ゆるやかに、そして

 人を好きになるきっかけは、案外些細なものだ。ほんの一瞬のたわいもない出来事が運命を大きく変えることなんてきっと珍しくないのだろう。人はみな、必然や偶然の折り重なった日常という名の奇跡の上に立っている。っていうのは、ちょっと、かっこつけすぎだろうか?


 不定期で開催されるマジック大会の主催は丸井だが、パフォーマーは毎度決まって仁王が請け負っていた。ちょうどお菓子を持っているところを見られたナマエが半ば無理矢理大会の特等席に通されたのは偶然だった。すぐ右手にはすっからかんの学校カバンが口を開けた状態で設置されており、その持ち主である丸井が「すげーと思ったらここにお菓子入れてくれよな。あ、現金はやめろよ?流石に怒られちまうからよ」と教室中に聞こえる声で説明をした。

「これさ、仁王は何も得しないよね?」

 ナマエは張り切る丸井を一瞥し、机越しに赤いシルクのハンカチを弄っていたマジシャンに声をかける。ハンカチの赤と彼の銀色で目をチカチカさせている間に、仁王は大げさに片眉を上げる。

「俺は驚いたおまんの間抜けな顔が見れたらそれで満足やき。ま、丸井にバイト代貰いよるけど」
「えっ、本当に?」
「ンなわけなかろう。嘘じゃ」
「なーんだ、くだらない嘘つかないでよ」
「くだらない嘘に引っかからんように生きんしゃい」

 切れ長の目がさらに細められたところで、パンと手を叩く大きな音がした。丸井が生じさせた音は開演のブザー。詐欺師によるショータイムの始まりだ。


§


「ね、もっかい見せてよ」
「もう諦めたが良いんじゃなか?」

 そう言いながらも仁王はハンカチを広げた。本日この演目はもう三回目だ。丸井のカバンはとうに満たされており、ショー自体はお開きとなっている。仁王の手元をじっと見つめるのは、彼の手品のタネを暴いてやろうと躍起になっているナマエだけとなった。
 事の発端は、仁王の手品を見ていたクラスの男子が「あ、俺それタネ知ってる」と声を上げたことだった。定番の初心者向け手品のひとつ、らしい。それを聞いた仁王は珍しく苦笑いを浮かべていた。
 その表情に、衝撃。
 この男の困った顔なんて初めて見たかも。私も手品のタネを突き止めて、仁王のポーカーフェイスを崩してやりたい。先ほどの会話でいっぱい食わされたナマエがそう思ってしまったのも、仕方のない話だった。

 仁王はひらりひらりとその赤を何度も翻して、ハンカチに仕掛けがないことをたったひとりの観客に見せつける。彼女が小さく頷いたのを合図にして、右手で握りこぶしを作るとその中にハンカチを詰め込んだ。

「いち、に、さん」

 仰々しくカウントを刻んだ仁王が手をひらくと、そこには赤は残っていなかった。ナマエは眉をひそめる。どういうタネがあるのかやっぱりさっぱり分からない。

「なんか分かったか?」
「もうちょっと。喉まで出かかってる」
「嘘つけ。今日は仕舞いぜよ」

 仁王は呆れた顔をして肩をすくめた。いつの間にかその右手に赤のハンカチが握られている。器用な男だなと感心しながらも、悔しさを隠しきれないナマエは口をへの字に曲げたのだった。


 それからというもの。
 ナマエはことあるごとに件の手品を見せてくれと強請るようになった。あの天邪鬼の仁王がなんだかんだ言いながらも彼女のわがままをきいてあげている様子は、最早珍しくもなんとも無くなっている。

「こんなところにいた」
「プリッ。おまん、日に日に俺を見つけるのが上手くなるのう」
「まぁね。私ってばエスパーかも。崇めて良いよ」
「アホか」

 校舎横の木陰に寝そべり瞼を閉じる仁王の隣に腰を下ろした。吹き抜けた風は生ぬるく湿っている。夏のような気温が続いているが、夏より先に梅雨が駆け足で近づいてきているらしい。季節の移ろいを前に、ナマエはまだ、彼にひと泡ふかせることが叶わないでいる。

「ねぇ、手品やってよ」
「しつこいナリ……負けず嫌いも程々にせんと、悪い男に引っかかるぞ」
「意味分かんない」
「ニブチンじゃな」

 仁王は目を開けないままクスリと笑った。よく分からないけれど、また馬鹿にされたということはなんと無く分かる。けれども、別に腹が立つわけでもなく、負けず嫌いの自分の心は穏やかだった。そう言う意味でもマジシャンだよなぁ、仁王は。ナマエは揺れる新緑を見上げた。
 あの日から必然的に仁王との会話が増えている。彼は案外表情豊かで、想像していたよりもずっととっつきやすい性格をしていた。“ああ言えばこう言う”という言葉がピッタリと感じるレベルで口は達者だが、その分会話の弾ませ方も上手い。頭の回転が速いのだろう。
 いつしか仁王にひと泡ふかせたいという性格の悪い願望より、彼との打てば響くような会話を楽しみたいと思ってしまっている自分のことを、ナマエはまだ認められないでいる。

「なーんか、悔しいんだよなぁ」
「そんなに手品のタネが知りたいなら、ネットで調べたらええじゃろ。すぐ出てくるぜよ」

 ひとり言を正しくない意味で受け取った詐欺師が片目を開けて呆れたようにナマエを見上げていた。真っ直ぐに目が合うと少し照れくさいので、テニス部のくせに驚くほど白い鼻筋を見つめ返す。

「それはマジシャンに失礼じゃん」
「マジシャンとはまた、詐欺師相手に珍しいこと言う」
「あんな手際よく魔法みたいなことするんだもん。マジシャンでしょ」
「……そいつはどーも」
「それにやっぱ、ネタバレ見たら負けだよ」
「タネがわからんで一生負けかもしれんぞ」

 脚で反動をつけて身を起こした仁王は、草の上でナマエと向かい合い胡座をかいた。左手には件のハンカチが握られている。
 ナマエはハッとして背筋を正す。三度目の正直なんてものはもうとっくに過ぎているが、今度こそ、正解にたどり着きたい。

「勝負をせんか」
「……私としてはずっと勝負してるつもりだったんだけど?」
「おまんは次、この手品を見破る。そしたら、マジシャンにご褒美をくれ」
「それ勝負になってないよね?」
「いいか?特大ヒントじゃ。ハンカチが消えたら右手をようっと見ときんしゃい」
「話聞いてる?」

 声を無視して仁王はいつもと同じ動きでハンカチを右手の握りこぶしに詰めた。ゆらゆらと風に煽られる木漏れ日が視線を奪おうと躍起になっていたが、ナマエは進言された通り彼の右手から目を離さなかった。

「いち、に、さん」

「……あ!」

 開かれた右手にやはりハンカチは入っていなかった。しかし、じっと仁王の細い指を目でなぞっていたおかげで、とうとう答えにたどり着いた。

「分かったか?」
「親指!」
「ご名答!……ここまでほんに長かったのう」

 わざとらしく涙を拭くような仕草をしつつ、仁王は右手の親指を抜いた。正しくは、右手の親指に嵌っていた指の模型のようなもの、だが。
 中には赤のハンカチが詰め込まれていた。一回気が付いてしまえば、なぜこんな簡単な事がわからなかったのだろうと頭をひねりたくなるほど簡単な結末だった。

「小道具使ってたなんて全く気がつかなかった……」
「タネから意識を逸らすのがマジシャンの腕の見せ所じゃき」

 フッと仁王が柔らかく目を細めた。穏やかな笑みにナマエの心臓がひっそり大きく跳ねた。

 あれ、今のはいったい……?

 予想だにしていなかった自分の反応に驚いて胸元に手を当てる。ここ最近の仁王と過ごした時間が次々に浮かんでくる。こういうのも今日で終わりかと思うと、私はどうやら心底寂しいらしい。……寂しい……?

───つまり、これは。私は。

「おい、どうかしたか?顔が赤いぜよ」
「……い、いや、ちょっと自分のチョロさにびっくりしてて……。そっちこそ、マジシャンへのご褒美って結局、何?」
「いや、やっぱりええわ。本人が自力で気づいたらしいけ、俺がわざわざハッパかけんでも良さそうじゃ」
「……は?」

 “些細なきっかけ”はな、往往にして周到に準備されとるもんよ。
 そう耳打ちした詐欺師は屈託無く笑う。合点がいったナマエは「一体いつから……」と呻きながらさらに顔を赤くしたのだった。

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