ウインクする種ヶ島
フェンスを隔てた向こう側をチラチラ気にしていた後輩数人が、突然きゃあ! と嬉しそうな悲鳴をあげた。またか……。そう思いながらフェンス越しに男子側のテニスコートに目を向ければ、私の動きに気がついた種ヶ島がしたり顔でパチンと片目を閉じた。絵に描いたような、なんなら星が飛んで見えるほどのアイドルじみたウインクに、再び後輩たちが色めき立った。
「そこのみんな、種ヶ島センパイ観賞はせめてボール拾い終わってからにして」
「はーい」
後輩のかたまりに声を掛ければ、くすくす笑いながらも皆蜘蛛の子を散らすように各々走って行った。ネット際やコート端ではラケットに黄色のボールが積まれていく。素直な良い子たちである。
一人残された私がその場でボール拾いに勤しんでいると、今度は入江がやってきた。フェンスの向こう側のボールを一つ二つとラケットに乗せながら、「ねぇ」と内緒話のトーンで語りかけてくる。
「修さんのウインク、どう思う?」
「種ヶ島センパイファンの子たちが練習そっちのけになっちゃうから、ちょっと厄介」
「止めさせたい?」
「どうやって?」
あんたにみんなメロメロになっちゃって練習の邪魔だからウインクは止めてと素直に言うのもなんだか変な話だし、そもそもそんな直談判したらあのお調子者はさらに気を良くするかもしれない。止めるのは至難の業なんじゃ?
肩をすくめた私に向かって、入江が楽しくて堪らないといった様子で手招きをした。大人しく耳を貸すと、彼は変なことを吹き込む。
「ええ? そんなの効果ある?」
「ふふ、とっても効果があるはずだよ」
「そうなの? こういうことだよね?」
認識の齟齬を疑った私は、口元に二本指を置き軽いリップ音と共に入江の方へ放ってみた。いわゆる投げキスというやつだ。果たして、私から今きちんとハートは飛んで見えただろうか。
先ほど吹き込まれた不思議な提案は「修さんに投げキスしてみたら良いよ」だった。あの種ヶ島が投げキスごときでどうにかなるとは到底思えないのだけれど。
私のやる気のない投げキスに満面の笑みを浮かべた入江は「そうだよそれそれ!」なんてはしゃぎながら空中で何かを掴むフリをする。どうやら彼にはハートが見えていたらしい。
「あはは、ちょっともう、掴まないでリリースしてよそんなの」
「なあ今のなに?」
「うわ、種ヶ島何しに来たの?」
「冷たない?」
「だってこの辺のボール拾いはもう入江が済ましてるよ」
「彼女に投げちゅーもらってたんだ」
私たちのくだらない応酬の隙間から入江が顔を出す。あざとく投げちゅーなんて言い方をしてもあんまり違和感がないのは流石だった。私には真似できない芸当だな。しみじみ頷いていると、カシャンと音を立てて私たちの境界線が揺れた。
種ヶ島の浅黒い指がこちら側とあちら側の間でわなわなと震えている。
「なんで奏多に投げちゅーしてたん?」
「種ヶ島のウインクを止めさせるには投げキスが良いってよく分かんないこと言われたから、試しに」
「そこは俺に試してや〜!」
種ヶ島の嘆きっぷりを見て、私は目を丸くした。入江は相変わらずにこにこ顔を保ったまま。疑って申し訳なかったなと心の中で反省しておいた。
「種ヶ島がそんなに投げキスフェチとは思わなかった。後輩ちゃんたちにも教えとくから、元気出して」
「いや、違、」
「プッ!」
「奏多……さっき掴んでたやつ、俺にリリースしてくれへん?」
脱力した様子の種ヶ島が、ケラケラ笑い声を上げる入江の肩を揺すぶった。なぜ私ではなく種ヶ島が入江に投げキスのリリースを求めるのか。おそらく、この場で私だけが話についていけていない。現代文の成績は二人よりは良いはずなのだけれど、男子のコミュニケーションは難解だ。
「ごめん、今ってどういう展開?」
男二人の戯れに声だけ割って入ったが明確な答えは返ってこない。動きを止めた二人はただお互いに真逆の表情を浮かべるばかりなのだった。