ぬいぐるみ

 久しぶりに男子テニス部レギュラーの面々が登校してきたと思ったら、彼らは世界大会の出場および応援のためにオーストラリアに向かうのだと言った。雑な世界地図を思い浮かべ、向こうは寒くなくて良さそうだなぁとぼんやり考えていた私を、仁王がつつく。

「俺がおらんで寂しくなるのう?」

 直接会えなくなるという意味では、合宿所に行っていた時と変わりないのだから今更の話だし、何より私たちは別に恋人同士というわけでもない。だからすげなく返事をしても良かったのだけれど、そうするのが惜しくなる程度にはお互い相手に期待があるのも分かっていた。

「寂しいのは仁王の方なんじゃないの?」

 肯定でも否定でもない回答ではぐらかすと、隣の席の仁王はくくくと笑って頬杖をついた。

「そうかもなって言ったら?」

 瞳を怪しく光らせて私の反応を待つ。もしかしたらオーストラリアへ誘われているのかもしれないと都合の良い解釈をしかけたが、仮にそうであったとしても学校をほっぽり出して急に海外に飛ぶ行動力はあいにく持ち合わせていない。

「そうだなぁ……あ!」

 考え込んだ私は、しばしののち天から降りてきた名案に手のひらを打った。

§

「オーストラリアは暑いんだね。毛皮は脱げないから大変!」
「今日はコアラに会ってきたよ。僕の方が可愛いけどね」
「日本がドイツに勝ったよ! ナマエちゃんも観てた? 僕は特等席で観てたんだ!」

 仁王とのトーク画面は、彼らしくない柔らかで可愛らしい言葉遣いのメッセージで溢れていた。一文に合わせて送られている画像には、仁王本人の姿はなくその代わり私が大事にしていたぬいぐるみがオーストラリアを満喫している様子が写っている。今日の分では、プラスチックの座席にぬいぐるみくんが悠々と腰掛けテニスコートを見つめていた。ピントの合っていないぼやけた赤と白の人型が日本代表選手の姿であるならば、これは大会出場メンバー用ベンチということになるのだろう。こんなことして怒られないのかな。そう心配しながらも私は頬を緩ませる。
 出国前、寂しいを偽った彼に「この子を私だと思ってオーストラリアに連れて行ってもいいよ」とあのぬいぐるみを押しつけた結果がコレだった。仁王が誰にでもなりすますことができるのはよく知っているが、まさかぬいぐるみにまでなりすまし連絡をくれるとは。
 毎日欠かさずわざわざオーストラリア生活の写真を撮ってメッセージを考える仁王のことを想像すると笑えてくるとともに、彼の日常の中に私の存在を組み込んでもらえているようで嬉しかった。
 これまでこちらから仁王に対してメッセージを送ってみても、その返事はぬいぐるみくんが担っており設定がブレることはなかった。そのため、会話のラリーを続けていくうち本当に相手が仁王ではない気がしてしまって、ついつい私の口も軽くなった。

「私も試合観てたよ。仁王に、お疲れ様、かっこ良かったよって伝えておいて」

 最新のメッセージにそう返し、既読が付いた後ハッとする。どちらが先に好きとこぼしてしまうかで競っているような距離感を続けていたのに、向こうのペースに飲まれて普段よりうんと素直に好意が言葉になっている。
 きっとこの競い合いで私が負けるのは時間の問題なのだけれど、彼の手のひらで易々と転がされていることが少しばかり気恥ずかしかった。

「わかった。仁王くん、きっと喜ぶよ」

 けれども仁王、もといぬいぐるみくんはそれを茶化したりせず、ほんの少し日に焼けたように見える彼とのツーショットを送ってくれたのだった。

§

「もうすぐお家に帰るよ。はやくナマエちゃんに会いたいな」

 見覚えのある公園のベンチでひと休みしているぬいぐるみくんの写真を見た私は、慌てて家を飛び出した。マフラーを忘れたため首元が冷えるが、取りに戻る余裕などない。私だって一刻もはやく会いたいのだから。
 息を切らせて登場してしまえば仁王は「やっぱり俺がおらんで寂しかったか」とニヤニヤ目を細めるだろうか。そうだとしても、あんなかわいいメッセージをもらって舞い上がらずにはいられない。
 日々の運動不足がたたってダッシュのスピードが落ちかけた頃、向こう側から歩いてくる仁王の姿が見えた。スマホに視線を落としておりまだこちらに気付いていない様子だが、彼の右腕に抱えられたぬいぐるみくんとは目が合った気がした。

「仁王!」

 スピードを保ったまま突っ込むと、顔を上げた彼が私を軽々と受け止めた。スマートな動きと裏腹、目を丸くしているのが意外だった。

「おまん走って来たんか」
「うん、おかげで汗かいてるよ」
「家で待っておけば良かったじゃろう」
「寂しかったから、はやく会いたくて」

 もう何もかも今さらだと開き直って、思ったままを口にした。顔が熱いのはここまで走ってきたことだけが理由ではないのは明らかだった。
 びゅうと吹いた北風が心地良い温度で頬を撫でてゆく。それを浴びながら見つめた先で、仁王は抱えたぬいぐるみと目を合わせた。

「会いたかったって、こいつに?」
「仁王とぬいぐるみくん、両方に!」
「ほう……ずいぶんと素直じゃな」

 彼はやはり目を細めたが、想像と違ってニヤニヤとからかうような気配ではない。どちらにせよ、メッセージを見た瞬間もう意地っ張りな態度を止めると腹を括っていた私にとっては些細なことだけれど。

「うん。仁王に好きって言わせたかったけどどうせ既に好きなのバレバレだし、もう私の負けで良いかなと思って」
「……案外そうでもないぞ。スマホを見てみんしゃい」
「うん?」

 仁王が顎をしゃくって私を急かした。促されるまま、かろうじて引っ掛けて来たコートのポケットからスマホを取り出せば届いたばかりの通知が一件。開いてみるとポコンと気の抜ける音とともに画面に「俺もはやく大好きなナマエちゃんに会いたいぜよ」との文字が連なった。

「えっ!」
「どうやら引き分けみたいじゃな」

 右手はそのままに、仁王が私をすっぽり抱きしめる。走って汗かいてるから一旦待って! などと慌てふためく私の反応を面白がってか、彼は私の背中へ回した左腕の力を強めるばかり。流石、W杯で大活躍したスポーツ選手なだけあってこっちが暴れたってびくともしない。
 どうやら抵抗するだけ無駄みたい。
 観念して彼の体へ腕を伸ばせば、私たちの間にぎゅうぎゅう挟まれたぬいぐるみが笑っているように見えた。

back
top