革命前夜のイントロ
サボにとってナマエの存在はただの仲の良い同期であり、それ以上でもそれ以下でもなかった。コアラやハックと同じ、未来を志す仲間の一人。それだけだった。いや、むしろサボの肩書きが“参謀総長”に変わってからは向こうの方から距離を置き始めたこともあり、一時期は印象が良くなかったかもしれない。
少なくとも彼女が自分のことを名前ではなく「参謀総長」と呼んだ時、サボはひどくカチンときたことを覚えている。確かにナマエは戦いには向いていない。それ故自然とドンパチに巻き込まれかねない任務からは遠ざかる。仕方のないことだ。出来ないことを無理にするよりも、出来ることをしっかりこなす方が良いに決まっている。なにも国がひっくり返るその瞬間だけが革命というわけではないのだから。国の実状を調べたり、黒幕を突き止めたり来るべき日に備えるための諜報活動も、革命には不可欠な任務だ。
ナマエにはその才能があった。人好きのする笑みで国民から正直な生の言葉を聞くのはお手の物。裏付けのための潜入捜査ではどんなキャラクターでも演じきったし、ひっそり息を潜めて書類をちょっと拝借なんて皆が驚くような手柄もあげる。だというのに彼女は、戦えないというだけで必要以上にうしろめたさや劣等感を感じているようだった。サボはそれがどうにもこうにも気に食わず、「そっちがその気なら、おれだって」と彼女からフイと顔を背けた時期があった。
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軍のトップらが連れ帰ってきた子どもは自分の名前も覚えておらず、もちろんそれ以外の記憶も持たなかった。同年代の子はそう多くなかったため、ナマエとサボはよく一緒に過ごし、この世界で生き残るために不可欠な訓練を共にした。
類稀なる身体能力をしていたサボは、戦闘訓練においてめきめきと頭角を現した。「恵まれてるやつはいいよな」と誰かが悔し紛れの愚痴をこぼすたび、ナマエはそれに白い目をむけた。確かにサボの身体能力には自分も驚かされてばかり。しかし、彼のいちばんすごいところは諦めないところなのだ。年上の、自分より体格のいい相手に何度倒されようと投げられようと、彼は必ず立ち上がった。自分もあんな風になれたらいいのに、と思うだけで起き上がれないナマエは投げられて痛んだ足を抱え、じっと不屈の幼馴染を見つめていた。あの時抱いていた感情はきっと自分の手の届かない光への憧れや尊敬だったのだろうと感じている。
火拳の記事を見たサボが気を失ったあと、いちばん甲斐甲斐しく彼の側に付いていたのは他でもないナマエであった。丁度任務が与えられていなかったし、何より彼女はサボが再び立ち上がることを心から信じていた。傷付いても傷付いても諦めない彼の姿は昔から目に焼き付いて離れないのだから。
人気のない医務室であっても、白い枕に散る金糸を指ですく勇気の一つさえナマエにはなかったが、サボが魘されるたびにその手を掬って握った。少しでも孤独から、そして罪悪感から解放されますように。凍てつく胸のうちが、温まりますように。
時折とんでもない力をしたサボが握り返してきて、その度にナマエの手は軋んだが構わなかった。祈りとともに、ナマエは眠るサボによく声を掛けた。思い返してみると、傷心している相手に投げる言葉ではなかったかもしれない。しかし自分で自分を責めることがどれほどつらいのかを、ナマエはよく知っていたのだ。
「任務先でたまに火拳とか麦わらのことを聞くことがあるの。実際に会ったって人はみーんなファンだって言うから、変な海賊と思ってたんだけどサボくんの兄弟なら納得かも。あ、でも食い逃げ被害店も沢山あったんだよね。サボくんも昔は一緒になってやってたりしてね」
「2人とも、サボくんがあの場に来てくれなかったことに怒るような兄弟じゃないでしょう?きっと。だってサボくんの兄弟だもんねえ。破天荒で明るくて優しくて笑顔が眩しいんだろうね」
「そろそろ起きないと、ご飯五食は食いっぱぐれてるよ。もったいないなあ、今日のお昼なんてラーメンだったのになあ」
「サボくんが居ても居なくても、火拳の結末が変わったかなんて誰にも分からないよ。私も、任務の情報収集が不十分で後悔したことたくさんあるから、ほんの少し気持ちは分かるよ。お前なんかと比べるなって言われたら返す言葉もないけど、あの時こうしてれば……って思っても、それが何かを解決したかなんて本当に分からないんだよね。……どれだけ嘆いても意味なんてないし、生きてる側にできることって、前を向くことだと思うんだ。少なくとも私はそう信じてる」
「まぁでもサボくんは仕事しすぎだったし、今回はいい休暇になるのかもね。それじゃ、私はサボくんの分も働いてくるとしますか。なーんてね、行ってきます」
サボが目を覚ましたのはナマエが任務に出た直後のことだった。恐る恐る声を掛けてきたコアラに「もう大丈夫だ」と返事をすると、号泣されそれはそれは大変だった。
エースが死んでしまったと言う事実は思い出すたびにじくじくと胸を痛ませたが、自分がこうしてただ燻って腐っていくところを兄弟たちが見たら顔をしかめるに違いない。意識があったかなかったのかも分からないような高熱の中、ずっと聞こえていた声がそう諭してくれたのだ。信じてると語りかけるような優しい声音は、まるで真っ暗な海で見つけた灯台だった。一生分の恩を受けた気分だった。
「おれが臥せってる間、声かけてくれてありがとう」
「それ、私じゃないよ」
コアラは涙を目に溜めたまま首を振った。
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「あら?総長、おはよう」
「ン。お前は任務帰りか……じゃなくって。えーっと、あん時は驚かせて悪かったな」
「いえいえ。これまでずっと働きづめだったんだし、長めにお休みするくらいでちょうどいいと思うよ」
三ヶ月を超える長期任務から戻ったナマエが珍しく積極的に声をかけてきた。動揺を抑え他の仲間たちにも伝えている謝罪を口にすると、彼女は疲れた顔一つ見せずからからと笑った。今回ナマエが駆り出された任務は、元々サボが参加する予定のものだった。幹部の抜けた穴は大きかったため、ナマエ以外にも数人のメンバーが急な任務を入れられたと聞いている。それでも人手不足だったのか、目の前の彼女は少し痩せたようにも見えた。だと言うのに、少しも苦言など呈さずそれどころか「もっと休みなよ」なんてのんびり言い始める。こういうふわふわした雰囲気が、諜報活動で真価を発揮するのかもしれない。
「十分休みはもらったよ。この礼は必ず、」
「私は自分の望む世界のためにお仕事してますので。参謀総長って立場からならまだしも、サボくん個人に感謝されるようなことじゃないよ」
想定外の返事に呆気に取られるサボを尻目に、それじゃあと言い残したナマエは通路を通り過ぎる。ある種ドライな物言いは、あの暗闇の中でサボを掬い上げてくれたものに良く似ていた。当の本人はその時の話をする気がないらしいが。なんでこんなところばっか男前なんだよ。そう思いつつ慌ててその手首を掴んだ。自分の指で作られる輪に収まるどころか、それよりももっと細い手首にサボはドキリとした。力を入れれば粉々になりそうだ。こんな細い身体で、自分の穴埋めに尽力してくれたというのか。
瞠目するサボの方へ、不思議そうな顔をした彼女が振り向いた。
「どうしたの?報告なら直接ドラゴンさんに、」
「……ナマエ、おれを1人にしないでくれてありがとう。お前の声ずっと聞こえてた」
「…………え?」
「おれが意識を失ってる間、ずっと側にいてくれたんだろ?」
「ま、まさか覚えてるの?!」
「全部じゃないかもしれねェけど、いくらかは」
「な、な、な、生意気な口きいて申し訳ありませんでした!!!」
言うが早いかナマエは脱兎の如く逃げ出した。耳まで真っ赤になっている後ろ姿が廊下の突き当たりを猛スピードで右に折れる。ひどく慌てているのか、向こうからは派手に物を落とすような音が響いた。
……逃げられると追いたくなるって生き物の性を知らねェのかな。ま、急ぐ理由もねェし、まずはアイツの訳の分からない劣等感を何とかしないと始まんねェ。そんで、少しずつ逃げ道を塞いでやろうかな。
ニッコリ笑うサボに、数年後彼女はチェックメイトをかけられることとなる。それまでにじわりじわりと逃げ道を封じられていくことに、彼女は全く気づかないのであった。
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