思い出は行方知れず
「高峯、今日もお疲れ!がんばったな!」
「いや、そもそも疲れてる原因あんたなんスけど」
「はっはっは!つれないことを言うな高峯!じゃあ、また明日な!」
「はいはい。どうせ断っても来るんでしょ……お疲れさまでした」
レッスン後、高峯を送ったあとは、ひとり帰路につく。高峯の家は学校から近いがコミュニケーションのひとつとして一緒に帰っている。方向も同じだし。たまに全員で帰ったりもしているが、基本的にこれが今の俺のルーティンとなっている。
今年になって一年生が三人も入隊してくれたおかげで、流星隊の活動がすこぶる上手くいっている。至って順調だと、自分でも胸を張って言える。奏汰は後輩が入ってきて幾らか真面目になったし、南雲も仙石も高峯も成長著しい。ユニット活動が活発になるのは実に喜ばしい。一年前の今頃を思うと信じられないくらい、すべてがいい方向へ向かっている。
………だが、こうしてひとりになってふと思い出すのは、ある女の子のこと。幼稚園から一緒だった、たったひとりの親友。とは言っても最初から仲が良かったわけではない。仲良くなったきっかけは入園してすぐの遠足だった。当時の俺は今よりずっと引っ込み思案で、なかなかクラスに馴染めなかった。友達がなかなかできずにひとりで勝手に行動して、結果迷子になってしまった。そんな俺を、いちばんに見つけてくれた。ひとりぼっちで不安で心細くて仕方なくて泣きべそをかいていた俺に「もう大丈夫だよ!」と笑いかけてくれたあのときから、あの子は俺にとって唯一無二のヒーローだった。俺たちが仲良くなるのに、親友になるのに……あの子が俺の世界の中心になるのに、時間はかからなかった。
確か、家庭の事情で小学校三年生の途中で引っ越してしまったんだ。あの子がいなくなるまで確実に……いや、今でも、俺にとってはいちばんの仲良し。代えがきかない、誰よりも大切な親友だ。今となっては連絡先はおろか住所もなにも知らない。それでも、願わくは、もう一度逢いたい。話がしたい。そう思い続けて、どれくらいの時が経っただろうか。…あの子は今、どこで、なにをしているだろうか。
「きゃっ!」
「うわっ!」
前方不注意で誰かにぶつかってしまった。鳩尾に軽く入ったが、そんなこと言ってる場合じゃない。女性の方は尻餅をついてしまっているのに、自分が被害者ぶってどうする。
「す、すみません!大丈夫ですか!」
「いえ!わたしこそ前見てなくてごめんなさい!お怪我ありませんか!?」
女の子が顔を上げた瞬間、息が止まった。息だけではない。時が、世界が、すべてが止まった気がした。この大きくて綺麗な両目に、俺は見覚えがある。
「…そら……?」
「え…っ」
面影が残る顔を見て、疑問が確信に変わった。懐かしさが一気に押し寄せる。何年振りだ、こうして逢えるのは。声を聞けるのは。面と向かって話をするのは。ずっと逢いたいと思っていた。まさか今、こうして願いが叶うとは。
「そら!久しぶりだな!」
懐かしさと嬉しさが隠せない、そんな様子の俺とは正反対で、きょとんとしながら俺を見るそら。まだ気付いていないのかという疑問が頭を過った直後、信じがたい言葉がそらの口から零れた。
「あの…どちらさま…ですか?」
首を傾げながら俺を見たそら。その瞬間、頭を鈍器で殴られたような衝撃が走ったけど、その困惑した表情はどう見ても嘘をついているようには見えなかった。
「……そら…?」
「えっと…どこかで、お見かけ致しましたでしょうか…?」
お見かけしたどころじゃないだろ。あんなに一緒に居たじゃないか。あの頃は誰よりも一緒に、誰よりも同じ時間を過ごした。確かにそらとは、もう10年近く逢っていない。でも俺はすぐ気が付けた。それとも、気付けない程俺がそんなに昔と変わったとでもいうのか。
「お前……」
「……あっ!すみません、これからバイトなので……失礼しますっ」
そらは申し訳なさそうに、ぺこり、と頭を下げて、すぐ近くのファーストフード店へ入っていった。仕事熱心なのは凄く良いことだが……俺のことを全く覚えていなかったことに、どうしようもなくやるせなくなった。まさか、他人の空似か?いやいや、名前には反応していたし…でも俺のこと知らなかったし……まあ、俺がそらに執着しすぎと言われてしまえば、それまでなのだが。
俺の勘違いか、そらが思い出せないだけか。どちらにせよ、もう一度逢って確かめたい。しかし仕事中に話しかけても邪魔になるだろうし、なにより長時間話せない。いろいろ考えた結果、店の近くで待機することにした。待ち伏せなんてヤバい奴みたいで嫌だったんだが、これしか今日のうちにもう一度そらに逢う方法が見つからなかった。
しかし待てど暮らせどそらは一向に出てこない。日も沈んで辺りはどんどん暗くなるばかり。気付けば夜道が街灯に照らされていた。…今日は、逢えないな。仕方ない、また後日に出直そう。そう思った瞬間だった。
「お疲れさまです。また明日」
ふいにそらの声が耳に届いた。仕事を終えたであろうそらが店から出てきた。申し訳ない気持ちになりながらも、やっぱり逢えて嬉しいと思ってしまった。待っていて、よかった。
「お疲れさま」
「え?……あ、先程の…」
そらに声を掛けたあと、驚かせないようにゆっくり近付く。不審がられて逃げられないか不安だったが、一応留まってくれている。取り敢えず、よかった。
「驚かせてすまん。どうしても、もう一度話したくて…」
「え、あの、えっと…」
「…あ、急にこんなこと言われても困るよな。怪しい者じゃないから、安心してほしい」
鞄から学生証を取り出して、そらに渡す。身分を明かして安心させたかった。それと…名前を明かせば、思い出してくれるのではないか。そんな淡い期待を込めた。しかしその願いは叶わず、そらは相変わらず難しい顔をしていた。
「…もりさわ…ちあきさん?で、お間違いないですか?」
「ああ、そうだ。…さっきは、いきなりすまなかった。余りにも知り合いにそっくりで」
「いえ。誰にでも間違いはありますから」
気にしないでくださいと笑うそら。その笑顔もその声も本物だ。どれだけの時間が過ぎ去ろうと、絶対に忘れない。間違えたりしない。
「すまん。少し、時間もらえないか」
「うーん…30分くらいなら、なんとか。なにか御用ですか?」
「少しだけでいい。話に付き合ってくれるか」
本当に少しだけ話すつもりで、そらのバイト先ではない、近くのファーストフード店に入った。お互いに飲み物だけ注文して、席について、飲み物に一度口を付けてから、ようやくそらから口を開いてくれた。
「すみません、えっと…守沢千秋さん、ですよね」
「ああ。…きみは、一ノ瀬そらさんだな」
「はい。そうです」
一ノ瀬、そら…名前どころか名字まで一緒。こんなの勘違いや人違いで済むわけがない。確かに同姓同名の可能性は充分あるが、そんなものを根拠にしているわけじゃない。
「えっと…すみません。失念していたのですが…夢ノ咲学院のアイドル科って、とても有名なところですよね。凄いですね、そんなところに在籍されているなんて」
「あ、いや…そんなことは、ない」
「……あ!高校生と言えど、アイドルですよね。わたしなんかと一緒に居て、まずくないですか。ファンの方に恨まれたり…?」
「問題ない。そこは、心配しないでほしい」
厳密に言うならば全く問題がなかったり、心配要らないわけではない。でも今はこう言わないといけないと思った。そうじゃないと、そらと話ができなくなってしまうかもしれないと思ったから。せっかく逢えたのに、これっきりになんてしたくなかった。
「…やっぱり、似てるな」
「えっと…守沢さんが仰る、そらさんって…どのようなお方なんですか?」
「俺と同い年で、裏表がなく喜怒哀楽がはっきりしてて…誰よりも強くて優しくて、一緒に居て、誰よりも楽しいと思えた」
目の前のそらこそが、まさに俺の知るそら。言葉を交わせば交わす程、違和感どころか昔の思い出が鮮明に蘇ってくる。他人の空似というレベルじゃない。
「えっと、そらは、どのあたりに住んでいるんだ?」
「ここから歩いて15分くらいのところです。守沢さんは?」
「俺は10分くらいだな。この通りを、あっちの方向だ」
「それじゃ、わたしとは微妙にずれてますね。わたしは、こっちの方向です」
ちょっとした雑談だけど、だからこそよくわかる。話し方、声のトーン、雰囲気。どれをとっても、よく知ってる。やっぱりこの子は俺の知っているそらで間違いないはずだ。それなのにそらは、一向に俺を認識できそうにない。………どうしてだ。何故、俺のことを忘れた?何故、俺のことを思い出してくれない?
「…本当に、お前じゃないのか?」
「守沢さん…?」
「俺はお前のこと、離れてから今日まで、一日たりとも忘れたことなどなかった。ずっと逢いたかった。また逢えると信じていた。今日こうして逢えて、本当に嬉しかった。なのにそらは、こうもあっさりと忘れてしまったというのか…?」
どんなに離れていても、どんなに逢えなくても、こんなに想っていたのに。またいつか逢えると信じていた。逢えたときには、どんなことを話そうか。逢えなかった時間をどうやって埋めようか。そんなことを、この10年間ずっと考えていた。ずっと、そらのことを、そらだけを想っていた。それなのに。お前にとっての俺は、その程度の存在だったというのか。
「昔の、知り合い……」
「昔の、というよりは、昔から、だ」
「どのくらい…」
「10年以上前だ。俺たちがこんな小さな頃から……」
言葉が途切れ、頭が一瞬にして冷えた。そらが悲しそうな表情で俯いてしまったからだ。やってしまった、と頭を抱えたくなった。こんなことを言うつもりなど、なかったのだから。
「…そら?」
「あの、実は、わたし…っ」
言葉に詰まるそら。この沈黙が怖い。こんな一気にまくし立てたんだ、嫌われたかもしれないと思うと身体中から汗が吹き出てくる。しかし…もっと衝撃的な言葉がそらの口から放たれた。
「昔の記憶が、ないんです」
それは余りにも予想外で、理解するのに時間がかかってしまった。えっと、記憶が無いって……つまり、どういうことだ?
「信じてもらえないかもしれませんけど…わたし、中学生くらいからの記憶しかなくて……それ以前の記憶が、ごっそり抜け落ちてるみたいなんです。原因は、全く解らないんですが」
「……ということは、子供の頃の記憶は…」
「お察しの通り、ありません」
「じゃあ、つまり…」
「それより昔の話ならば、わたしが守沢さんの知るそらである可能性はあるかと」
そらは昔からあまり嘘をつかなかった。ついたとしてもバレバレなつき方しかしなかった。そして今のこのそらの態度から嘘をついていないのは明白。
なんらかの形で記憶を失ってしまったらしいそら。正直忘れられてしまったのはショック。しかし自分の勘や感覚が外れていなかったことへの安心感のほうが大きいのも事実。やっぱりこの子は、そらだったんだと。また逢えたことに変わりはないと。そらが思い出してくれない限り確実なことではないけれど。でも俺の勘が叫んでいる。目の前の女の子は、間違いなくそら本人だと。
「…ごめんなさい」
「へ?な、なぜだ?」
「もし、わたしが本当に守沢さんの知るそらなら…守沢さんのこと、忘れてしまって。昔、仲良しだったんですよね」
「あ、いや…俺もいきなり、すまなかったな」
人の気持ちに敏感なところ。すぐに自分から謝れるところ。誰よりも優しいところ。全部がそらをかたちづくる要素だ。絶対に、忘れない。忘れられない。忘れたりしない。ずっと、忘れられなかった。この先もずっと、忘れることがない。あのときから変わらず、こんなに想っているのだから。
「なあ、そら」
「はい」
「その…思い出すまで、気長に待つから」
「…はい」
「だから…もう一度、俺と、友達になってくれるか」
たった一言なのに死ぬ程緊張した。机の下で手もガタガタ震えている。我ながら情けない。もう来るなとか迷惑とか言われたらどうしよう。この場で軽く死ねる。ショック死確定。もし今すぐに考えられないというのなら出直すから。だからどうか、拒絶しないで。俺のことを、無視しないで。どうか、嫌いにならないで。
「わたしで良ければ。よろしくお願いします」
しかし、そんな俺の心配をよそに、とびきりの笑顔が返ってきた。ああ、そうだ。この笑顔だ。あの頃は、この笑顔がいつも傍にあった。笑ったそらがいつも居た。太陽を置き去りにするくらいの眩しい笑顔。そらが忘れても、俺がこうして憶えている。
忘れたなら、思い出させればいい。思い出せないなら、新しく作ればいい。それだけのことじゃないか。記憶が在ろうと無かろうと、この子は俺の知るそらに代わりは無いのだから。
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