エンドロールにも追いつけるよ(2/2)

 島の真ん中には大きな湖があった。昔、大きな街を飲み込んだという逸話がここではまことしやかに語り継がれている。とは言え、流れ者の海賊にはその真実を知るすべはない。
 まるで宝を隠すかのように生い茂る森を抜けると、海とはまた表情の違う青に辿り着いた。朝日が昇るか否か狭間の時間帯、紅葉に縁取られたその湖には薄紫の霧がかかっている。対岸は見えなかった。踏みしめた落ち葉は音を立てて水を吐き、ナマエの足を絡めとろうと嗤う。水を吸ったいつものブーツは、歩みを進めるほどに重くなっていった。

「沈んだ街でも探してみるか」

 御誂え向きに水際に横たわる小舟を顎で指した彼の声音はひどく楽しそうだった。本人は放浪と言い張るが、意外と彼も海賊らしく冒険には目がない。船端をまたいだ長い脚が、やや窮屈そうに小舟の約半分に収まった。泥濘に立つ杭からロープを解いたナマエは、力一杯小舟を押した。遠くで鳥の羽ばたきが空を駆けた。
 気づいた時には、舟は湖に浮かんでいた。
 お前に漕がせたら遭難しちまう。そうして奪われたはずのオールは船底に転がっている。向かいに人の姿も、気配も、ない。まさか落ちたとでも言うのか。そんな馬鹿な。そもそも、いつの間に私は。

「キャプテン?」

 呼応するように、ズズズと地鳴りにも似た音が轟き、巨大な影が小舟の真下を横切った。生じた波は大きく、小舟では心許ない。揺れが収まることを祈りつつ船縁に縋り付く。足元の水奥には霞む街があった。
 帰るべき岸は、見えなかった。



「報告しろ」

 急に現れた船長の指示に、瞬時に反応したのはやはり、付き合いの長いペンギンであった。

「岩に擬態していた巨大魚が誤ってポーラタングのマスト付近に噛み付いた模様。機器の数値に異常はありませんが、念のため点検が必要かと。浮上しても?」
「許可する」
「アイアイキャプテン」

 その場を任せて踵を返したローだったが、扉に手をかけたところでふと動きを止めた。今日はナマエを見ていない。嫌な予感がする。

「オイ、誰かナマエを見たか?」
「あー……見てないですね。また書庫か。おれ探してきましょうか?」
「いや、いい。おれが行った方が早い。お前は船を頼む」
「了解、こっちは任せてください。それよりアイツをお願いしますよ」

 ひらひらと後ろ手を振るペンギンを一瞥し、ローはいつものように青いサークルを展開した。


「おい」

 書庫の扉をノックしてみたが返事はなかった。押してみても動かない。中で本が散乱しているのだろう。内開きの部屋を書庫にするべきじゃないなと舌打ちしつつ能力で中に入る。
 棚から落ちた本を避け奥へ進むと、本に埋もれるようにしてナマエが横たわっていた。内心慌てて近寄り確認をとった。呼吸はある。額の一部が赤く腫れていることから、さっきの揺れで本が直撃したと言ったところか。

「ナマエ、」

 近くで声をかけるとひどい顔色をした彼女はそろりと目を開けた。夢と現実の境目を行き来しているのか、ローを見てその腕にしがみつく。右腕の鈍い痛みに顔を引きつらせながらも、無理な体勢のナマエが再び床に崩れ落ちないよう支えてやった。

「倒れて頭を打ったりしたか。どこか痛むところは?」
「ううん、大きな魚が横切って舟がひっくり返りそうになって……。そしたら、本がおでこに落ちてきて、……ん?あァ、ちがう。湖は夢か……」

 支離滅裂な話を黙って聞いていると、ぐったりしていた体に力が入ってきた。徐々に目が覚めてきたのだろう。彼女はふるふると頭を振って、夢の内容と実際に自分の身に起きたことを選り分けている。動くと額が痛むらしく時折顔をしかめていたが、受け答えはしっかりしてきた。

「本が一冊当たったけど、とっさに庇ったから他に頭はぶつけてない」
「分かった」

 頷いたローは軽々とナマエを抱え上げ、再びサークルを広げた。


「大事を取って今日はここで寝ろ」

 額の処置を受けたナマエは潜水艇で唯一の個室である船長室のベッドに降ろされた。申し訳ない気持ちはあるが、医者の言うことは絶対である。この船においては特に。
 無理にでも部屋に帰ろうとすれば、たちまち四肢がバラバラになることだろう。前に無茶をした時は首から上を植木鉢に挿されるなどとんでもない目にあった。

「ご迷惑をおかけしました」

 上半身を起こしたナマエが謝ると、ローは記入途中のカルテから顔を上げた。視線は鋭い。

「……怪我までされたんじゃあ流石に放っておけねェ。全部吐け」
「何を?」

 長い指がバインダーを叩く。彼が何を言わんとしているのか。それは分かっている。しかし、正直に言うのは憚られた。

「そのツラについてだ。分かってるだろ」

 失礼極まりない物言いであるが、指摘は最もだ。数週間まともに眠れていないおかげで、ナマエの目の下の隈はすっかり濃く広がっている。まさにローとお揃い状態。加えて顔色も最悪で不健康そのものだった。今朝は食堂で顔を合わせたベポにギョッと驚かれたほどだ。

「キャプテンの真似してみただけですけど」
「ナマエ」

 諭すような声音にナマエはすぐさま軽口を止めた。視線があちこちに泳ぐ。昔から、こうだ。彼の星色の瞳に射抜かれると自分を一つも取り繕えなくなる。こうなったらもう観念するしかない。

「……嫌な夢を見るから、眠るのが怖い」
「渡した薬は?」
「すぐ効かなくなった」
「夢の内容は?」
「……全部、キャプテンがいなくなる夢」

 笑われるんじゃないかと不安に思っていたナマエだが、目の前の医者は神妙な顔で押し黙った。かと思うと、少し考えを巡らし口を開く。

「そういう夢を見る心当たりはあるか」

 ナマエは口を開けたり閉じたりを繰り返す。言葉を選んでいるのではなく、言っていいのか迷っているのだ。ローが目で先を促すと、ナマエの視線はゆるゆると下がり彼の右腕に止まった。

「……その右腕、もしかして一旦切断されたんじゃない?」
「? あァ」
「一歩間違えれば死んでたね」

 あァ、なるほど。ローが小さく頷く。

「だからおれが夢で消えるわけか」
「たぶん。……責めたいわけじゃないんだよ!ただ、情けない話どうしても怖くて。楽観視していた自分が信じられないし、もう二度と会えなくなったかもしれないって考えると、肝が冷える」

 海賊、向いてないのかなァ。ナマエはおどけて笑ってみせた。ローの眉間にシワが寄る。
 しばらくお互いに黙っていると、外が騒がしくなり始めた。どうやら浮上したらしい。船内に差し込む光量も深海と比べると格段に増えた。夕日に照らされた窓の外の海は、まるで血溜まりのようでゾッとする。くだらない幻覚を振り払うよう頭を振るナマエを一瞥したローは、カルテを椅子に置きベッドのヘリに腰かけた。ナマエはすっかり困り果てた表情を浮かべてローを見上げる。
 昔から、ナマエの方向音痴とローの放浪癖の相性は最悪で、ナマエは迷子の常習犯だった。ローに置いて行かれたナマエが歩き回って毎度毎度事態は悪化する。しかし、はぐれた相手を探し移動する彼女を見つけ出すのもまた常にローの役目だった。
 ローはシーツを掴む小さな手を静かに握る。普段の彼女とは違い、指先は冷えていた。強く握り込むとじわり熱が広がってゆく。

「きちんとここに帰ってきてる」
「うん」
「そう簡単におれは死なない」
「わかってる」

 弱々しく引っかかっているにすぎなかったナマエの指に力がこもる。けして口数の多くないローがわざわざ言葉にしてくれている。それも自分のためだけに。いつまでも恐怖から目を逸らし続けているわけにはいかない。北の海からここまで進んできたのだ。
 さっきは冗談めかしておどけてみせたが、今さら海賊を辞めるつもりなどこれっぽっちもなかった。うずくまっている場合ではない、置いてけぼりにされないために。ナマエの表情から迷いの色が消えた。潤んでいた瞳には光が宿る。
 ローは眩しそうに目を細めた。


§


 ギクリとするほど美しい街だ。道路や建物などといった人工物はすべて混じり気のない白で統一されている。街の中心部ではお祭りがあっているようで、道行く人影からは穏やかに微笑んでいる気配がした。
 足元を幼い兄妹が走り抜けて行く。元気な妹に手を引かれているお兄ちゃんはきっと、眉を下げて笑っているのだろう。幸せを絵に描いたようなこの場に、私は漠然とした不安を募らせている。
 そうだ。ここは、あの街に似ている。昔、本で読んだ悲劇の地。白い町と称された過去の場所。
 ドンと地を揺らすほどの音がして、あたりはすぐさま炎に包まれた。燃える建物から上がるのは、黒煙ではなくどこまでも白煙で気味が悪かった。
 銃声から逃げるようにしてたどり着いた教会の扉を開くと、黒いコートを身に纏った誰かが立っていた。外はひどい有様だったはずなのに、教会の中に人々の悲鳴や慟哭は届いてこない。ステンドグラスから差し込む強すぎる光のせいで、男の顔がよく見えないのがもどかしい。目を眇める私に対し、男は「行くぞ」とあごをしゃくる。
 途端に光が鋭さを増した。閃光弾を食らったように白飛びする世界の中で、私は訳もわからず必死に手を伸ばした。
 一瞬の暗転を経て、ナマエは船上にいた。天気は良好。見渡す限りに海と空が広がり、水平線が一直線に伸びている。見つめた利き手には最後に確かに彼の黒いコートを掴んだ感覚が残っている。ふと影が差した。目を向けると珍しく帽子を取ったローがこちらを見下ろしていた。あァ、ようやく見つけた。

「置いて行こうとしても無駄だよ。私はこれからも付いていく」
「……変わらねェな、お前は」

 小さく笑ったローがいとおしそうにナマエの頭を撫でた。


 目覚めると日はとっぷり暮れていた。静かな水面に満月の作った道ができている。月光に導かれ窓へ近寄ると、途中のソファでローが窮屈そうに眠っていた。高身長の彼にこの寝床は手狭すぎる。裸足のまま近くにしゃがめば、気配がしたのかローはすぐさま目を覚ました。

「具合が悪ィか」

 普段より若干目つきは鋭いが、特別眠そうにするでもなく起き上がりナマエの様子を伺う。やはり書庫で頭をぶつけたのではないかと疑っているのだろう。死の外科医などという物々しい二つ名で通っているが、本人は医者として非常に優秀だ。ここのクルーはみんなそれを自分のことのように誇らしく思っている。みんなキャプテンのことが大好きなのだ。

「ううん、目が覚めただけ」
「また夢か」
「まァね。でも悪い夢じゃなかったよ。ようやくキャプテンに手が届いた」
「そうか」

 床にしゃがんだまま緩く笑うナマエをローは再びベッドへ運んでやった。そしてそのまま自身もベッドに潜り込む。ぐいと引き寄せられたナマエは、照れるでもなく大人しくされるがまま。夢心地でぬくもりに擦り寄ると、心臓の音が聞こえてきた。どくどくと一定間隔で刻まれる律動は彼が間違いなくここにいることを教えてくれる。耳を澄ませば、ずっと胸でつっかえていた不安が溶けてゆく。今まで一人で悩んでいたのがばかばかしく思えて仕方がない。私がローを離さなければいいだけだったんだ。
 とうとう悪夢は終わりを遂げ、ナマエはその夜、深い眠りについたのだった。

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