夜更けのブーケ
仕事でミスをしでかした。まだ入社したての新人ということもあり、上司は苦笑いを浮かべ新人のうちに勉強できて良かったねと言ってくれたが、尻拭いを全てお願いするしかなかった私はとにかく申し訳ない気持ちで萎んでしまいそうだった。
落ち込みすぎず週末はリフレッシュしてきてねとさらに優しさを重ねた上司に何度も頭を下げ早々に帰宅したわけだが、自分の根城で丸くなり目を閉じても頭の中では今日の出来事が悪夢のように蘇り続ける。
気温や湿度とは関係ない汗が額や背中に滲む。ただでさえ雨続きのジメジメした季節なのに、余計に不快感がつのり気が滅入った。
少しでも明るい気分になりたくて縋るようにスマホに手を伸ばし一番上にある修二とのトーク画面を選ぶ。しかし、“会いたい”と打ち込みかけたところで急にふと我に返った。落ち込んでるから慰めて欲しい、なんてガラじゃなさすぎる。そもそも落ち込む原因を作ったのも私だし、次の週末には会う約束を取り付けているのだから別に今日突然呼び出す必要なんて全くないわけで。
「無いわ」
そう独りごちてスマホを放る。マットレス上で小さくバウンドしたそれが床に落ちなかったことを確認し、ひたすらきつく目を閉じた。
§
インターホンの音でフッと意識が浮上する。電気の消し忘れで明るいままの部屋を見渡し時計を確認すれば、日付が変わりそうな時間帯だった。
こんな非常識なタイミングの訪問者なんて、一体誰だろうか。変質者? それともオバケ? 怖い想像を膨らませ恐る恐るドアアイを確認すると、向こう側で私の動きを予想しているかのように修二が手を振っている。
驚き7割、嬉しさ3割で驚きが勝ったが、どちらにせよ慌てて玄関を開けるのだから同じこと。
「ちゃい⭐︎ 悪い悪い、遅なってもうたわ」
「いやいや。約束してたの来週だよね? こんな時間に何?」
「何? て自分、メッセージくれたやん」
「私が?」
「うん」
降り始めの雨のにおいを背に突然やって来たかと思えば、つま先の濡れた革靴を脱ぎながらそんなことを言う。
確かに会いたいと伝えかけたが、メッセージ自体は送らなかったはず。しかし今日は失敗続きだったこともあり、自分が信用ならず不安になってきた。
客人にタオルを投げ渡してからベッドの上で沈黙していたスマホを拾い上げる。確認の結果、なんと残念ながら“あい”の二文字だけが送信されてしまっていた。会いたい、を打ち込みかけた後画面をそのままにして放り投げたことにより誤って送信されたらしい。
仕事から引き続き、本日二件目のやらかしだ。自分の駄目っぷりに付き合わせてしまったことを素直に謝りに行くと、彼は冷凍庫を閉めながら振り返った。
「ごめん完全に誤送信。修二、この訳わかんないメッセージ見てわざわざ来たの?」
「せやで〜。“あい”から始まるメッセージ言うたら“会いたい”か“愛してる”か“アイス食べたい”の三択やな思て、全部を叶えられるようアイス買って俺がここまで来てん!」
どこまで確信があるのかは分からないが、冗談めかして大袈裟に胸を張る修二に「大正解。会いたかった」と本音を答えるのは重い気がして、結局肯定も否定もせず曖昧にしたまま、ふぅん、と素っ気なく相槌を打ってしまった。
すると、しっかり視線を合わせてきた修二が目を細めて笑う。考えていること何もかもを見透かすような瞳に捉えられると少しだけ緊張して、何か誤魔化さないといけない気がしてしまうので困る。
「……手に持ってた袋はアイスだったんだ。ちなみに“愛してる”を叶えるっていうのは?」
「俺も愛してる」
「あ、ハイ」
「冷たない?!」
発言が嘘だとは思わないけれど、さっきまでのニヤケ顔を引き締め、わざわざ真剣な表情を作るあたりが演技じみていて胡散臭い。まあ、こういうやり取りは嫌いではないのだけれど。
ひと通り騒いだ修二はため息にも似た長い息を吐き、部屋に二つあるクッションの片割れを座布団代わりにして腰を下ろした。私がその向かいに座ると、彼はローテーブルに頬杖をついてまた表情を変えた。
「まあでも、敢えて触れんかったっちゅーことは“会いたい”が正解やったみたいやな。ほんなら俺も夜中に訪ねてきた甲斐あったわ!」
パチンと綺麗にウインクを飛ばされ、まんまと誘導に乗せられたと気付く。
聡い彼が私の気持ちを正しく紐解くには“あい”の二文字だけで十分だったらしい。それでいてわざと遠回しに確認を取るあたりイイ性格だ。
「……修二のそういうところ嫌いなんだよなあ」
「じゃあ、それを上回るくらい好きなところがあるってわけやな。照れてまうわ!」
照れ隠しの嫌味も華麗に受け流された。悔しいので憂さ晴らしにもう一つのクッションを顔めがけて投げてやったが、結局いまだ衰えを知らない反射神経を以て軽々とキャッチされてしまう。今日も今日とて、私は修二に敵わない。
一体何をすれば彼の一枚上をいけるだろうか。そんなしょうもないことを思案する私をよそに、二つ目のクッションを抱きかかえた修二はとうとう本題に切り込んだ。
「ほんで?自分が甘えてくるなんて珍しいやんな?どしたん?」
折角ここまでの修二のいつも通りっぷりで少し元気になり始めていたというのに、その質問ひとつで気分は再び急降下した。表情も分かりやすく曇ったようで、彼は興味津々に私の返事を待つ。
期待に満ちた眼差しに押され、嫌々ながら今日の出来事をかい摘んで話していくと、悪夢のような時間を追体験している感覚に陥りどんどん気持ちが落ち込んでいく。伝え終わる頃には、とうとう自力で座る気力すら失いテーブルに突っ伏した。
「なるほどなあ。それで今日はジメジメしとったわけやな」
「ジメジメて……」
「よっしゃ! 修さんが慰めたる。こっち
顔を上げると、隣に移動してきた彼が両腕を広げて私を呼んだ。
修二は、私のことがよく分かってる。天邪鬼だから、こういう風に言われるといつも「は? 全然大丈夫だし」なんて強がって自力で立ち上がれてしまう。そういう性質を知っているから、わざと焚き付けて元気づけようとしてくれている。
でも、残念なことに今日はちょっとばかし強がる気力も使い果たしてしまっていた。
「ん」
「……えっ!?」
だから、私も両腕を広げて応えてみせたのに。修二ときたら失礼にもギョッと目を見開いた。
「は? なにその顔。自分が呼んだじゃん」
「え、えぇーっ! なんやそれ、めっちゃかわええことするやん自分。これ俺が見とる都合の良い夢?」
などと大はしゃぎされると、いかにらしくないことをしているのか改めて思い知らされ居心地が悪い。
当てつけのように「やっぱ良い」と顰め面でそっぽを向けば今度は大慌てが始まった。
「うそうそ! 今のなし待って待って!」
そう言いながら手を引かれる。勢いにつられて斜めに傾いた私は、そのまま修二の腕の中にすっぽりとおさまった。我ながらゲンキンなもので、たったこれだけで機嫌が良くなる。修二は、私を転がすのが本当に上手い。
おさまりの良い肩口に頬を寄せると、近づいた彼の髪が少しだけ湿って見えた。仕事終わりで彼だって疲れているだろうに、“あい”をたよりに小雨の降る中わざわざ私の顔を見に来て、こうして甘やかしてくれる。
こんなに素敵な人に好かれていると思うと嬉しくてたまらないし、彼にとって自慢の存在になりたいと身が引き締まる。
慰めてもらうなんて甘えだと思い込んでいたけれど、今夜は修二に会えて良かった。充電させてもらったおかげで、来週の月曜も会社に向かえそうだった。
感謝を込めてぎゅうっと広い背中に腕を回すと、修二は小さく笑ってそれに応えた。
今夜はもう、悪夢を見ずに済みそうだ。
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