ヒーローがログインしました
藤岡芽衣、弱冠二十歳。ただいま、人生で最大のピンチを迎えています。
「ねーねー、おねーさん」
「俺たちと遊び行こうよー」
今日は仕事が夕方からということで、近場のショッピングモールまで出掛けた。しかも電車で。いつもなら移動手段は車だけど、天気いいしちょっと歩こうとか思って予め車をカフェの駐車場に預けて、意気揚々と歩いてきたのだが…その選択がもう全ての運の尽き。帰り道に、人生初めてのナンパ被害に遭っている。しかも何故かパリピ!どうせ声かけられるなら、もうちょっとまともなひとがよかった。いや、まともならナンパなんかしないよな。そもそもなんでわたしがターゲットなの。遊びたいんならもっと遊んでくれそうな子でいいじゃないか!選べよ!
「すみません、わたくし、このあと仕事がありまして…」
「仕事なんていいよ行かなくて。俺らと遊ぶ方がずっと楽しいに決まってるじゃーん」
「そーそー!俺たち全部奢るから。ね、いいでしょ」
なんで決定権があなたたちにあるの。こちとら社会人は一回の遅刻で信用なくすんだよ。職無しになったら責任取ってくれんの?まあ奢られたくもないしお世話にもなりたくないけどね。ていうかあんたら仕事は?見たところ学生じゃなさそうだし…ニートかよ。
「ほら、行こうよ!」
「え、ちょっ…!」
考え事をしているうちに近付かれていたらしく、ぐっ、と割と強い力で腕を掴まれた。状況を考えると、相手は男ふたり。力勝負になればどう足掻いたって勝てない。一気に血の気が引いたのが自分でもわかった。これはやばい、声出さないと…!
「なにしてんスか」
その声に耳を疑った。声がした方向には、よく知った端正なお顔もあった。突然の出来事に反射的に「高峯くん!」と言いそうになったが、ギリギリで留まった。高峯くんはわたしを知らないし、わたしが高峯くんを知っていることも知らない。ていうか、なに、今の声。いつもより低いというか、なんというか。それに心なしか雰囲気もきついような。…と、わたしが驚いている間に高峯くんはわたしを自分の方へ引き寄せ、いとも簡単に救出してくれた。割と強い力だったと思うのに、不思議なことに全然痛くなかった。
「なーに、おにーさん」
「このひと、俺の友達なんスよ。困らせるようなこと、しないでくれませんか」
「なに、カッコつけちゃって。ヒーロー気取り?」
「友達が困ってるのが、見過ごせないだけ」
ぎゃーぎゃー喧しい相手の男たちの抗議を、高峯くんはわたしを庇うように隠しつつ一身に受けている。まるで盾になってくれているみたいで、護ってもらってるみたいで……ヒーロー気取りなんかじゃない、本当に、今の高峯くんはヒーローだ。
「はあ……なんかもう面倒なんで、それ以上騒ぐと警察呼びますよ」
「あー上等だよ!」
「そっスか。なら遠慮なく」
しれっと言うと高峯くんは本当にスマホを取り出して、片手で器用に操作し始める。それを見て男たちは漸く観念したのか、舌打ちして退散した。わたしが安堵の溜め息を吐いたと同時に、頭上からも大きな溜め息が聞こえた。あまりのタイミングの良さに、思わず顔を見合わせて一緒に笑ってしまった。さっきまでのぴりぴりした空気は、一瞬で消えていった。
「あ、えっと…大丈夫っスか」
「はい…!あ、あの!ありがとうございます!助かりました!」
「いえ…俺こそ、すみません。割と、乱暴に掴んじゃいましたよね…」
いつもの柔らかい雰囲気に戻って、高峯くんはわたしの腕から手をそっと離した。不思議だ、腕掴まれたのは、あのパリピも高峯くんも変わらないのに、こんなに違うなんて。パリピ相手には嫌悪感しかなかったけど、高峯くんだと…凄く、頼もしかった。
「あの」
「はい」
「間違ってたら、すんません。…大通りの、カフェの店員さん、ですか」
「!」
「やっぱり。…俺、よくお世話になってるんす」
今はお店の制服でもないし、髪だって下ろしてる。それなのに気付いてくれたんだ。わたしだって気付いて、そのうえで助けてくれたんだ。なにそれ…ちょっと、ときめいちゃうじゃないの。
「…存じてます。最近よくいらしてくださいますよね」
「あ、いえ……」
「助けてくれて、本当にありがとう」
「とんでもない。いつもお世話になってるし…なんか、見逃せなくて」
「ほんとに助かりました。でも、よくわたしだってわかりましたね」
「まあ…勘っす」
「そうですか」
照れているのか、ちょっと顔を赤くしてそっぽを向く姿が可愛くて微笑ましい。さっきまであんなに頼もしかったのに。あ、なにかお礼がしたいな。迷惑じゃなければ、カフェまでご案内して、なにかご馳走したい………ん、カフェ?
「あっ!やばい!仕事!!」
「どうしました…?」
「遅刻!」
あんな奴らに絡まれたせいで思いっきり時間食ってしまった。こんなこと初めてで、あまりの不安で「どうしよう…」と、つい口にしてしまった。こんなの高峯くんには関係ないのに。ただでさえ助けてもらって、感謝してもしきれないのに。これ以上、余計な迷惑はかけたくないのに。
「取り敢えず、まずはお店に連絡しましょう」
「あ…うん、そう、ですね」
「変に誤魔化さないで、事実をそのまま伝えましょう。お店の方も、きっとわかってくれます」
落ち着かせるようになのか、はたまた無意識なのか。高峯くんの柔らかい声で少し冷静になれたわたしは、スマホを取り出してお店に電話をかける。店長に今しがたあったことをそのまま伝えると、高峯くんの言った通り、店長は怒るどころか物凄く心配してくれて、優しい声で「焦らないでいいからね。気を付けておいで」と言ってくれた。ああ、このひとの下で働けて幸せだなあ、なんてしみじみ思ってしまった。
「どうでした?」
「焦らないでいいって、気を付けておいでって」
「よかった。…じゃあ、俺も一緒に行きます」
「え…?」
「必要ならば俺も証言しますから。せっかくですから、お店まで、護衛しますよ」
ここまでお世話になっていいものなのかと考えたけど…今日だけは、ひとりで歩くのが怖かった。だから高峯くんの申し出が頼もしくてありがたい。
「ほんとにありがとう」
「お礼言うのは、俺の方っす」
「どうして?」
「だって…いつも、可愛い絵、描いてくれるから」
あれ、ほんとに楽しみなんすよ。嬉しそうな顔でそう言ってくれた高峯くん。ずきり、と心が痛んだ。この子は、純粋に楽しんでくれていたというのに、わたしはなんだ。あんなもの下心ありきの行動だ。そんな綺麗な目を、向けてもらう価値などない。
「…高峯翠さん、ですよね」
「え…」
「実は…先日、流星隊のライブ、お邪魔させていただいて…それで高峯さんのこと、存じてました。ゆるキャラがお好きだと伺ってたので、もしかしたら喜んでいただけるかなって……」
「えっと、その…」
「今まで黙ってて、ごめんなさい。気持ち悪いですよね、こんな…」
「全然。んなことないです」
拍子抜けした。軽蔑の目を向けられると思っていたから。だって自分でも言ってて気持ち悪いなと思ってしまったから。
「むしろ、すっきりしました。いつも可愛い絵描いてくれた理由がわかって」
「え、えっと、そう…ですか…?」
「はい。それで…また、お願いしてもいいですか」
高峯くんの言葉に何度も頷いた。絵を描いてくれってことだとわかっているけど、それでもまた来るという意味に変わりはない。高峯くんが望むなら、そのくらい幾らでも叶えてあげよう。
「あの、遅くなりましたが、わたし、藤岡芽衣と申します」
「へ…?」
「いきなりごめんなさい。でも、わたしだけ高峯さんのお名前存じ上げているのも不公平だと思って…め、迷惑なら、忘れてください!」
「…迷惑じゃないんで、覚えていいすか」
「も、もちろん!」
高峯くんが表情を緩めたのを見て、わたしもつられて笑った。アイドルとファン、カフェ店員とお客さまという立場以外で話すことができるとは思わなかったな、なんて悠長なことを考えもした。
そしてこの日を境に、わたしと高峯くんの距離感は、ちょっとずつ変わっていく。
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