勝ち金の使い道でも考えましょうか
ここ最近の賭郎は良くも悪くも落ち着かない雰囲気が続いていた。それもそのはず、あの嘘喰いが屋形越えを達成しお屋形様の代替わりがなされたのだから。聞いた話によると、江戸時代から続くこの賭郎においてお屋形様の姓が切間以外になるのは初めてのことだそうだ。
棟梁の代替わりすら生きているうちに一度お目にかかれるかどうかの珍しさであるのに、それに加えて史上初の快挙の渦中を賭郎の関係者として過ごせるのは、多くの者たちにとってはなかなかの幸運なのかもしれなかった。
“お屋形様”という呼び名があの嘘喰いに移って以降、賭郎の勢力は海外にも及びつつある。特にお屋形様付きの立会人や会員時代の彼と縁のあった者は自然と
元々専属だった夜行立会人はもちろんのこと、私の直属の上司である棟耶立会人や歳の頃も近い弥鱈立会人も例外ではなく、最近はよく海外に飛んでいる。
一方、私にそういう仕事が回ってくることはない。いや、回されても困るけれど。
ロクでもない肉親によって借金のカタにされた私は、運良くか運悪くか棟耶立会人に拾われ、黒服として賭郎内で主に事務処理をこなしている。広くはない住処でせせこましく生活し、必要最低限の給金らしき何かが与えられ、ほぼ毎日を賭郎で過ごす。これは飼い殺し、とでも言うのだろうか。
しかし、個人的には現状を悲観するつもりはない。
生まれた時からお世辞にもまともとは言い難い環境で育った自分が一般社会で生きる姿は想像もつかないし、まあこのままでいいかなあとぼんやり思うのだ。それに、私の働きが棟耶立会人を始めとする他の賭郎関係者の役に立っているのならば、まあそれも、良いことだと思う。一応、生かしておいてもらっているという恩はあるわけだし。はたから見ればイカれた思考かもしれないけれど、三つ子の魂百までとはよく言ったもので、私には奴隷根性が染み付いているのかもしれなかった。
そういうわけで荒事とは一線を画した立ち位置にいる私がお屋形様や立会人の海外出張に直接関わることはまずない。せいぜい身分証の偽造なんかを請け負う程度で基本業務は今まで通り国内におけるギャンブルにまつわるものばかりであった。つまるところ、一部の顔見知りと言葉を交わす機会は最近めっきり減っている。
倶楽部賭郎などと言うイカれた人間の見本市のような職場において、同僚全てと仲良しこよしをしたがる奇特な者はそう居ないが、それでもやはり、これだけの大所帯であるから気の合う相手が出来ることもある。私の場合は年の近い弥鱈立会人がそういう存在の一人なので、関わりがどんどん希薄になってゆく現状を少し残念に思うこともある。
彼の暴が號数と見合っていないのは知っているが、それでも立会人は常に死と隣り合わせ。ある日突然ぐちゃぐちゃの肉塊になる可能性だって十分にあるのだ。実際に、そうなった者も知っている。無論立会人と呼ばれる彼らは立ち会いを通して個人の性癖を満たしており、そのことに1ミリも不満など持ち合わせていない。けれどもまあ、私の知らないうちに彼が命を落としたとしたら、それは悲しいことだなあと考えてしまう。かなり私情の挟まったこんなふつうの感覚を自分が抱けるとは思わなかった。
などと。内心思っていながらも私は一切口をつぐむ。先立つものも持たない、社会的にも精神的にも負け犬と呼ぶに相応しい私が、誰かに好意を伝えるなど。そんな馬鹿なことをして相手を煩わせるのすら、申し訳なく思うのだった。好きな人と恋人同士になって、手を繋いだりキスをしたり体を重ねたりと、そういうふつうの幸せを味わう役は来世の自分に任せると、随分前に心に決めた。
久しぶりに本部で見かけた弥鱈立会人は、相変わらず礼節もクソもない様子でポケットに手を突っ込んだままその長い脚を進めていた。ここ最近の忙しさのせいか、少しピリついた雰囲気が感ぜられたため、変に話しかけることはせず私は廊下の端に避けて「お疲れ様です」と会釈をするにとどまった。残念、と思うのは仕事に私情を挟みすぎだろうか。
しかし、出張帰りの上司へ溜まっていた書類を提出すべくそのまま通り過ぎようとすると、遠慮がちに呼び止める声がした。
「……あの〜、ちょっと」
「はい?」
声を掛けられたのが本当に自分かどうかの確証はなかったが間延びした語尾に反射的に振り返ると、弥鱈立会人が背中を丸めたまま音も立てずこちらに歩み寄ってきた。
黒のストレートチップは綺麗に磨き上げられており、今日はこれから業務につくのだなと分かる。
「どうされました?」
「少しお時間いいですかぁ? 多分すぐ済みますから」
「はい、何でしょう」
頷きながら向き直る。姿勢のせいで身長差のわりに顔の高さは近いが、目は合わない。斜め上に飛ばされた視線は考えを巡らせているように見えるものの、恐らく弥鱈立会人の癖のひとつというだけだ。
結局視線は交わらないまま、彼は唾風船を一つ飛ばしてから本題に入った。
「実はまたお屋形様のご意向で海外出張することになりまして」
「あらま、すっかりお屋形様のお気に入りですね」
「お気に入りって言い方、気味が悪いですねぇ……」
言いながら心底不本意そうに口元が歪められた。あれをお気に入りと言わずして何と表すのかと笑いかけたが機嫌を損ねると話が脱線しかねないと思い直し、私は口元を引き締める。
弥鱈立会人は面倒くさそうにため息をついて話を続けた。
「まあそれで、今回は言わば下見のような仕事なので補佐役として数名黒服を連れて行こうかと」
「立会人ではなく、ですか?」
「はい。派手に動き回るような予定もありませんし、それで事足りるかと。一応、本部付きの黒服から引っ張って行っても良いことになっています」
「なるほど……承知しました。後で日程等の詳細を頂けますか? 目ぼしい人材をピックアップ及びリスト化してお渡ししますので」
「どうも」
話しながら、適性のありそうな人材が複数頭に浮かんだ。派手に動き回る予定はないとのことだったが、暴力面でも役立つに越したことはないはず。立会人候補となっている優秀な、それでいてできれば弥鱈立会人と衝突しない性質の者から順に、向こう数週間のスケジュールと照らし合わせ、すぐにでもお知らせしよう。急な出張となっても、立会人を目指す彼らならば首を横には振らないだろう。
弥鱈立会人は私の返答に軽く頷いた。それでこの話はひとまず終わったはずなのだが、彼は場を離れない。それどころか、珍しくじぃとコチラの様子を窺っている。
「……まだ何か?」
「貴女は立候補しないんですかぁ〜?」
「えっ」
彼の予想外の言葉に、私は瞬きを繰り返すばかりとなった。何故か誰一人も通りかからない廊下で二人して首を傾げる私たちは、滑稽そのものだった。
「海外出張、嫌です?」
「嫌もなにも、適性がないかと……。そもそも私は賭郎の監視下にあるべき人間ですから、海外なんてとても……」
「逃げるつもりがあるんですか? それに、貴女が私を出し抜けるとでも?」
「まさか! でも、私がそんな気はないと言ったところで、気を配る必要が生じて手間ですよね? それにリストを作成する私には公平な立場が求められるでしょうし、この場合弥鱈立会人に依頼を受けた私は初めから戦力外と考えるのが妥当かと」
「頭が堅いですねぇ〜」
「えぇ……」
また彼の口から器用に唾風船が飛んで行く。つまらなそうに文句を言われたわけだが、とんだ言いがかりだ。そもそも最初に述べた通り、自分の身を守れるほどの暴すらない私はどう考えても力不足。分かった上で揶揄われているのかと思ったけれど、格下の自覚ある者をどうこうするのは彼の性癖ではないはずだ。
今日は一体どうしたと言うのか。疲労からくる八つ当たり?この手の精神ケアって賭郎で行われているんだろうか…いや、なさそうだなあ。壊れた人は死んでいくだけだろうし。
つらつら考え込む私を他所に弥鱈立会人は飛ばした風船が割れるのを見届けて、再度口を開いた。
「実は私今、銅寺立会人と勝負してまして〜」
「はあ……」
今度は何の話だ。本格的に彼の精神面を心配し始めた私は、おざなりに一応相槌を打った。
「貴女が好意を示してくれる方に私は賭けているんですけどぉ」
「……はい?」
賭郎の息の掛かった病院に心療内科が存在したかを必死に思い出そうとしていたのに、聞き捨てならないセリフが聞こえた気がする。眉根を寄せ聞き返すと、弥鱈立会人と目が合った。
「賭けてるんですよ。百万ほど」
「は?! ……今、何とおっしゃいました? 賭けの内容……」
「貴女が私に好意を示してくれるかどうか、です」
「何故そんなことを!?」
思わず大きい声を出してしまった。慌てて周囲を見渡すが、やはり長い廊下はおかしいくらいに人の気配がなくしんとしている。
「本当に分かりません? 私、興味のない事柄に賭けるほど酔狂なギャンブラーじゃありませんが」
「いや……ハハ、そんな馬鹿な……。と言うか、それが本当だとして、私に伝えたらイカサマになるじゃないですか」
一歩後ずさると、彼は何故か二歩隙間を詰めた。
「今回、イカサマのルールは設けていませんからご心配なく」
最早身の危険を感じる。王手。チェックメイト。そんな陳腐な言い回しが脳裏をよぎり、履き慣れているはずのヒールが不安定に揺れた。
「……自分が好意を伝えても相手に迷惑だろう、とか思ってそうですよねぇ〜、貴女。いつも敗けると思い込んでそもそも勝負に乗ってこない根っからの負け犬気質。……ただ、テーブルに着かない部外者だからこその余裕が常にある」
「……」
直球ど真ん中の図星。思わず返事に窮する。
彼は目を細めて、人相をさらに悪くした。
「そういうのって、崩したくなりますよねぇ〜。……正直、貴女では私の性癖は満たされませんが、常に諦めた風でけしてベットしない貴女を
そう言って、弥鱈立会人は片方の口角を歪めた。笑おうとして失敗したような奇妙な表情だった。
変わらず絶句している私を尻目に、怠そうに首をぐるりと回し言葉を続ける。
「件の賭けのタイムリミットは今日までなんです。私はこの後立ち会いがありますから、戻るまでに私の賭け金がどうなるかを考えておいてください〜」
「え、ちょ……」
「出張の日程についてはすぐに通達しますので、リスト作成もお願いします。先ほど申し上げたように、立候補していただいても構いませんので」
それでは〜、と結びの言葉を残し彼は踵を返した。だらりとした印象のわりに踵を擦るような歩き方はしない弐拾八號の背を、私は慌てて追いかけた。
「あの、ちょっと!」
「はい〜?」
「もし仮に……仮にですよ。その賭けに弥鱈立会人が勝った場合私はどうなるんでしょうか?」
探るように訊ねると、立ち止まった彼はいつもの無表情のまま肩をすくめた。
「そうですね……貴女がこれまで諦めてきた事が、いくつか実現するんじゃないですかぁ? 私は貴女のことを結構気に入っていますから」
ピクリともしない表情筋とは裏腹に、獲物を前にした獣の如く鋭い三白眼は爛々と熱を持つ。
気付けば数分のうちに、冗談では済まされない所まで追い込まれていた。
滑り落としかけた書類を抱え直す私に出せるカードは一つだけ。早鐘を打つ心臓は、部外者の立場を崩され初めて勝負ごとに引き摺り込まれたからなのか、それとも……。
改めてその場を辞した弥鱈立会人の背を今度こそ見送り、私もようやく踵を返す。取り敢えず、まずは仕事をしなければ。しかし、そう思って踏み出した一歩目で、何もない床に躓いたのだった。
弥鱈立会人、知ってます? こんなに落ち着かず取り乱すのは、私自身初めてなんですよ。