他人と呼ぶには
自分は典型的な、“一人の時間がないとダメなタイプ”だと思っていた。大学に入り晴れて一人暮らしを始めてからはその性質に拍車がかかったという自負もあった。彼氏と同棲を始める友人を尻目に、それを自分に当てはめてみると気が遠くなった。心底恋愛に向かないタチなんだなとどこか他人事のように思いながら、一度だけ、友人に失礼な質問をぶつけたことがある。
「家に帰った時に家族でもない人におかえりって言われるの、違和感ない?自宅って自分の城なのに、他人がいるようなものでしょ?」
就職後すぐ彼氏とゴールインを果たした彼女は、一瞬呆気にとられたかと思うと、ケタケタ笑い出した。
「馬鹿ね、家族でもないって──」
続けられた言葉の正しさを、ナマエは今になって思い知らされている。
§
まさか自分が、こうなるとは。
ナマエが仁王の部屋に頻繁に寝泊まりするようになってしばらく経つ。現状二人は、所謂半同棲生活を送っていた。昔あんなに人との距離に臆病だったナマエは見る影もない。何食わぬ顔で合鍵を渡されたばかりの頃は流石に“他人の部屋”に縮こまっていたナマエだが、雪が溶けるようにゆっくりと“仁王の部屋”に慣れていったのだった。
シックな配色でまとめられた部屋は家主のクールな見た目によく合っている。逆に、至る所にポツポツと置かれた小物には全く統一感がなく、夏祭りで見かけるくじの出店でも覗いているような気分になった。しかしナマエにしてみれば、これはこれで彼らしいなと感じられるため嫌な気はしなかった。むしろ、見慣れたちぐはぐさがホッと心を落ち着かせた。
不思議な人なのだ、仁王雅治は。掴みどころがない、煙みたいなところがある。それでいて人との距離の計り方が絶妙。気づけば面倒くさいナマエのパーソナルスペースに上手いことおさまってみせたのだ。
大学生になったばかりの自分がこの姿を見たら、びっくりするだろう。何なら今だって自分の変わりように驚いている。コタツに潜り背中を丸めながら、感嘆の息を吐いた。
カチコチと時計の秒針が進む音がする。もうすぐ帰ってくるだろうか。一人きりが好きだったはずなのに家主の帰りを待ち遠しく思うなんて、と思わず笑ってしまう。しかも今日は、さらに似合わないことをしているのだから。仁王の驚く顔を想像すると楽しくって仕方なかった。
自慢することではないが、記念日を覚えておくのが苦手だった。毎日を何となく生きているからか、人の誕生日どころか自分の誕生日も毎年すっかり忘れている始末。もちろん彼氏の誕生日も例外ではなかった。有難いことに仁王は特に怒ることはなく、「薄情じゃな〜」なんて言ってニヤニヤした笑みを浮かべるだけだった。長いことそのぬるま湯に浸かっていたナマエだったが、ひょんなことからこの話を聞いた友人たちに大バッシングを受けた。
ここぞとばかりに浴びた正論の集中砲火を思い出しながら、卓上カレンダーを眺める。十二月四日。今日は仁王の誕生日だ。一人暮らし用の背の低い冷蔵庫には、帰り道を少し遠回りしたところにある洋菓子店の箱が入っている。中身はチーズケーキとモカケーキ。甘さ控えめが謳い文句のそれは、彼のお気に入りだった。
私の性格をよく知っている仁王はきっと冷蔵庫を見て驚くだろう、とナマエはほくそ笑む。そもそも、今日が自分の誕生日だということに言われて気が付くかもしれない。
玄関から鍵を回す気配がして、次にドアガードが侵入者を拒む音がした。ナマエは笑って「ちょっと待ってよ」と玄関へ向かうのだった。
「おかえり」
「ただいま。家主を締め出さんでくれ」
「人聞きの悪い!きちんとした防犯意識を褒めるべきだよ」
「はいはい、ナマエちゃんは偉いのう」
鼻で笑った家主様は後ろ手に扉を閉める。その拍子にカサカサと楽しげな音がした。怪しむような顔をして、彼の背後を覗き込むため首を伸ばす。あっ、と驚嘆の声が漏れた。
「それ、」
「今日俺誕生日やけ、ケーキ。今年も忘れとったろう?」
「なんで自分の誕生日に自分でケーキを……」
「だっておまん、甘いもん好きじゃろ?」
器用にも片手でマフラーを解き、仁王は事も無げに言ってのけた。同じ紙袋だ。冷蔵庫に入れたものと。ナマエは思わず閉口した。
仁王は比較的、人を驚かせることが好きな人間だ。そして、相手がナマエとなると驚かせた上で最終目的が喜ばせることに変化する。ナマエはこの事実を感じて、なんて贅沢な特別扱いだろうと思う。そして何より、好きだなあ、とも。
家主が、脱いだ靴を行儀悪く足で揃えるのを見届けてから、黙って彼の腕を引いた。鍋から漂う香りに反応し「お、シチュー」と口角を上げる仁王に、冷蔵庫の中を見せてやった。今度は彼が驚く番だった。分かり易く目を丸くした相手に、彼女は笑いをこらえた。
「これは、」
「誕生日おめでとう。今年は覚えてたんだけど、まさかこっちが驚かされるとは思わなかったよ」
「いや、いや。それはコッチの台詞。……この店遠回りじゃろ?」
「少しだけね」
そう答えると、仁王は長い息を吐き、ナマエのつむじにキスを落とした。昔はこの程度の触れ合いでも顔を真っ赤にしていたナマエだが、もう随分慣れたものでくすぐったそうに笑うばかりだった。
「なに?」
「好きじゃな〜と思って」
「ふふふ、私もそう思ってたところ」
仁王の瞳が嬉しそうに細められるのを見上げ、ナマエは言い様のない幸福感に包まれていた。
自分が誰かをこんなに好きになれるなんて、知らなかった。
「家に帰った時に家族でもない人におかえりって言われるの、違和感ない?自宅って自分の城なのに、他人がいるようなものでしょ?」
あの日の問いに答えた友人の気持ちが、今のナマエにはよく分かる。仁王と二人して開けた幸せの箱はきっと“これから”への一歩に違いないだろう。
「馬鹿、家族でもないって、これから好きな人と家族になっていくんじゃない」