アルコール3%


 旅館に巣食っていた準一級相当の呪霊一匹と雑魚の群れを二人がかりで朝一番に祓った。しばらく休業状態だったという旅館の主はいたく喜び、元々被害のなかった別館のふた部屋を提供してくれた。
 あてがわれた部屋で翌日の任務を再度確認していた七海は、資料が一部多いことに気付き右隣の部屋を訪れていた。
 しかし、ノックし中に声をかけてみても返事がない。日は落ちてしまっているが寝るにはまだ早いはずだ。風呂の可能性も考えつつ、今朝のナマエの様子を思い浮かべた七海はスマホを耳に当てた。
 コール音はすぐ途切れ、ふわふわと機嫌の良さそうな返事があった。

「はーい、どうしたの?」
「今どちらに? 明日の任務に関する資料がこちらに紛れ込んでいました。部屋を訪ねたんですが、不在のようでしたので」
「あー、了解。ごめんね、急いで戻る」

 ズズと液体を啜る品のない音が響く。

「外にいらっしゃるんです?」
「うん。ちょっと散歩」
「……迎えに行きますから場所を教えてください」
「いや別に、」
「迎えに行きます」

 強引に場所を聞き出し通話を切った七海は靴に履き替え外へ向かった。


 本来であれば、西日本での任務は京都高の方に話が回り術師が派遣される。しかし、今回の案件は七海の二つ上の先輩にあたるナマエの地元ということで彼女に白羽の矢が立った。術師に復帰して間もない七海は肩慣らしとしてナマエに同行中だ。
 昨晩遅く、地方空港へ二人は共に降り立った。周囲には田圃が広がるばかりの、よく言えば長閑な土地で、六月の湿った空気は土のにおいがした。どこかぼんやりした雰囲気のあるナマエが育ったと説明するに適した世界に見えた。
 ナマエはそのまま実家へ向かい、七海は半時間ほどバスにゆったり揺られ、たどり着いた駅前のホテルで一泊。
 そして今朝早くに合流した二人はナマエの運転するレンタカーでいくつかの任務先を回った後、好意を無碍にしないため再度最初に訪れた旅館に戻った次第であった。

 外灯の少ない、車道と歩道の区別もされていない道の先に階段と鳥居がある。七海は一人で酒盛りをしているであろう人の元へ急いだ。
 合流した時の沈んだ瞳を思い出して、相変わらず不器用な人だと思う。
 ナマエは七海と同じく非術師の家系出身だ。そういう出自は呪術界では取り立てて珍しくもないが、非術師にとってはその限りではない。つまり、家族との付き合い方に問題が出る者もいるということだ。
 肉親とすっかり縁を切ってしまう術師が多い中、高専時代からナマエはまとまった休みが取れるたびに帰省しては休み明けに暗い顔をして東京へ戻ってきていた。そして決まって、自分の仕事を親に理解してもらえないと、それが酷く悲しいと呟いた。
 高専時代、七海はナマエに気に入られており、頻繁にその話を聞かされていた。寮の共有スペースから彼女の部屋まで引っ張られ、未成年のくせに酒を飲んでは吐く彼女に付き合わされたのも一度や二度ではない。
 卒業後は七海が呪術界を離れたため連絡も取り合っていなかったが、今でもずっと同じように傷付き続けているらしい。

 石段をハイペースで上り切り、苔の生えた鳥居をくぐる。右手側の電燈の元置かれたベンチに腰掛ける人影が見えた。
 砂利を踏みしめ近づけば、弾かれたようにナマエが振り返る。七海を見て弱々しく笑ったその手には、パステルカラーの缶があった。アルコール3%程度の甘ったるい酒だ。

「夜に一人で出歩くのは不用心ですよ」
「暴漢より私の方が強い自信あるなぁ」

 朗らかに言って、隣に並べていた空き缶が退かされる。七海は勧められるまでもなく着席した。さっきと比べ物にならない重さに木材が軋む。

「まだ定期的にご実家に帰られてるんですか?」
「そりゃそうでしょ、私のご実家だもん」
「今回は何と?」
「“あんたまだエセ霊媒師なんてしよると?もういい加減そがんことやめてコッチ帰ってきんさい”」

 方言混じりのセリフを吐き、ナマエが缶を呷る。桃の香りが鼻を掠め、七海は遠慮なく眉をひそめた。

「それはまた……」
「強烈でしょ。いやはや、今回も完敗。分かってもらえないもんだねえ」

 チカと頭上の光が点滅した。見上げたナマエが軽く手を払うと、羽虫のように光に寄ってきていた妖頭が跡形もなく崩れ散った。エセ霊媒師にこんなことはできないが、これを彼女の親に見てもらうことは叶わない。
 酒を飲み干した裕は切り替えるように大きく息を吐いたのち伸びをした。

「復帰早々愚痴聞かせちゃって悪いね。酔っちゃったし帰ろっか。明日もみっちり任務だよ」
「その程度では酔わないでしょう」

 そう言って、立ち上がった彼女を見上げれば相手はやはり困ったように眉を下げる。
 しばし見つめあったのち、再度二人分の体重がベンチに乗った。

「社会経験を積んだ七海クンが先輩のカウンセリングしてくれるの?」

 膝に頬杖を付いたナマエが、揶揄うように無理して目を輝かせた。けれど心内で落ち込んだままなのはバレバレだ。

「しません。……が、貴方と対話はしたいとは思いますね」
「対話」
「ずっと伺ってみたかったのですが、血の繋がりとはそんなに大切でしょうか」
「私にとっては大事だよ」

 即答が返る。普段より水分の多く見える瞳が揺らいでいるのは、アルコールのせいか増え続ける傷のせいか。どっちにしろもう放っておけない。
 数ヶ月前まで七海は、金を貯めて人と関わらない生き方をしたかった。だと言うのに、今、目の前の先輩のやわらかい部分へ自ら踏み込もうとしている。
 学生時代の憧れは、数年ぶりの再会を果たした瞬間に過去のものではなくなっていたのだ。

「うちうちだけでなく、外にも目を向けてみたらどうですか」
「ええ? 家族にも分かってもらえないことを赤の他人に分かってもらおうと思うのは、無理があるでしょ」

 やはり不器用な人だなと思う。そしてそんなところも、愛おしく思う。
 この人の苦しみが、少しでも軽くなるように。その一助でありたいとも、彼女にとっての唯一になりたいとも、思う。

「……他人だからこそお互いに分かり合おうと努力することができるのでは? 貴方はご家族を特別視しすぎるが故に過度な期待を寄せてしまっているんだと思いますよ」
「……」
「貴方の家は本当にここだけですか? 帰る場所を決めるのは自分自身でしょう。無理にとは言いませんが、東京に戻った時も“ただいま”と言っても良いんですよ」

 窘め諭すようなやわらかい声が響く。
 梅雨時期特有の湿度の高い風を受け木々が騒めいた。対話相手から目を逸らし目下の家に点々とともる暖かなあかりを見つめていたナマエは、七海へ視線を移し目を瞬かせた。

「……今の、目から鱗。七海って頭良いね」

 言いながら口元に指を添え、そういう考え方もあるのか……などと独りごちている。瞳の奥に見え隠れしていた澱はいつの間にか姿を消していた。

「貴方が頑固すぎるんです」
「それは言えてる」

 頷き、笑う。遠くで風の寝息が聞こえた。


 二人並んで階段を下る。
 やはりナマエの足取りはしっかりしていて、3%程度の缶チューハイでは全く酔えていないことがうかがえた。
 動きやすさ重視の太いヒールを踏み鳴らしながら、スッキリした顔の彼女がうわ言のように呟き七海を見上げる。

「でも、そっか。外ね、外……考えたこともなかったなあ……。誰かオススメいる?」
「非術師で?」
「んー、そんな知り合いいるの?」
「いません」
「あはは。じゃあ、取り敢えずは術師も可」

 一段飛ばしで地面に着地するナマエの丸い後頭部を眺め、七海は口を開いた。

「私はどうですか」
「えっ」
「貴方のためならいつだってこうして迎えに来ますよ」

 飲酒してなお白いままだった頬に、赤みがさした。彼女のただいまを聞ける日はそう遠くないかもしれない。

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