今日だけは僕の夢をみてよ
※189話くらいまでのネタバレを含みます。
※且つ、捏造だらけですのでなんでも許せる方のみどうぞ
永遠に続くかのように思われた忌々しい闇夜は、朝日とともに終わりを告げ、鬼舞辻無惨は消滅した。幾人もの鬼狩りが犠牲となったあの日のことを、私たちはけして忘れない。
鬼舞辻無惨の消滅とともに、不審死や神隠しといった鬼の仕業と思われる事件はパタリと途絶えた。噂通り、すべての鬼の元となった男が死んだことで鬼という存在がこの世から消えたと推察される。そして、何世代にも渡りひとりの男を追い続けた鬼殺隊は、ようやく目標を達成し、事実上解散と相成った。
家族が存命である者は故郷へ戻り、またそうでない者はめいめい気に入った土地に根を下ろした。皆が精神的にも物理的にも少しずつ平穏を取り戻していく中、蜜璃ちゃんだけは滅の字をその背に負い続けている。
蜜璃ちゃんは、鬼の残党が居ないとは限らないから、唯一生き残った柱である自分が最後の最後まで鬼殺隊であり続けるのだと言った。しかし、彼女が巡っている村々があの晩に命を落とした隊員の故郷であることを、私は知っている。遺された家族に隊員の死を伝えたり、身寄りのなかった隊員ならば、故郷にささやかな墓を作ってやっていることを、私は知っている。
彼女はきっと、柱でありながらあの夜早々に戦線離脱することになった自分を責めているのだろうと思う。これまでを振り返れば、蜜璃ちゃんに命を繋いでもらった人間は腐るほどいるはずだ。感謝されることはあれど、自責の念に駆られる必要はない。そう諭しても、蜜璃ちゃんは「そうだね」とは言わなかった。彼女のその優しさと高潔さを愛している身ではあるけれど、どうか自分自身を許してくれないかと願わずにはいられない。
あまり他人には言ったことがないが、私と彼女は同期入隊である。しかしもちろん、実力には天地ほどの差があった。
最終選別試験を思い出すと、喉の奥が藤の花の香でいっぱいになる。ともすれば窒息してしまいそうな息苦しさを覚えるが、死にこの上なく近づいた数日間は同時に蜜璃ちゃんという私のかみさまとの出会いでもあり、鮮やかに色付いている。
あの晩、一瞬の気の緩みから木の根に足を取られ、鬼の顔を鼻先に見た。息を飲む間もなく覚悟を決めた私に、「大丈夫?」と手を差し伸べたのは蜜璃ちゃんただひとりだった。彼女の少し硬い手はずっと私の救いの象徴だ。けれど、こんなに彼女に恩があるというのに、私は蜜璃ちゃんに何ひとつ、与えられたものを返せない。
「蜜璃ちゃん」
今日もまた朝日が登った。元藤の花の家紋の家であった平屋に一晩世話になった私たちは、また次の村を目指す。ささくれた指で髪を結っていた蜜璃ちゃんはゆっくり振り返る。
「ナマエちゃん、私に付き合わなくてもいいんだよ」
下手くそな作り笑いだった。
「ナマエちゃんは素敵な女の子だから、きっと殿方も放っておかないと思うわ。鬼殺隊の仕事は私がきっちり請け負うから、あなたまで刀を持ち続ける必要はないのよ」
抉られたような傷痕の残る左頬を隠すように、束ねた髪を触る様子が痛々しかった。私は別に、蜜璃ちゃんがいれば男の人なんて必要ないのだけれど。何度も繰り返しているやり取りだが、私の“普通”と蜜璃ちゃんの“普通”は違っていて、なかなか噛み合わない。おそらく、一生そうなのだろうと思う。
「嫌々ついてきてるわけじゃないんだよ。私が蜜璃ちゃんと一緒に居たくて付いてきてるの。邪魔かな?」
「まさか! ナマエちゃんが一緒だから毎日楽しいもの!」
今度は本物の笑みを浮かべて、彼女は頬を染めた。まるで花が咲いたような朗らかさがよく似合う。あなたこそ誰より素敵な女の子で、刀を持ち続ける必要はないんだよ、蜜璃ちゃん。
「ナマエちゃんは、伊黒さんのご出身を知ってる?」
一日中歩いたって私たちの旅は終わらない。山中の御堂で一夜を過ごすことにした私たちの目の前を1匹の蛇が這って行った。光のない目で蛇の消えた先を見つめる蜜璃ちゃんはポツリと言葉を溢した。
終わりの晩に、無惨の攻撃を受けた蜜璃ちゃんを助けたのは蛇柱の伊黒さんだったという。他の人がどうかは知らないが、私から見れば彼の好意は火を見るより明らかだった。文通を続けていた蜜璃ちゃんも満更ではない雰囲気だったから、柱たちの結末が違えば今蜜璃ちゃんは私と一緒にはいないだろう。彼女を慕っている私からすれば虚しく思う一方で、彼女の幸せをただ祈っている身としてはあの戦いで彼らの肉壁にすらなれなかった自分が憎かった。
「ごめんね。私、伊黒さんとはほとんど面識がなかったから……」
「そうよね。変なこと聞いてごめんなさい」
ハッと顔を上げた蜜璃ちゃんは、思い出すように頬の傷を撫でた。細い指が、形を失った耳まで這ってゆく。ひとつひとつの所作が自身を責めているかのようだった。引きつった皮膚が今にも張り裂けそうだ。
往復する指を見て、短く揃えられた爪が傷に突き立てられる様を想像してしまった私は、思わず彼女の手をつかんだ。指先まで温かい。彼女は確かに今も生きている。けれども生きていることは、幸せなばかりではない。
「蜜璃ちゃん、大丈夫……?」
言い終えた後で、なんて馬鹿なことを口にしたんだろうと自己嫌悪に陥った。私みたいなちっぽけな人間が、あろうことか蜜璃ちゃんに「大丈夫?」だなんて。強い彼女のことだ、大丈夫だって無理して笑うに決まってる。
しかし、恐る恐る離そうとした手を今度は蜜璃ちゃんがしっかりとつなぎとめた。
「……ありがとう」
絞り出された声とともに彼女の瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。とめどなく流れる滴を、空いている右腕で乱雑に拭っている。
「私、本当はずっと悲しいの。最後の日を思い出すと悔しいの。でも、1人だけ残った柱だから泣いちゃ駄目だって自分に言い聞かせてきたわ。何度も、何度も。だけどナマエちゃんは、そんな私を“普通の女の子”にしてくれるね。……隣にいてくれてありがとう」
予想だにしなかった想いに、言葉が出ない。私という小さな存在が彼女の支えになれているというのか。泣いている蜜璃ちゃんを見て、どこかホッとしている自分が居た。
私はずっと、蜜璃ちゃんに彼女の思う“普通の幸せ”を手にして欲しいと願っている。この涙はきっとその未来への一歩となってくれるだろう。子どものように泣きじゃくる彼女の手をいっそう強く握りなおした。
「目、擦ったら腫れちゃうよ。可愛い顔が台無しになっちゃう」
蜜璃ちゃんは、泣きながら器用に笑ってみせた。
刀を振るあまり柔らかさを忘れた優しい手を、私は愛している。貴女が素敵な殿方に出会って幸せになるというのなら、せめてそれまではずっと隣で支えさせてね。貴女が幸せだと涙を流して笑うときには、笑顔で祝福すると誓うから。だからどうか今だけは、この手を離さないで。
tittle by 花洩