今のわたしに出来ること





「芽衣ちゃんいるー?」

「はーい」


休憩中、店長からの急な呼び出し。なにかミスったか、まずったかと一瞬思ったが、それにしては声も顔も穏やか。ただ単に用事があるだけかな。「こっち来てー」と言われるがまま向かうと、人もまばらな店内で一際目立つ長身の男の子の姿がすぐに目に入る。それが誰かなんて、聞くまでもない。


「いらっしゃいませ」

「あ…こんにちは」


あの日、わたしを無事にここまで送り届けてくれた高峯くん。お礼にお好きな飲み物をご馳走したいと言ったら、このあとは用事があるから後日改めるということになった。用事があるにもかかわらずわたしを助けて尚且つここまで送ってくれたことに、どうしようもなく有難く思った。そして今日、わたしが一方的に取り付けた約束を果たす為に足を運んでくれたことにも嬉しくなった。


「先日は、本当にありがとうございました」

「あ、いや、とんでもないっス。俺こそ、あれだけのことでこんなおもてなし…」

「あれだけじゃないです。本当に、嬉しかったんです。…じゃあ今日は約束通り、お好きなものを、お好きなだけ召し上がってください。なんでもご馳走しますから」

「お好きなだけってのは、ちょっと…」


苦笑いした高峯くんにつられて笑った。苦笑いですらイケメンって、ずるいな。いいな。本当に綺麗な顔だもんなあ。


「…じゃあ、藤岡さんのおすすめ、ください」

「それでいいんですか?」

「はい。…あ、でも、ひとつだけ我儘言っていいですか」

「ひとつと言わず、幾つでもどうぞ」

「絵だけは、描いてください」


言うと思った。わかってたけど、こうして素直に言ってくれるのは嬉しい。一応簡単なものだけど、練習してきたんだよ。うまく描けるかは別問題だけど。


「リクエストは?」

「お任せします」


欲がないのか、それともわたしを信用してくれてるのか。……後者だと、いいな。ポケットからペンを取り出し、コースターに思い付いたまま絵を描いていく。…うん、個人的には今回もうまくできたと思う。あとは翠くんが気に入ってくれるかどうか、だ。

ココアは、今回はちょっとカスタマイズして、わたしが飲んでいるものと全く同じものを用意してみた。いろいろ試してみて、これが個人的にいちばん好きなアレンジ。こっちも気に入ってもらえれば嬉しい。


「お待たせいたしました」


コースターを置いて、その傍にココアが入ったカップを置く。本当ならコースターの上に置くんだけど、汚れると高峯くんが落ち込むかな、という気遣いだ。高峯くんは小さく頭を下げたあと、裏返したコースターを捲り、すぐさま目を輝かせた。


「ひよこ…!」

「ふふ、正解」

「すごくわかりやすいです。それに文句なしに可愛いです」


暫く高峯くんはコースターを嬉しそうに見つめていたけれど、満足したのかコースターを置いて、今度はカップを手にした。


「こっちも…いただきます」

「どうぞ」


一応、ちゃんとした顔見知りになって、こうして自分が用意したココアを目の前でいただいてもらうって……やだ、なんか恥ずかしい。ここでの感想が、そのままわたしへの評価になりそうな気がして。まあ一言で言うなら、とにかく気恥ずかしい。


「…美味しい」


ココアをひとくち飲んだ高峯くんから、ぽつりとこぼれた一言。どうしてだかわからないけど、不思議なことにお世辞だと思わなかった。願望が生み出した都合のいい解釈かもしれないけれど、それでも高峯くんの言葉が、嬉しかった。


「この前のココアと、ちょっと違う…?」

「はい。僭越ながら、少々カスタマイズさせていただきました」

「なるほど……うまく言えないけど、まろやかで美味しいです」

「お気に召したなら、よかった」


カップを持つ高峯くんの顔が、心なしか穏やかで。安心した。微妙な顔されなくて。これはお礼なんだから、高峯くんに喜んでもらうことが第一だ。目標達成、かな。


「…あの」

「はい」

「実費、出すので……おかわり、もらえますか」


…驚いた。なんと高峯くんは、空になったカップを差し出してきた。飲むの早いな。熱くなかったのかな。猫舌じゃないのかもしれない。もしかしたらおなか空いてたのかな。ていうか、おかわり……やばい、嬉しい。それだけ気に入ってくれたって、自惚れていいかしら。


「おかわりは、喜んで。ですが、お代は結構です」

「いや、でも…」

「申し上げたはずです。今日だけは、お好きなだけどうぞ、と」

「いえ…それはさすがに、悪いです。それに一度、断ってる身ですし…」

「そんな細かいこと気になさらないで」


今日だけは思う存分おもてなししたいのに、高峯くんはずっと遠慮している。すると店長が「うちの大切な従業員を助けてくれたんだから。今日は、サービスさせて」と助け船を出してくれた。その一言がだめ押しになったのか、ようやく高峯くんは頷いてくれた。ありがとう店長。

それにしても、不思議なこともあるもんだなあ。高校生、見習いとはいえ、アイドルとこうして交流することになるなんて。人生、なにが起こるかわからないもんだね。にやけそうになるのを精一杯堪えて、二杯目のココアを用意する。こんなことでしか、今のわたしは高峯くんに感謝を伝えられないから。


「…あれ。さっきと、またちょっと違う…?」

「あ、はい。わかります?」

「なんとなく、ですけど……」

「おお…!すごいです!……えっと、一杯目と比べて、どっちがお好みですか?」

「うーん………どっちも、いいと思います」

「ふふ。ありがとうございます」

「でも……強いて言うなら…さっきの方が、まろやかで好きです」

「一杯目のほうですね。承知しました」

「あ、いや、違うんです!こっちも、充分すぎるくらい美味しいです…!」

「ううん。高峯さんの好みが知りたかっただけです。こちらこそごめんなさい。…正直に仰ってくれて、ありがとうございます」


幾らでも誤魔化す方法はあっただろう。でも高峯くんは、一杯目の方が好きだと言ってくれた。正直に伝えてくれたことが嬉しい。なにより、そっちのアレンジの方がわたしも好きなやつだ。同じものを好んでくれた気がして、余計に嬉しい。

わたしたちの会話が一旦途切れたのを見計らったのか、いいタイミングでもう一度店長がわたしたちのもとへやってきた。


「迷うのも無理ないよ。芽衣ちゃんが作るココア、なんでも美味しいでしょ」

「はい」

「芽衣ちゃん、無類のココア好きなんだ。いろんな組み合わせ試してるから、もしこれからもココアをご希望なら、芽衣ちゃんに頼むといいよ。絶対美味しくしてくれる」

「そうします」


…店長、高峯くんの目当てはココアじゃないんだよ。なんて言わないけどね。ココアが目当てという、うまい逃げ道?を用意してくれた。これはわたしにも高峯くんにも都合がいいだろう。それにわたしは、高峯くんに逢えるなら、なんでもいい。

そのあと、高峯くんは更にもう一杯ココアのおかわりを申し出てきた。なんかこれで結構おなかいっぱいになっちゃいそうだけど…正直、嬉しかった。余程気に入ってくれなければ、ここまでリピートしてくれないだろうから。

そのあとのわたしたちは特に、なにかを話すってわけじゃなかったけれど。高峯くんと同じ空間にいることが不思議で、奇跡で。居心地は良かった。たまにコースターを見ながら嬉しそうに笑う高峯くんを観察して…わたしは相変わらず気持ち悪い。

三杯目のココアはゆっくり飲んだあと、高峯くんは「えっと……そろそろ、おいとまします」と言ったので、カウンターを出てお見送りの準備。ドアを開けて、高峯くんのあとに続いて外に出る。高峯くんはわたしを見てくれる。…うーん、目線が高い。改めて思う。高峯くん、背高くて、すらっとしてる。で、この顔でしょ。見れば見るほど思う、ルックスに恵まれてるよなあ。このアドバンテージは、えげつない。


「ごちそうさまです。ありがとうございました」

「そんな。お礼なんて、わたしの台詞です」

「…あの、藤岡さん」

「はい」

「迷惑じゃなかったら、また来てもいいですか…?」


高峯くんの言葉に、思わず目を丸くした。迷惑なんて、そんなことあるものか。高峯くんから来たいって言ってもらえるなんて、幸運以外のなにものでもない。わたしはいつだってウェルカムだ。


「高峯さんさえ宜しければ、いつでもいらしてください」


わたしの言葉に、安心したように笑った高峯くん。また逢えるといいな。また高峯くんが来てくれたときに、接客するのはわたしがいいな。…なんて、こんな意地汚いことばかり考えてしまう。そんなに都合よくいくわけないのに。でも…期待するだけなら、いいよね。




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