惚れた弱味ってやつだね





「いらっしゃー……うわっ!」


咄嗟に出た言葉に自分でも驚いた。なんてことだ。お客さんに対して、あるまじき言葉を発してしまった。お店に入ってきた翠くんが、今まで見てきたなかで最大級の負のオーラを纏っていたからだ。

案内する前にカウンターに座るや否や、盛大に溜め息をついて、がっくりと項垂れた翠くん。これは…なかなかやばい。はじめて見る惨事かもしれない。


「ちょっと、どうしたの!」

「……ここでいちばん苦いコーヒーください…なんかもう、なにも考えなくて済むような…」

「待て待て。わたしでも飲めないわ、そんなの」


最初に「苦いのは、ちょっと…」と言ってたこと、忘れてないよ。それなのに苦いものを所望するなんて、どういうこと。余程のことがあったのは流石に察しがつく。……なにがあって、そんなに落ち込んでいるの。


「…どうしたの。お姉さんでよければ話聞くよ」


親友として、人生の先輩として。もし、今翠くんが抱えている悩みを解決できなくても、話を聞くことならできるから。わたしで良ければなんでも話してよ。遠慮しないで頼ってよ。下心は否定しないけど、翠くんの力になりたいと思うのは本当だから。


「……笑わないですか」

「当たり前」

「ほんとに?」

「うん」

「ほんとのほんと?」

「ほんとのほんと」

「……………実は…」


わたしのことを信用してくれたのか、ぽつりぽつりと事情を話してくれた翠くん。その内容は端的に言うと、かねてよりハマっていたゆるキャラのイベントに行けないとのことだった。コラボイベント開催の情報を今日入手して、大喜びも束の間。どうやらその場所が悪いらしい。余りにも遠くて参加を断念せざるを得ないとのことだった。


「もうほんと最悪…鬱とか言ってる場合じゃないくらい凹む……」

「そっか…最近そのキャラ気に入ってたもんね」

「グッズ眺めすぎて夜も眠れない」

「うーん、そこはちゃんと寝ようか。………それはそうと、どこでやるのか教えてもらえるかな」

「……いっスよ」


教えてもらった地名はわたしも知っていた。寧ろ自力で行ったことあるから、よく知ってる部類だと思う。そこは確かに公共の交通機関で行くには、ちょっと……いや、結構不便。ここからだと尚更。個人的に車以外では行く気すら起きない。


「なんとか行ける方法探してみたけど全っ然だめだった。近くまで行く高速バスないし、バスや電車乗り継いだとしても三時間くらいかかるし…そしたら交通費だってばかにならないし…」

「あー……そうだね、確かにここは電車使うと逆に遠回りだわ」

「本っ当に有り得ない!この日!ユニット練習も部活も休みで!絶対行こうと思ったのに!すげえ行きたかったのに…っ」

「えーっと…ご両親にはお願いできないの?お車持ってるだろうし」

「車はあるけど…『んなとこ行ってる暇あるなら店手伝え』で瞬殺される」

「そんな冷たいようには見えないけど……」

「そりゃ芽衣さんは、うちからしたらお客さんだもん、そんな態度絶対しません。でも俺にとっては親ですからね…遠慮なしですよ」

「なるほど。うちの両親も、わたしには遠慮ないもんな…」

「そういうことです。……でも…行きたいものは、行きたかった……」


翠くんは絶望的な表情でカウンターに突っ伏して「神様ほんと根性悪い…」と呟いた。……聞かなきゃよかった、と若干後悔。馬鹿にしているわけではない、決して。それでも後悔した理由は、これはわたしが解決してあげられる問題だと気付いてしまったから。寧ろ今翠くんの周りで、わたし以外に解決できる人間は恐らくいない。


「…翠くん。ひとつ提案」

「……なんスか」

「この日、丸一日わたしと一緒でも苦じゃないっていうなら、連れてってあげよっか」


わたしもこの日休みだし。最後に一言付け加えると翠くんはすごい勢いで起き上がった。先程まで死にかけていた翠くんの目と表情が嘘のように輝きを取り戻していく。


「ほ、ほほ、本当ですか!」

「但し、高速使っても片道ノンストップで三時間半、休憩挟んだら四時間強はかかる。だからそれなりに覚悟してほしい」

「そんなの全然!問題ないです!うわー!まじで嬉しい!本当にありがとうございます!芽衣さん救世主!俺のヒーロー…っ!」


たぶん、翠くんからしたら、絶対に深い意味はないんだろう。でも、それでも。いきなり、しかもこんなに嬉しそうに手を握られたら動揺するに決まってる。翠くんは感激のあまり俯いていたからよかったけど、手を握られた瞬間、大袈裟なほどにわたしの肩は跳ね上がった。見られていなくて、本当によかった。

それに……翠くんと丸一日、一緒。この選択は、わたし自身を辛くする。自分で自分の首を絞めることになる。それはわかってるつもり。だけど、目の前で落ち込んでる翠くんを見てたら、なんとかしたくなった。助けてあげる…というのは烏滸がましいけど、それでも手を差し伸べてあげたかった。実際わたしの提案にこんなに嬉しそうにしてくれて、わたしも結局嬉しかった。翠くんが喜んでくれるなら、それでいいんだ。……恋って、恐ろしい代物だなあとつくづく思った。



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