たぶん、おそらく、そのように
※「あなたにだけ不器用」の続き
※この話単体でも読めます。
冬の朝はとにかく暗い。ただでさえ寒いのに、視覚的にも冷たいので参る。だから今朝も、珍しく早起きをしたはずなのに布団から出た時間は結局いつも通り。その上寒い寒いとくだを巻き、のろのろ身支度をしたせいで時計の針は普段より進んでしまっている。
オーストラリアにいるのだと暖かそうな写真を送ってきた彼は、冬の私の惨状を聞いて「冬眠した方がええんじゃなか?」と笑い声を上げていたが、私だって冬眠が許されるならとっくにしてる。そう思うくらいには冬は苦手だ。早く暖かい季節に巡ってきて欲しい。それこそ、彼が今いる南半球のように。
でも、季節が巡るともう卒業だ。エスカレーター式とはいえ工業高校に進む人だっているので環境は小さく、そして確実に変わっていくだろう。今年の冬には、ささやかな寂しさも混じっている。
派遣扱いの欠席続きであるテニス部のメンバーは、卒業までには帰ってくるのだろうか。銀髪の彼と連絡を取り合っているわりに、そういう大事なことはあんまり聞けないでいる。
窓の外が薄暗いせいか、何だかセンチメンタルな気分だ。やっぱり冬は苦手だな、なんて重ねて考えつつ、手袋とマフラー、さらにダメ押しでニット帽まで装備しバッチリ防寒を済ました私は意を決して玄関を開けた。
そして、目を疑った。
「よ」
「はあ?」
「……何じゃ急に」
「何、じゃないよ。仁王」
へらりと手を挙げ挨拶した男の頭に、無理やり自分のニット帽を被せた。いつから待っていたのかは知らないが、鼻の頭を赤くした彼は私にされるがまま身をかがめて首を傾げている。いやいや、訳がわからないのはこっちの方だから。
「えっ、テニスは? オーストラリアは?」
「せっかちじゃのう。お土産は後でな」
「別にお土産の催促してるんじゃないから」
「プリッ。大会が終わって帰国。とりあえず合宿は終わりぜよ。今日は完全オフやき、ラケバもなし」
「……なるほど。お疲れ様でした」
「おん。で、これは何じゃ? 俺、そんな寒そうやった?」
仁王はニット帽を摘んで能天気にそう訊ねた。紺色の帽子からはみ出した銀髪が雪のようにキラキラまたたいて余計に目立って見える気がする。これでは逆効果かもしれないな。まあでも、銀の尻尾をマフラーに隠せば、もう少し誤魔化しが効くだろう。
そう考えつつ、冬がよく似合う男と示し合わせたように学校へ歩みを進めながら私はため息を落とした。
「あのねえ……。テレビとか見てないの?」
「結構忙しくしとったけ、あんまり」
「ああ、そりゃそうか……。今すごいみたいだよ、U-17。大会頑張ってたからワイドショーなんかでも連日取り上げられてて。イケメンテニス少年! とか何とか……。もうすっかり有名人扱いされちゃって学校にもテレビカメラとかたまに来ててさ。だから、顔隠した方が良いよ」
「へえ、誰がイケメンテニス少年?」
「基本的にみんなだと思う。仁王も取り上げられてたよ。でもそうだな、やっぱり大きく話題になったのはキミ様と跡部って人だったかな」
「ちなみにミョウジのお気に入りは?」
「何その質問……。うーん、お気に入りって訳じゃないけど、跡部くんは確かにすっごい美形だなと思った」
「なんだ、俺じゃないんか」
「……返事に困るなあ」
平気な顔をして、とんでもないことを言う。思わず苦笑いが溢れた。逆に私が仁王の名前を出したらどう返事する気だったのだろう。残念なことに、そう聞き直すだけの度胸はないが。
流れるように移った土産話に相槌を打ちながら亀のような歩みで進むと、やがて海が臨める道へ出た。空ではいつの間にか濃紺が退けられ、やや弱々しくも日が全貌を現していた。
半身を照らす太陽に目を眇めつつ洟を啜ると、喉の奥が冷たくなった。思わず口元までをマフラーに埋める。視覚的にはいささかマシになったが、やはり海辺の風は強く厳しい。
「俺海辺久々やけこっちがええわ。おまんがそっちな」
仁王が私と並び位置を交換して右側に立った。ダッフルコートを揺らしていた風が少し弱まる。多分、風除けを買って出てくれたのだろう。天邪鬼な言い回しが彼らしいけれど、よく気のつく良い奴だなとしみじみ思う。
こんなことをされたら、都合の良い期待をしそうになるからちょっと困るけれど。なんてね。
「やっさしー。ありがと」
真意を茶化すように礼を述べると、悪戯っ子のような顔をした彼が突然私の耳に触れた。外気に晒されて氷のように冷えた指先に思わず肩を弾ませる。
「ぎゃ! なに?!」
「耳、真っ赤ナリ」
「そりゃあ、寒いからね……。急に触んないでよ」
「寒さに弱いんやったっけ?」
「うん。毎日冬眠しそう」
「それなのに、俺に帽子貸してくれたのは何で?」
仁王が目を細めやわく微笑む。あまり見慣れない表情だなと思った。白む朝日を背負ってぼやけた輪郭に目がくらむ。
「ええ? 普通に、カメラに囲まれるとか嫌じゃない?」
仁王は、人を驚かすのが好きなタイプだ。はなから雑にスポットライトを浴びるより、びっくり箱のように最高のタイミングを自分の手で演出する仕掛け人の立ち位置を好む人。これはあくまで私の勝手な分析だけれど、当たらずも遠からずな自信はある。
だから現状を把握してる私は、顔を合わせるなり彼に“変装”を促したのだ。
「通学路で会ったのが俺じゃなくてもおまんは無理矢理帽子被せたか?」
他人の内心を見透かすような質問にドキッと心臓が跳ねた。
例えば道すがら他のテニス部に出会っていたら。たぶん、無理に何か私物を押し付けたりはしないだろうなと思う。相手が目立ちたがりかどうかは関係なく、仁王以外には、多分こんなに関わろうと思わない。
「……貸してって言われたら、貸す」
実を言うならば、“変装”が彼の十八番であることを私は知っていて、帽子などというお粗末な小道具がなくても場を切り抜ける能力があることも分かっている。
なのにそれに思い至っていないフリをして、私物を押し付けているのは、たぶん───
「へえ……」
「あー、その、ごめん」
「なにが?」
「たぶんこれただのお節介じゃなくて、独占欲、みたいなやつ。うわー、言われて気付いた。恥ずかしい。これじゃまるで、」
「彼女みたい?」
「ごめん」
仁王はいとも簡単に言葉を引き継いでみせた。バレバレだったってことだ。返す言葉もない私は、波の生まれる音を数えながら鼻先までをマフラーに埋める。
自由、気まぐれの代名詞のような相手に独占欲を抱くなんて。どんよりと翳った胸のうちで後悔がまわる。
けれど、チラとうかがった先で仁王は楽しそうに口角を上げた。冬の明かりを反射する瞳に、私の困り顔をおさめている。
「俺は別に、迷惑とか言うとらんけど?」
そして、飄々とささめくのだ。
「のう、ミョウジ。おまんは前に俺のことを分かりやすいと言うたが、俺が何で合宿明けの登校日におまんに会いに行ったか、分かるか?」
「…………前言撤回。分かりやすいんじゃなくて、仁王はなんかズルい」
身を寄せてきた男は明確な感情を口にせず、人に期待を持たせていく。ズルいやり口に私は唇を尖らせる。何だかやられっぱなし。
手のひらの上でいいように転がされるのも癪だなあ。私は右の手袋を引き抜いて、右手を仁王に差し伸べた。
「そんな言い方されたら、都合良く解釈しますけど?」
「はは! 大人しゅう自惚れてくれたら、俺としちゃ願ったり叶ったりよ」
いつか電話口で聞いたのと同じ、明るい笑い声がした。歯を見せ息を白くする仁王を見て、あの時もこんな顔をしていたんだなと思い至る。そういう表情を私相手に見せてくれいる事実に満たされていく感覚を覚えるのは、性格が悪いだろうか。
ひとしきり笑った彼の、大きな手が私の右手に重なった。流れるように指が絡まる。明らかにもう、友達の距離ではない。たかが数秒で、これまでの思わせぶりな態度の数々は気まぐれではなくちゃんと意味があったと思い知らされる。
ビュウとひときわ強い風が吹いて仁王の銀色を揺らした。気温に変わりなく寒いままのはずなのに首を竦める必要性は感じない。あれ、冬の朝ってこんなに暑くなるもんだっけ。火照りのせいで篭った熱を逃がすようにマフラーを緩めれば「真っ赤なのは耳だけじゃなかったのう」と繋がれた手で頬に触れられた。そういうところも、やっぱりちょっとズルいと思うなあ。
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