居眠りする七海先輩を見つけた


 ソファーの背もたれからはみ出る、はしばみ色の頭が見えた。こんな綺麗な髪色の人は高専には一人しかいない。曲者ぞろいの学生のうち、手放しで尊敬できる先輩。丁寧な物腰を崩さず、きっちり確実に任務をこなす様子は私の目にはとても大人びて映るから、一方的にかなり憧れている。
横暴な先輩から言いつけられたお使いの途中、降って湧いたラッキーに私は当然足を止めた。接点をたくさん持ちたくて、鬱陶しがられようとも見かけるたび必ず話しかけるようにしているのだ。

「七海先輩」

 浮かれ気分を抑え込み、そっと声を掛けたのに返事はなかった。あれ、おかしいな。先輩は凪いだ海のようにあまり他人へ干渉したがらない人だが、後輩の声を完全に無視するほど冷たくはない。喧しいと評判の私が馬鹿みたいな話題を提供した時ですら、面倒臭そうにではあるが「はあ、そうですか」と相槌を打ってくれたほどなのだから。
 そんな出来た人の先輩に無視されたとなると、もうこれは大問題だ。何か怒らせてしまったのだろうか。私の頭の中の先輩が険しい顔で「もう話しかけないでください」なんて冷たく言い放ってきたのでだんだん泣けてきた。気付かないうちに嫌われちゃうなんて、そんなのは悲しすぎる。何か不愉快な思いをさせたのなら謝ろう。しかし、慌てて正面に回り込んでようやく、私はそのつれない態度のワケを理解した。

 背筋を綺麗に伸ばしたまま、七海先輩はその鋭利な瞳を閉じていたのだ。長いまつ毛が頬に影を落とし、いつも几帳面に寄り分けられている前髪のひと房は片目を覆い隠してしまっている。眉間に普段のようなシワはなく、幼さを感じてしまうほど穏やかな寝顔だった。
 夏が終わり日差しが幾分柔らかになったから、陽の当たる共有スペースは居眠りを誘うのだろう。けれども、誰よりもしっかりしている七海先輩のこんな無防備な一面を拝めるとは夢にも思わなかった。私は思わず息を飲む。
 見てはいけないものを見てしまったような心地がした。それでも、この時間を逃すのは勿体なくて目が離せない。元々綺麗な人だなという印象はあったが、こうして光を受けている様子はこのまま美術館に飾られてもおかしくないほどの説得力があった。
 言葉もなくじっと見つめていると、やがて薄い目蓋が悩ましげに揺れ、異国の血を思わせる瞳が姿を現した。隠されていた宝石に見留められ胸が大きく跳ねる。ドキドキしている私をよそに、不機嫌そうな七海先輩は低く地を這うような声を出した。意識のないところを盗み見られていたのだから当然の反応だ。慌てて頭を下げる。

「……何か」
「い、いえ! じろじろと不躾にすみません!その、あまりにも綺麗で見惚れていました!」
「は?」

 チラリと窺った先で、先輩の眉間にはぐっと深い溝が刻まれた。大真面目に謝ったつもりなのだがお気に召さなかったらしい。垂れていた前髪を正しく流し直しながらも、鋭い視線は私を突き刺し続けている。陽光をたっぷり浴びる瞳は普段より淡く輝いて見えた。それにまた見惚れてしまい、のぼせ上がった私はついつい余計なことを口走ってしまう。

「朝起きて隣に先輩がいたら、心臓発作起こしちゃいそうですねえ……」
「……なに馬鹿なことを言ってるんですか」
「あっ、すみません! ……でも、冗談言ってるんじゃないですよ。私、まだドキドキしてますもん。先輩とお付き合いする人は心臓がもちませんね、絶対」
「……試してみますか?」
「はい?」

 チリチリ肌を焼くような視線に追い立てられ、思わずたじろぐ。……え、からかわれてる? 七海先輩にしてはあまりにタチの悪いジョークではなかろうか。
 「冗談です」と鼻で笑われるのを大人しく待ってみたが、七海先輩はいまだ此方の返事を待っている。お互いにお互いの顔を見つめ合ったまま、部屋に静寂が訪れた。自分の心臓の音がやけに大きく聞こえ始め、時間の経過とともにじわりじわりと顔に熱が集まってゆく。今が現実なのか夢なのかあやふやになってしまうほど脳内は混乱を極めていた。
 何? 何事? 上手いことのひとつも返せずに驚いて立ち尽くしていると「オマエは適応力に欠けるよね」とケタケタ笑う別の先輩の顔が浮かびハッとする。

「あ! わ、私、お使いの途中だったの忘れてました! スミマセン! それでは失礼します!ハイ!」

 そうだ、私にはそもそもの仰せつかった仕事があったのだった。言い訳を残し急いでその場を離れようとしたが、途端、手首を掴まれた。几帳面に揃えられた深爪気味の長い指が手首を一周してなお余っており、男女の違いをまざまざと見せつけられているようだった。それに加え周りの人たち比べてまだまだ弱々しい術師の私では、鍛え上げられた先輩の力には到底敵わない。逃れようと体重をかけてみても、信じられないことに大きな片手はびくともしなかった。全く身動きが取れない。

「七海先輩?!」
「返事をする時間くらいあると思いますが」

 真剣な顔で瞳を覗かれて、息が止まった。ちらちら光る目の奥に確かな熱が垣間見える。えっ、先輩本気ですか? 声に出していない思いなのに、心得たように先輩は力を強めた。

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