやりたい。だけど、そこで返ってきた「突発的な体調不良」という言葉に血の気が引いていったことを今でも覚えてる。そのあと握手会をどうやってやり過ごしたかを忘れる程には衝撃だった。

芽衣さんの体調のことは心配だったが、どうしても連絡取りたくて、散々迷った挙げ句電話をした。遅い時間になっちゃったし出てもらえるか心配だったけど、長い呼び出しの末に気付いてくれて。声が聞けて、ほっとした。でも同時に、どうしても逢いたくなってしまった。体調不良なのは知っていたがその気持ちを抑えられなくて、我儘を承知で家まで行くと言った。結果的にこちらに来させることになっちゃったのは申し訳なかったけど…「着いたよ」って連絡が来て、実際に顔を見ることができた瞬間、そんな申し訳なさは見事に吹き飛んだ。そして、素直に「嬉しい」とも思った。握手会ではなかったけど、よかった。直接芽衣さんの顔が見られて、芽衣さんの声が聞けて、本当によかった。繋いだ手を離すのが名残惜しくなる程、芽衣さんのことを待ってたんだ。

それから芽衣さんは普段通りに話してくれても、時折一瞬見せる暗い表情は隠しきれてなかった。何度俺が説得しても全然立ち直ってくれなくて。…俺じゃ芽衣さんを励ますのに力不足なのかなって思ったら結構悔しくて。落ち込んでる理由を聞いてみて、一応気持ちは理解はした。でも納得はできなかった。そこで気付いた。落ち込んだのは、俺もだったんだって。でも俺が落ち込んだって仕方ない。そんなことをしたって芽衣さんは笑ってくれない。どうにか元気になってほしくて、咄嗟に「今度ライブに来てくれたらチャラにする」と言った。そのときはただ芽衣さんに笑ってほしい一心だったけど、後々考えると自分で自分のハードルあげたことに気付いた。やっちゃったな、とは思ったけど、不思議なことに後悔は一切なかった。

…さて、後悔がなかったのは別にいいんだけど。そうなると次のライブは、どうしたってサボれないな。自分で蒔いた種だから全然いいけどさ。……いや、待て。次だけじゃない。次からは、って言ったんだっけ。うわあ…今思うと軽率だったな。次からってことは、もう二度と逃げられないってことじゃん。俺、なんであんなこと言っちゃったんだろう…?


「翠くん」


そうだ、芽衣さんに、どうにかして笑ってほしかったんだ。妥協案ってわけじゃないけど、そういう提案で、少しでも芽衣さんの気持ちが軽くなってくれれば。負い目を感じにくくなってくれれば。


「おーい、翠くん?もしもーし?」


完全に納得とか、後悔がなくなったりとか、そういうのはまだ難しいかもしれないけど。それでも、俺のその言葉でようやく笑ってくれた。ちゃんと笑ってくれたって、思えた。…だから、だろうな。もう逃げられない状況ってわかっても、不本意って思わないのは。


「みーどーりーくんっ!」

「ひゃっ!」


突然視界に鉄虎くんの顔が入ってきた。割と近い距離まで詰められて思わずビビってしまった。ていうか、なんの前触れもなくそんな近寄られてビビるなってのが無理な話だ。


「へっ、え、鉄虎くん?な、なに…?」

「なに、じゃないっス。何回も呼んでるのに全然反応なかったし」

「あー……それは、ごめん。ちょっと考え事してた」

「ま、なんでもいいっスけど。それより流星隊のレッスン、行くっスよ!」

「ああ……うん」


鉄虎くんの言葉にゆるく頷いた。そういえば今日は流星隊のレッスンがあるんだった。鞄を持って立ち上がって鉄虎くんの方を見ると、何故だか鉄虎くんは、きょとん、とした顔で俺を見ている。


「…どしたの」

「いや、それ、こっちの台詞っスよ」

「なんで」

「なんで、って……翠くんがこんなに素直にレッスンに行くなんて…天変地異の前触れっスか?」

「鉄虎くんが難しい言葉知ってる」

「翠くん、俺をなんだと思ってんスか」


鉄虎くんこそ俺をなんだと思ってるの。口に出そうだったがその言葉は飲み込んだ。たぶんお互い様だし、鉄虎くんにそう思われても仕方ない。それくらい、今までの俺は口を開けば文句ばかり。というか文句しか言ってなかったから。


「…そんなに、おかしい?」

「おかしいというか…なんか心配っス。あれだけ『帰りたい』って言ってたから、おうち帰りたくないことでもあるのかなって」


…まあ、鉄虎くんがそう思うのも、わかる。今までの俺は本当に自覚してるくらい愚痴ばかりだった。でもこれからは、そうも言ってられない。だってあんなに大々的に、ライブ来てくれって大見得きっちゃったし。


「……みっともないところ、見せられないから」

「ん?なんか言ったっスか?」

「んーん。ひとりごと」

「うーみゅ…そっスか?確かに聞こえたような…」

「俺はいいから。ほら、行こう。あのひと、待たせたらうるさいし」


適当にやり過ごして、レッスン室に向かう。本当に、以前の俺には考えられない変化。だって無理矢理にでも、変わらなきゃいけない。そりゃあ面倒とか鬱だとか、いろいろ思うことはあるけど…それ以上に、前よりもがんばらなきゃいけない理由ができたから。



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