仰せのままに

 この船いちの働きものは、きっとサンジだ。コックとしてみんなに三食美味しいご飯を作ってくれるだけでなく、素敵なデザートも食べさせてくれるし、敵襲があれば前に出てその長い脚で相手を蹴散らす。情けない話ではあるが敵の攻撃によろめいた私を支えてくれたことも、何度もある。それに加えて、全員で持ち回りの不寝番も当たり前にこなすし、シケに遭遇すれば畳帆に奔走する。いつも動き回っているサンジが座っているところを、私はあまり見たことがない。

 隣のナミにデザートが出されるのを横目に、私はパスタをフォークに巻きつける。今日も今日とてサンジのご飯は美味しいけれど、当の本人はゆっくり席に着く間もなく給仕に忙しない。
 私は食事時にみんなと言葉を交わすのが好きだけど、サンジとはあまりそういう機会がない。一緒にゆっくりご飯を食べられるのは、上陸した島の店で食事する時くらいだ。それがなんだかもどかしい。私はサンジともゆっくりご飯を食べたいのだけど。
 うちの優秀な航海士によれば、数日のうちにレッドラインにほど近いローグタウンに着くそうだ。その島を越えればいよいよ私たちはグランドラインへ入ることになる。冒険はさらに過酷になるだろう。なのに、今のうちからこんなに忙しいサンジは、そのうち目を回してしまうんじゃないだろうか。
 分かりっこない未来を案じながら食事を進めていると、遠くから腕が伸びてきた。恐らくサラダに盛られている生ハムを狙う行儀の悪いそれに私はナイフを突き立てる。トンと響いた音に、一同の視線が集まったが、珍しくもない光景にみんなすぐ興味をなくす。すんでのところで避けたルフィは「お前それ刺さるところだったぞ!」と非難の声を上げた。

「人のモンを盗ろうとするのが悪いんでしょ。それにちゃんとギリギリ当たらないようにしてるし」
「良いも悪いもあるか! おれは海賊だぞ!」
「一理あるな。でもそれを言うなら私も海賊だし、反撃くらいするよ」
「……それもそうだな!」
「おいクソゴム! レディの皿に手ェ出してんじゃねェ!」

 私たちのくだらない言い争いに割って入ったサンジの傷ひとつない手が、ルフィの頭をスパンと叩く。こうやって彼が上手く仲裁してくれることも少なくない。その様子を眺めながらやっぱり、何だかなあ、と思うのである。
 サンジにはもう少しゆっくりできる時間を持って欲しいなと常々考えているけれど、当の本人は現状に満足しているらしい。その証拠に、少しでも手助けになればと考え皿洗いを申し出たときには、やんわりと断られた。まだまだ短い付き合いではあるが、それでも、優しすぎる人だなと常々感じる。

「そんなに見つめてたら穴が空くわよ」

 ナミにつつかれた私はハッと我に返った。気づくと他のみんなはとっくに席を後にしている。ナミのお皿もテーブルの上から無くなっていた。

「そんなに見てたかな」
「無自覚? 厄介ねぇ」

 そう残してナミも席を立つ。部屋で海図を描くそうだ。その背を見送ると、部屋には私とサンジだけが残された。



 一気に静かになった部屋で私はようやくデザートに口をつけていた。私は確かに海賊船に乗っているのに、こうしてサンジが作ったものを食べている間はまるで高級レストランに居るような気分になる。陸で生活していた時だってこんな美味しいものは食べられなかった。なんて贅沢で幸せな生活だろう。
 向かいの席にマグカップを持つサンジが座った。私が思考を飛ばしている間に、また軽くつまむようにして食事を終えたらしい。部屋にはタバコと紅茶の香りが充満している。私がほんの一瞬漂う煙に視線を這わせると、彼は何も言わずすぐにタバコを揉み消した。女性への気遣いは本当に細やか。病的な女好きが治れば、彼女の一人や二人すぐできそうなものだけど……。いや、二人できたらまずいか。

「なぁナマエちゃん。料理、お口に合わなかった?」

 テーブルに肘を乗せたサンジが、困ったように首を傾げた。金糸の隙間から意外と大きな瞳が見え隠れしている。またもぼぅっとしていた私はスプーンを咥えたまま目を丸くする。

「いつも通りとっても美味しかったよ? どうして?」
「そう? 今日は随分ゆっくり食ってたから、気になって」
「あぁ……ごめん」
「いや、謝ることはねェよ。でも、何かあったのかい? 今も上の空だったろ? もしかして具合が悪ィとか……」
「ううん。ちょっと考え事」
「どんな?」
「サンジのこと」
「え」

 音を立てて顔を上げたサンジは口をあんぐり開けていた。もし、あのままタバコをくわえていたら、落として火傷をしたかもしれない。お互いにじっと見つめ合ったまま、固まること数秒。思い出したようにバッと顔を覆った彼の耳が少し赤くなっている。
 ちょっと揶揄うつもりでの返事だったけど、まさかこんな反応をされるとは思わなかった。てっきり、いつものメロリンなサンジになるとばかり。

「そんな反応されると私まで照れちゃうな」
「……今の不意打ちは効いたよ」

 あー、かっこ悪ィ……。サンジはそう呟きながらタバコに火をつけようとして、やめた。代わりに唸って頭をガシガシかいている。

「吸ってもいいのに」
「ナマエちゃんが食い終わってからにするよ。……それより、おれのこと考えてたってどういう意味なのか教えて欲しいなァ……なんて……」
「うーん、言ったらサンジを困らせちゃうかも」
「君のワガママを聞けるなんて役得だ」
「今日も口が上手いね」
「本心さ」
「ふふ。あのね、サンジと一緒にご飯を食べながら話しがしたいなって考えてたの。そしたらサンジもゆっくり過ごせるかなって思ってさ。まぁ、考え事してたおかげで結局今こうしてお喋りできちゃってるけど」
「ゆっくり?」
「うん。サンジはすごく働きものだからたまにはひと休みもいいでしょ?」

 そう笑って、美味しいムースの最後のひと掬いを味わう。ナマエちゃんは優しいなぁ。独り言のように呟きながら、彼は私の分の紅茶を注いでくれた。ティーカップの中で湖面が船と同じように揺れている。優しいのはどう考えてもサンジの方だ。

「デザート美味かった?」
「もちろん! この紅茶もね」
「そりゃあ良かった」

 紅茶には明るくないため種類はわからないけれど、少なくとも私が自分で淹れてもここまで美味しくならないだろう。飲み干したらこの時間もお開きになるかなと思い、ほんの少しだけ口を付けてカップを下ろせば、サンジと目が合った。
 下げられた眉とは対照的に、瞳は熱を帯びている。どくんと手首の内側が脈打った。サンジくんの様子は、普段私やナミに向ける雰囲気とはどこか違う。少し怖いような心地もするけれど、不思議と目を離せなかった。なんだか息を忘れてしまいそうだ。
 なぁナマエちゃん。ひと呼吸おいてサンジはゆっくり切り出した。

「……おれとお喋りしたいって言うのは、つまり、期待してもいいのかい?」

 あ、と声が漏れる。するりと伸びてきた彼の小指が、私のそれに優しく触れた。ただそれだけのことなのに、どうしてだろう。顔が熱い。
 戦闘中、不注意でサンジにぶつかったときには、こんな風にはならなかったのに。きっと、深い海を映したみたいなあの真剣な目のせいだ。
 すり、と爪を撫でられて、飛び上がりそうになる。けれども彼の綺麗な指を振り払うだけの理由が自分の中に見当たらなかった。さっきのナミの呆れ顔が脳裏に蘇る。恋のこの字も知らないような私だが、この忙しなく跳ね上がる胸の音は……。

「ナマエちゃん、」
「……と」
「と?」
「取り敢えず、また明日もこうしてお喋りして、それで確かめてみるっていうのはどう、かな?」
「もちろん。答えが出るまでずっと付き合うよ」

 逃げの一手を打つ私へ、彼の小指が絡みついた。

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