花盗人が見せる夢
※テニラビイベントネタ
目の前に置かれた白いティーカップからはダージリンのいい香りが立ち上っていた。向かいのソファに腰を下ろした柳生は自分のカップに口をつけて満足そうにひとつ頷く。彼は茶色の湖面を眺めるばかりのナマエに「どうぞ」と声をかけたが、残念ながらナマエは優雅にティータイムという気分でもなかった。
「今日は一体何の用?」
「おや?貴女ともあろう方が何もお気づきでない?」
含みのある発言にナマエは押し黙った。眼鏡の向こうから切れ長の瞳がこちらの様子を伺っている。“彼”と本当によく似ている。そう思った。
立ち居振る舞いがかけ離れているため大多数の人間は彼らが似ているなどと思いもしないが、実際顔のつくりだけで言えば二人は双子のように瓜二つだった。“彼”とそっくりの目で見つめられると、ナマエはどうにも座りが悪くなる。もぞもぞと身動ぎする自分を見て、柳生が小さく笑っているのを感じた。
今日こうして呼び出されている理由に心当たりが一つもないと言うと嘘になる。それどころかナマエ自身、柳生が切り出そうとしている推理に辿り着いていた。
知的な雰囲気でありながら探偵というやや奇特な職についている柳生が現在追っているのは、巷で噂になっている謎の怪盗の正体だ。盗むものは、美術館に展示されている宝石だったり、民家に飾られた古めかしいオルゴールであったり、値段に関わらず実に様々。しかし、その怪盗はそれらを華麗に盗みそして決まって現場にトランプを一枚残していくそうだ。怪盗はひとつところに長居はせず同じ街で事件を起こすのは十三回までだと新聞で読んだ。そのカウントダウンとしてキングから順にトランプを残していくらしい。先月の事件で現場に残されていた手掛かりがダイヤの2だったという話は、つい最近柳生に聞かされたばかりであった。つまり、次回が怪盗との最後の対決となる。
柳生はソーサーに戻したカップをローテーブルに置き足を組んだ。
「貴女は仁王くんのご職業をご存知ですか?」
「建築関係の会社に勤めていると聞いているけど」
「本当に?」
「……あなたは仁王を疑ってるわけね」
「私としてもできれば彼を疑いたくありませんが……。しかし、ナマエさんも“そう”なのでは?」
軽く笑う柳生を一瞥し、深く息を吐く。
この街で仁王と出会ったのは約1年前。そして、街に初めて怪盗が現れたのも同じ時期だった。さらに、先日仁王の懐から滑り落ちたダイヤの2とAのトランプを確かにこの目で見たのだった。
柳生と違って探偵でもなんでもないナマエだが、「もしかして?」が積み上がってしまうのも無理のない話である。恋人がかの有名な怪盗だなんてフィクション小説よりよほど夢物語のようだが、可能性を完全に否定することはできなかった。
本当に彼が怪盗だとしたら……。次の事件が起きてしまえば彼は、仁王は、私の前から忽然と姿を消してしまうのだろうか。こんなに好きにさせておいて、残酷なことだ。
ふと、音もなく近寄った柳生が黙りこむナマエの手を握った。ナマエは驚いて顔を上げる。ひどく冷たい手だった。
「ナマエさん、真実を知りたくありませんか?実は先日、予告状が届きました。二日後日没ごろにA氏の屋敷にいらしてください。貴女には全てを知る権利がある」
§
バツンと音がして屋敷の電気が消えた。
現場に待機していた人々の慌てふためく声を聞きつつ目が暗闇に慣れるまで壁に手をついていたナマエは、近づいてくる気配にハッとした。「よう来たのう」と囁いた声とその香りには確かに覚えがあった。
「仁王!」と思わず声をあげそうになったナマエの口を彼の手が塞いだ。ひどく冷たい手だった。この場へやってきた時の柳生の驚いた顔を思い出す。一瞬にして走馬灯のようにいくつかの「もしかして」が駆け巡った。
しぃ、と笑いを含んだ吐息へ理解の相槌を返せば、今度は浮き上がるような感覚がして足が地面に別れを告げた。漏れそうになる悲鳴を噛み締めたナマエは、暗闇の中手探りで彼の首元にしがみ付く。彼の傷んだ髪が指先に触れる。ざらざらと指に残る感覚を一生忘れることはないだろう。
彼と出会ってからというもの、毎日が非日常のようだった。そしてナマエは、それが愉快で愛おしくてたまらなかった。
抱えられたまま月明かりの元へ躍り出ると、見覚えのないコートを着せられていた。息を切らせることもなく走り続ける仁王は、新聞の一面を飾ったことのある怪盗と同じ格好をして、真っ白のマントを靡かせている。あの写真と違うところと言えば、顔隠しの仮面が無いことと、髪の色だけだった。もしかしたらベストの色も変わっているかもしれないが、所詮比較対象は写真だ。あまり自信がない。
離れたところからサイレンが聞こえて来る。さっきまで自分がいたはずの屋敷はずいぶん遠く、後ろにそびえ立っていた。仁王にはこれまでもたくさん驚かされてきたが、今回のはとびきりだ。冗談抜きでとんでもないことになっている。
黙って屋敷の高い壁面が赤むのを見つめていると、スピードを落とした仁王は恭しく彼女を降ろした。あってないような高さしかないヒールにも関わらず、膝が笑って足はフラつく。咄嗟に出された仁王の腕に掴まり顔を上げれば、細められた新月と視線がかち合った。
「夢見心地、って顔じゃね。俺の正体には薄々勘付いちょったと思っとったが」
「うん……でも、だからこそ、私、ここに置いていかれるとばかり……」
「ハハハ!怪盗が欲しいもんを無条件に諦めるわけなかろう!」
ずっと狐につままれたような顔をしているナマエが呟くと、仁王は弾けるように笑った。仮面も含みもない笑みは彼を随分幼く見せた。
ナマエは怪盗の明け透けな物言いに耳の先を赤くする。満足そうに眉を上げた仁王は、自分にくっ付くナマエを、先に停めてあった車へエスコートした。小さなクリーム色の車はいつの間に準備されていたのか。車体には枯れ葉がちらほら落ちていた。
「車…?」
やや狭そうに運転席に乗り込んだ仁王はいつの間にかパーカーへ着替えを済ませていたが、ここまで衝撃の連続だったためナマエも最早その程度では驚かなくなってきていた。
聞かれないことには答えないスタンスの仁王は、彼女の口にした問いかけに頷いた。
「すぐ検問が始まるじゃろうから、長くは使えんけどな。……降りるなら、チャンスは今だけぜよ」
仁王が急に声を潜めて真面目な顔をしたため、ナマエは口をつぐんだ。また、試すようなことをする。この男は。わざわざ助手席を開けて自分を押し込んだくせに、こうして突然パッと手を離すなんて。
まさに掴みどころのない人。それでいて、優しいひと。こちらを窺う瞳が揺らめいていた。
「怪盗なのに狙った獲物をみすみす逃しちゃ駄目でしょ」
呆れを滲ませるナマエの言葉に一瞬虚を衝かれたかのような表情を見せた仁王だったが、すぐ我に返り助手席の“お宝”へ花を一輪差し出した。手品のように一瞬にして現れた花の茎にはラッピングの代わりか、リボンが結ばれている。
「ほいたらコレ。記念やき、おまんにやる。……もう逃してやれんからな、覚悟しんしゃい」
瑞々しく咲き誇るそれの持ち手の棘はきちんと処理がなされていた。どこから取り出したのかも分からなかったし、花の種類には明るくないナマエだが、それが薔薇の花だということは分かる。そう言えば今晩の現場となった屋敷にも綺麗な薔薇園があったのではなかろうか。
「覚悟なんてとっくにできてるよ!ねぇ、もしかしてこれは今日のお宝?」
「いや、それは、」
「待ちたまえ!」
「おっと!」
車内の内緒話を遮った大声には聞き覚えがあった。バックミラー越しに怪盗の視線を辿ると、その先には肩で息をする柳生の姿があった。好敵手、という表現がぴったりの二人だ。鋭い眼差しがミラー越しに交わり、空気がピリリと張り詰めている。
長いようで短い沈黙を経て、仁王は窓から身を乗り出した。いつもはきちんとセットされている探偵の前髪が跳ね上がっているのを見て、くつくつと喉を鳴らしている。
「ずいぶんお早い到着じゃのう、探偵殿」
「抜け道を複数作っていたのが裏目に出ましたね。……これ以上罪を重ねるのはよしなさい。誘拐ともなると罰はさらに重くなりますよ」
様子を見守るだけだったナマエは、ハッとして声を上げた。誘拐?冗談じゃない!
「ごめん柳生!」
「……ミョウジさん?」
「私今から、仁王と旅行に行くの!誘拐なんかじゃない、これは私の意思だよ!」
身を乗り出すどころか窓枠に座って、ナマエは柳生に大きく手を振る。揺れる真っ赤な一輪が逃げる二人の気持ちだった。仁王が大口を開けて笑いながらアクセルを踏んだ。エンジンが唸る。
「すまん柳生、こいつだけは置いていけん!代わりにこれで我慢しんしゃい。じゃあな、また会おう!」
ぐんと加速を感じ慌てて車内に引っ込んだナマエが後ろを振り向くと、紙吹雪が舞っていた。否、あれはトランプだ。
かなりのスピードで夜の街を突っ切り、二人は船着場を目指す。ナマエは今後のプランを何一つ聞かされていないが、不安はなかった。
ふといつの間にかナマエもトランプを一枚握っていることに気がついた。ひっくり返せばダイヤのエースが顔を覗かせる。すかさず仁王が口を開く。
「その花はな、盗品じゃあないぜよ。屋敷の主人の王サマにきちんと話を通して買い取ったんじゃ」
「じゃあ今晩は盗みはしてないってこと?どうして?」
「そりゃあ、好きな子喜ばすためよ」
「……はぁ」
「どうした?」
「……夢みたい」
「フッ、これからもっと驚かしちゃるき、楽しみにしときんしゃい」
不適に笑う怪盗がハンドルを切る。この先に起きる夢物語のようなノンフィクションに想いを馳せ、ナマエは思わず笑みを溢した。