あの日焼け落ちるお前が

 ナマエはよく歌うヤツだ。半分以上がハミングで成り立つ、能天気なその歌を、おれは結構気にいっている。

 おれたちの船、つまり、親父の船には約1600もの人間が生活している。毎日一人と会話をしても、全員と交流するには一年なんかじゃ全く足りねェ人数だ。ここにはこの世界中、様々な地域から集まったヤツらが様々な事情を抱えて生きている。どうにかしたら、小さな世界が作れちまうんじゃねェかって思うことすらある。
 だというのに、だ。
 ナマエの歌は、おれたちにとって、耳なじみのないものばかりだった。南の海のヤツに聞いても、北の海のヤツに聞いても、西の海のヤツに聞いても、グランドラインのヤツに聞いても。そして、東の海で育ったおれも、ナマエの歌をアイツの口から聞くまで、ちっとも知らなかったのだ。ナマエは元々、急に、本当に突然現れた女だから、おれはアイツの故郷がどこなのかさっぱり分からねェ。詳しく問い詰めてみても「ニホンから来た」の一点張りで、話にならない。ニホンなんて島、どこにもねえっつうの。まァでもきっとナマエにとって出身地は、おれにとっての出生みたいなもんで、おいそれと人に話せるもんじゃねェんだろう。そう思うことで、おれは今のところ納得をしている。

「お前ってさ、音楽家だったのか?」

 トレードマークの、元気色したテンガロンハットを顔に被せて寝ていたはずのエースは、いつの間にか、私を見上げていた。急になに言ってんだこいつ、寝ぼけてんのか?

「あ? 寝言は寝て言えよ」
「なんつーこと言うんだお前は! 純粋な疑問じゃねェか!」

 ひでェひでェと憤るエースの顔に無理やり再度帽子を被せると、耐えかねたのか飛び起きてしまった。けれども腹を立てて立ち去るほどではないらしい。教えろよ、と纏わり付いてくる様は犬猫のようで思わず撫で回したい気になる。動きかけた右手を頭の後ろに回した私は、そのまま甲板に寝転がった。

「別にそんなんじゃ……」

 そこまで言いかけて、こちらを覗き込んできたエースと目が合う。焼けた頬に、散るそばかす。ウェーブした黒髪は潮風で傷んでいたが、それは広がる青空によく似合って見えた。エースを見てると、なんでもできるような気がしてくる。そんな不思議なパワーが、彼にはあった。しかしながら、これから起こるであろう“あの戦争”を、彼の死を無かったことにするため動く勇気だけは湧かなかった。
 向こうの世界において私はただの一般市民であり、それ以上でもそれ以下でも無かった。朝起きて、職場へ行き、働いて、夜は家に帰る。その繰り返し。そんな単調な生活の中で、唯一とも言える楽しみは麦わら帽子の少年の冒険譚を読むことだった。なのに、気付いたらその漫画の世界の中で、その漫画のキャラクターと日々を過ごしている。何が起きてるのか自分にもさっぱりわからないが、これが夢でなくリアルであることは確認済みである。そして、一緒に過ごしているキャラクターのひとり、つまり目の前の男が今後命を落とすことを、私はよく知っている。まったくもって、どうすればいいんだろうね。この状況。
 そう考えるばかりで、世界を変える気概もない私はつまらない人間だが、そんなことを知らないエースは今のように私にキラキラした眼差しを向ける。何か面白いことを期待しているような、プレゼントを前にした子どものような、そんな顔だ。そしてなんと私は、それに射抜かれるとついつい期待に応えたくなるという悪い女でもあった。

「ちげェの?」
「や、なんか音楽家だった気がしてきたわ。うん、私音楽家だったかも。超歌ってたかも。お前の好きな歌も教えろよ、歌ってやるから」
「お前、たまにすっげェ適当になるよな」
「褒めんなよ」
「褒めてねェよ」

 笑ったエースが自分のテンガロンハットを私の顔に被せた。急に視界が暗くなる。クセェと文句を言ってやるつもりだったのに、帽子からは太陽の匂いがするばかりだった。焼けたら痛ェだろ。顔を見なくても、面倒見のいいエースが、兄貴って感じの顔をしてニッと口角をあげているであろうことは、火を見るよりも明らかだった。
 人好きする男だ。エースはみんなに好かれている。それなのに、ほんと、なんでお前は。


・・・・・


 手紙の差出人は、数ヶ月に船を降りた仲間の娘の名前だった。アイツは病気で死んだらしい。

 ナマエを探してモビーを歩き回っていたおれは、甲板の先、薄闇の向こうから聞こえてくる歌に足を止めた。氷の上をゆくように、スルスルと淀みなく繋がる音階。チラチラと瞬く光を思わせるメロディーは、星への祈りにも聞こえる。弔い、という単語が似合う歌だった。だってナマエは、死んだアイツと仲が良かったから。
 ナマエは、頭の後ろで組んだ腕を枕に、夜の甲板に寝転がっていた。こればかりは、直属の上司であるマルコが注意してもなおらないのだ。おれが近づくと、ナマエは顔を空に向けたまま手の代わりに足を上げる。足音に気づいたのか、闇を照らすため火を灯していたおれの人差し指が明るすぎたのかはわからない。よォ、お前も夜更かし? 女にしては少し荒い言葉遣いでナマエが笑った。

「あのさぁ、人は死んだらどこに行くと思う?」

 やっぱりな。似合わねェのに小難しいこと考えてやがった。病気で人が死ぬことはどこの国でもあることだろうし、必要以上に取り乱している様子はなかったが、船を降りた相手とはいえおれたち家族の死だ。思うところはあるのだろう。

「……死んだらそこで終わりだろ。そのあとなんて存在しねェよ」
「ふーん……。エース、案外賢いこと考えてんだな」
「お前は、その歌を死人が、アイツがここで聞いてると思うのか?」
「さァな、それは死んでみないとわかんない」
「それもそうだな」

 お前こそ、難しいこと考えてんだな。私が星を見ていたことに気づいたエースは、ちらちらさせていた灯りを消して、こっちの顔を見下ろすように胡座をかいた。視線を送れば、夜の海と同じ色をした瞳と視線がぶつかる。冷たいはずのその海は、しかし、奥でメラメラと燃えている。眩しさに目がくらんだ。
 この世界の人たちは、生きることに誠実だ。明日死んでも、ともすれば今日死んでも良いように“悔い”にはみんな敏感だった。だからきっと遠くで死んだアイツも、まぁ楽しい人生だったんじゃないだろうかと思う。そして、目の前のコイツも。きっと、最期には満足して微笑むのだろう。私はそれをよく知っている。この、愛する世界を尊重するためには、私は口を噤まなければならない。例えそれが、残酷なことでも。

「なァ、さっきの歌気に入ったからよ、おれが死んだ時も歌ってくれよ。ま、聞こえるかはわかんねェけど」

 にしし、と唇からのぞく白い歯があまりに美しく鮮烈で。お前のそういう笑顔がさ、私は大好きだよエース。この時間がずっと続けば、私も、お前も、親父も、残されるマルコたちも。みーんな笑って過ごせるかもしれないのにね。なんて。陳腐な夢物語は頭の中で浮かんでは消える。無い物ねだりばかりで、ほんと、私ってやつは。

「……生きて聞け馬鹿」

 人の気も知らないエースは、そしてやはり、私の可愛げのない言葉を聞いて、眩しい笑顔を携えた。

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