夢か現か
人だかりの中心には男子テニス部レギュラー陣の姿があった。歓声をあげる女の子たちに向かって、彼らは笑顔を浮かべたり手を振ったりとサービスに余念がない。
なぜか人だかりの波にのまれている私はというと、人気アイドルのような振る舞いをする見知った顔に驚いてしまって、すっかり木偶の坊と化していた。その場から動くこともままならずただ目を丸くしていると、レギュラー陣の中で唯一すまし顔でファンの女の子を見渡すばかりだった仁王が、ふとこちらを見た。
視線が交わる音が鳴った気がした。たちまち彼はニヤリと慣れ親しんだ笑みを浮かべ、その長く細い指を持ち上げ私を差した。そして、複数人の視線が集まる中パチンとウインクをひとつ。私がハッと息を飲むと同時に周囲のボルテージは跳ね上がる。黄色い悲鳴が響き渡っているはずなのに、それがちっとも耳に入らなくなるほど自分の心臓が大きく脈打った。
──なんてものを見ているんだ、私は。
ベッドから起き上がりながら先ほどのありえない夢を振り返り、苦笑いがこぼれた。確かにテニス部のみんなは女子に人気があるけれど、それにしたってアレはないだろう。ぎゃあぎゃあとかしましい集団に真田が雷を落とさないわけがないし、何よりどうして私が仁王のウインクを受けているんだか。
あの一瞬の光景を思い出すと、夢の中の自分のリアクションに引っ張られるのか落ち着かない。はぁ、さっさと顔を洗って切り替えよう。しばらくすればきっと冷静になって、笑い話にできるはずだから。
§
「なーんか今日は目が合わんのう?」
「……そう? 気のせいだと思うけど」
こちらに身体を向けたまま隣の席に腰掛けた仁王は机に片肘を付き、じろじろと分かりやすく熱視線を注いでくる。対する私の目線は、斜め上に飛んだまま。
仁王雅治相手にこのような反応を返すのは、どうぞつついてくださいと言ってるようなもので愚かな行為だ。そんなのは分かっている。分かっているけれど、どうにもその顔が直視できない。
今朝見た夢が学校に到着してなお尾を引いていた。集団の中から目ざとくただ一人を見つけウインクを飛ばしたのも、それを見てときめいたのもあくまで夢の中の私たち。現実の私たちはただの友達で、仁王は私にウインクを飛ばしたりなんかしない。
そんな当然のことはきちんと理解しているのに、現実の仁王を前にするといつも通りを装うことすら難しかった。仕方がないのでボロを出さないよう、今日一日中できるだけ自然に避けていたつもりだったがこの男が些細な違和感を見逃すはずもなく。
「強情じゃのう。何があったか当ててやろうか」
「だから何もないんだってば」
「そうじゃな……俺に関する良からぬ噂を聞いたか、はたまたいかがわしい夢でも見たか……」
「いかがわしくはないから!」
反射的に勢い良く言い返してしまい、とうとう本日初めて仁王の顔に焦点が合った。いろんな意味でしまった! と思ってももう遅い。身体の中心がドッと音を立てて、顔に熱が集まってくる。
「プリッ、いかがわしくはない夢か」
「最悪……誘導尋問!」
「引っかかる方が悪いぜよ。それにしても、珍しい反応じゃ。……なあ?」
仁王は悪巧みをするような表情で顎をさする。口の端を釣り上げているわりに、次の出方を考えているのか目は笑っていない。逃げられない! のテキストボックスが幻覚のように脳裏にチラつく。
私が言いたくなさそうにすればするほど彼は面白がってそれを暴こうとするし、このままではまたも誘導に引っかかるのは必至。予期せぬ方向からの攻撃で全てを引っ張り出されるよりは、自分から言葉を選んで正直に話した方がマシな気がしてならない。いよいよ諦め、仕方なく視線を下に落とした。
「……夢でテニス部みんなアイドルみたいになってて。仁王もファンサとかしてだもんだから、なんか顔合わせるとヘンな感じがするの」
肝心の部分は見事に伏せて真実を話した。からかわれるかもしれないが、もう問い詰められやしないだろう。しかし彼は前髪の隙間を縫ってしげしげと私を見つめ、可笑しそうな声を上げる。
「へえ、ファンサっておまんだけに?」
「なんで分かるの! ………まただよ、最悪」
「なんでも話してくれて助かるナリ」
「話すつもりなんてないのに……! なんでバレるかな」
自分の間抜けっぷりに頭が痛い。うらめしい気持ちを取り繕いもせず肩を落とせば、彼は種明かしをするかの如く声を潜めて囁く。
「まあ今のは、確信があったわけでもカマ掛けたわけでもない。ただ、現実の俺だったらそうするって思っただけぜよ」
そうして稀代の間抜けに向かって、嬉しそうにパチンとウインクをひとつ。夢の焼き直しのような光景に再びハッと息を飲んだ。
夢と違って私たちの様子に気付いているギャラリーはいない。悲鳴も当然聞こえない。けれど私の心臓はやはりうるさいままだった。
「いつもひとりだけを探しとるからのう。見つけるのも簡単じゃき」
「それは……どっちの仁王の話……?」
「さて、おまんはどう思う?」
楽しそうに問いかけてくるその瞳の奥で、何かのカケラが光った気がした。もしかしたら、私の胸の底にしまわれているものと同じかもしれない。
いいや、また何かペテンにかけられようとしているだけの可能性だってある。この男は油断ならないのだから。一度落ち着くべきだろう。そもそもここまで含めて夢なのでは?
一度深く深呼吸した賢い賢い私は、試しに自分の頬をつねってみる。
「……」
当然広がった痛みに目を丸くしている間も、アイドルでも何でもない、私の好きな人は答えを待っている。