祈らずとも朝日はやさしい


 隊士の亡骸は火葬された。
 土葬を主としている地域も多いが、今回の戦いはなにぶん死人が多すぎた。皆を埋められる十分な土地の確保が難しいことから、仲間たちは皆煙になって昇っていった。鬼とはいえ、元々人間だった者の肉を斬っておいて極楽に行けるのか、輪廻転生の円環に帰属できるのかは分からないが、今世で戦い抜いた心優しき仲間たちの魂が穏やかであることを心から祈っている。
 傷つきながら上弦の鬼を各個撃破し、あの恐ろしい無惨に最後まで食らいついた柱たちもまた、他の隊士同様炎に焼かれ骨となった。個性豊かだった顔ぶれは等しくほろほろと白く脆くなり、もう二度と暖かさは戻らない。どうして貴方たちが。そう語りかけても、骸はひとつも返事をしない。
 人はまず、聴覚に残された記憶から失っていくそうだ。私もいつか彼女の明るい笑い声を、仲間を背に庇い大丈夫だと言い切る力強い声を、忘れてしまうのだろうか。長い時間をかけて、人を幸せにする可愛らしい笑顔も、その身に纏っていた桜餅のようにあまい香りも、忘れてしまうのだろうか。彼女のすべてを忘れた私は、果たして本当に私といえるだろうか。
 耳元でごうごうと炎の音がする。人の肉を焼く御終いの音ではない。彼女への恋が燃える音だった。

§

 彼女は多くの隊士にとって、陽光のような人だったように思う。たわいもないことでよく笑い、小さな幸せを目一杯喜べる、本当に普通の女の子。常に生死の狭間にいる私たちにとって、普通で在り続ける彼女は冬の真ん中に射し込む春めいた柔い光のように心をあたためてくれる存在だった。
 私はそんな同期の彼女を心底尊敬していて、彼女のことが大好きだった。だから、めきめき強くなっていく彼女に少しでも近づきたくて、よく呼吸の話を振った。

「恋の呼吸って、どうやって使うの?」

 そう問うと彼女は思案顔をして、自分にとって一番心地いい呼吸がたまたまそう成ったと言った。さらに詳しく掘れば「ぐーっとお腹に力を入れて、ふーっと息を吐くの。そうすると次に息を吸うときほわーっと酸素が流れ込んでくるから、恋の呼吸になるわ」と要領の得ない回答が返ってくる。真剣な顔をして理解しがたい擬音語ばかりが飛び交うので思わず笑ってしまったことを覚えている。
 私は彼女とは別の育手に刀の握り方を教わり、炎の呼吸を少しだけ扱えた。柱などとは程遠い、いつ死ぬやも知れぬ吹けば飛ぶような平隊士だったが、あの軽やかに踊る恋の呼吸が炎の呼吸の派生だと聞いて何度も教えを乞うたものだ。
 けれど、あれを扱えるのは結局後にも先にも彼女ただ一人だけだった。

「煉獄さんは「心を燃やせ」とよく仰っていたわ。でも私は結局煉獄さんの言う通りにはできなかった。その代わり鬼と対峙した時、今までにないほど苛烈で燃えるような恋心が芽生えたの。あ! 鬼に恋したわけじゃないのよ! 可笑しなことを言うって思われるかもしれないけど想いの先は剣なの。素敵な殿方に出会いたくてここに来たし、実際素敵な方はたくさんいらっしゃるけれど、今世の私は剣に恋してしまっているのだわ」

 恋柱邸の縁側で、蜂蜜のたっぷりかかった菓子を美味しそうに頬張りながら、彼女はこっそりそう教えてくれた。照れたように頬を赤く染めた彼女の笑顔が今でも脳裏に焼き付いている。
 それは、顔の一部が抉れ、おびただしい量の血で染まっていた最後の姿とは似ても似つかない、ただただ普通の女の子の笑顔だった。


 隠に聞いた話によると、蜜璃ちゃんと蛇柱様は最期に来世を約束して息を引き取ったのだという。思えば確かに、蛇柱様と文通をしていると聞いたことがあった。文通をしていたのは何も彼だけではないのにと考えてしまう醜い嫉妬心は腹でたぎる恋の炎で灰にしてしまえないようだった。
 今世だけでもなく来世でも彼女の特別になり損ねた私はせめてもの救いを求め、鬼殺隊からの去り際、無理に頼み込んで彼女の日輪刀の鍔を頂いた。好いた相手の肉とも骨とも心ともお別れすることになったのだから、今生ずっと彼女とともにあった物をひとつ手にするくらい許して欲しい。立ち昇る蛇柱様の煙にそう手を合わせておいた。
 私の手におさまる件の鍔は、心臓を四つ集めたような珍しい形をしており、傷一つない状態でつるりと桃色につやめいている。日輪刀は持つ者に合わせてその色を変えるが、鍔の意匠もまた持ち手の人となりをよく表している。その大きさや深さの程度に違いはあれど、彼女ほど周囲にあたたかな心を向けた隊士もいない。だから、彼女の髪より濃い色で愛想よく佇むそれは持ち主によく似て、可愛らしく優しい出立ちだと思った。
 その一方で、彼女の亡骸が傷だらけだったのに持ち手を守るはずの刀の一部がこうも美しく残っているというのは皮肉めいてみえた。どうして主を守れなかったの。内心で無遠慮に響き続ける非難の声は、同時に私自身をも責め立てた。
 無惨との戦いにおいて、一般隊士の幾らかは柱を庇って命を落としたという。私は、その時点で既に負傷し気を失っていたためそれすらも出来なかった。あの時もっと頑張って立ち上がっていたら。彼女の側で、せめて盾になれていたら。なんて言ったら、彼女は顔を真っ赤にして怒るだろうか。思考をめぐらしたところで、花吹雪のような声は、もう聞けないのだった。

 私は、蜜璃ちゃんが好きだった。そして、蜜璃ちゃんが好きになったものも、好きになりたかった。蜜璃ちゃんの灼熱の恋の炎の一端に触れたかった。どうして稽古をつけてもらった時、もっともっと頑張れなかったのだろう。今私の身体の内側で燃えている炎と、彼女の抱いていた炎は似て非なるものだ。彼女の想いを私が完全に理解できるときは一生訪れないだろう。そんな当たり前のことが、心を虚しくする。
 握りしめた鍔の耳が、女らしくない硬くなった手のひらに食い込んだ。

 私は蜜璃ちゃんの言った剣への恋心を理解し得ないが、彼女を愛した者として、彼女がずっと激しく燃やし続けていたその想いを大切にしたい。この四つの心臓を持ち続けている間、私は私であり続けよう。何があろうとけして蜜璃ちゃんのことをひとつも忘れたりしない。痺れる指先にそう誓う。
 蜜璃ちゃんのいない世界は、私にとっては苦しすぎる。普通の呼吸をしているだけなのに、真冬の夜に放り出されたみたいに肺は冷ややかに凍りつく。けれど、今日も貴女を思って生きていくよ。これが、私なりの好いた相手への餞。
 だからね、生まれ変わったら絶対、今度こそ夢を叶えて幸せになって。そしてまた、あの眩しい笑顔で世界を照らしてね。

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