確かな名前はまだない


 確かに、所属が変わる可能性があると事前に通知はあった。けれどもまさか、こんな圧倒的男所帯に放り込まれるとは。
 ガヤガヤ忙しない座敷の上座では新しい上司がとんでもないスピードで酒を煽っている。空になった先輩黒服のグラスに酒を注ぎながら、奇妙な巡り合わせに目眩がしそうだった。

 門倉立会人の配下は多くの黒服の間でも“当たり”と言われがちである。立会いも取立てもスマート。暴だけでなく知も備えていて、面白味のあるゲーム考案もお手の物。会員への直接の恫喝行為を避けるため、部下への叱責の体で声を荒げることもあるが、それ自体を褒美のように喜ぶ黒服も多いとか。そういう噂は、意識せずとも耳に入った。
 けれど、私にとっては当たり外れを語れるほどの人でもない。自分の人生には存在しなかったタイプの人種だから、未知の存在というイメージが強い。ただでさえ目立つ長身に、長ランじみた改造スーツ。そして極め付けはあのリーゼント。なかなかどうして、インパクトがあり過ぎだ。レッドリストに登録済みの天然記念物か?
 ここ最近は警視庁地下での賭郎勝負で負った大怪我の影響か、髪をセットしている姿こそ見かけないものの、代わりに長い髪から覗く左目部分には眼帯が添えられている。怪我なのだから仕方ないと思う一方で、本部で見かけるたび、いやいや属性盛りすぎだろうなんて俗っぽいツッコミを内心繰り返してしまうのも致し方ないのではなかろうか。
 得物を使わず拳ひとつで相手を粛清する彼のスタイルは、女である私が貫き通すには難しく、それでいて憧れを拭えないタイプの暴でもあり、その部分に関しては文句なしにかっこ良いとは思う。しかも怪我を経てその暴は衰えるどころか一段と磨きがかかり、今や弐號立会人の身。立会人としては非常に尊敬する相手である。
 しかし、ただそれだけだ。別に彼の元で働きたいという強い希望があったわけではない。そう、私はこれまで通り別の立会人の元に在籍させてもらえればそれで良かったのだが……。

「私が、ですか?」
「おう」
「しかし、門倉立会人の家なんて私」
「住所送っといたから、あと頼むわ」
「は」

 ──どうしてこうなった?
 わざわざ高さの合わない私の肩を借り、かろうじて歩けている門倉立会人と、大役を言いつけてきた先輩黒服を交互に見やりながら目を剥いた。
 門倉立会人のチームでは定期的に開催されるという飲み会の帰りである。お屋形様の思い付きかもっと別の誰かのお遊びなのかは知らないが、何故か門倉立会人お抱えの黒服として新しい部署、つまり彼の配下に組み込まれた私は、初めてこの恒例行事に参加した。
 今時こういうのあるんだ……という本心を飲み込み、飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎを生き延びた私は現在進行形で積み重なるハラスメントに頭を痛めているわけで。
 いいや、百歩譲って飲み会は別に良い。先輩への酌も、気付いた時に何となく自発的に行っただけなので、まあ目くじらを立てるような事ではなかった。しかし、これはないだろう。酔った上司(異性)を家へ送り届けろ、なんて。てか、立会人ってこんなにベロベロになって良いのでしょうか?
 しかし私の文句を聞き入れるものは一人としておらず、同僚たちは帰宅する人、二次会へ参加する人へバラけ、仕舞いに私たち二人は誰かが呼んだらしい賭郎ドライバーの車に押し込まれたのだった。

 何も告げていないのに勝手知ったる様子でなめらかに走り出したスモーク貼りの車。大人しく座って俯き動かない門倉立会人。開いた携帯に確かに届いている住所と部屋番号。頭に浮かぶテキストはもちろん「にげられない!」の一択のみ。
 「すみません、ここで下ろしてください」と全てを投げ出せる性格だったらどれほど良かったか。大きくため息をついた私は、一刻も早く立会人候補の黒服ではなく一人の立会人になれることを願った。こういう状況、殺し合いよりよっぽど困る。マジでたすけて。
 と言うか、今この瞬間ならば私でも門倉立会人を殺せてしまうんじゃないか? そうしたら一足飛びに立会人の座につけるのでは? いたずら程度の悪意を持って隣を向くと、流れる黒髪の隙間から覗く鋭い瞳とハッキリ視線が交わった。ええ……弐號って酔っててもこのレベルで反応するの? だ、ダメだこりゃ……。
 そう頭を抱えているうちに、やがて車はゆっくりと停車し生真面目そうなドライバーが着きましたと端的に告げた。ここで駄々を捏ねても仕方がないので、礼を言って降車し、逆側のドアを開けて門倉立会人に声を掛けた。しかし、先の無言のやり取りなど存在しなかったかのように、彼は店を出た頃に逆戻りしていた。「立てますか」の問いに「うん」と答えたきりまた深く俯く酔っ払いの様子に天を仰いだ私は、彼の腕を取りこのまま部屋まで送り届ける決意をしたのだった。

 揃わない足音。視界の端で絡む互いの髪。確かに香るアルコールとは違う匂い。謎の背徳感がムクムクと膨れ上がり、気まずいったらありゃしない。
 その反面、こうして普通に酔っ払っているものだからほんの少しだけ親近感も沸いた。結局彼も、未知の生き物などではなく一介の人間なのだろうと思わされる。そんな収穫があって良かったなあ。なんて無理に自分を納得させながら歩みを進める。はあ、特別手当とか支給されませんかね? 憂鬱な心の声に返事はもちろんない。
 道中適当に声をかけつつ、ようやく目当ての部屋まで来た。長身の男が身を屈めずとも余裕で通れるであろう玄関を潜り抜け、「着きましたよ」と廊下に座るよう上司を誘導した。これ、中に運ぶまではしなくて良いよね?自問自答を繰り返しているうちに重い玄関ドアがひとりでに閉まった。

 ガチャン──

 その刹那、空気が揺れた。
 音に気を取られかけていた私だったが、ハッとして意識を目前に向け、何も見逃さぬよう目を見開いた。
 顔面へ向かい打ち込まれた拳の軌道を咄嗟に左手でズラし、すかさず自分の右手を握り込むと同時に正面に立つ相手の腹めがけて突き出した。状況を把握しての行動というより感覚的には自分の身を守るためのフルオート迎撃と称した方が正しい。

「ほお、キチッと反応出来とるね。感心感心」
「は、」

 攻撃に転じた私の右手は、それなりの速度と重さを持って打ち出したはずなのだが、白手袋をした彼の左手に軽々と止められていた。
 正直なところ、彼の握力を考えればこのまま力を込め拳を砕かれてもおかしくない気がする。それに加え、果たして先刻の初撃を見切れなかった場合、寸止めで済ませて貰えたのかはあのすさまじい勢いを見るに怪しいところだった。つまり、もしこのままやり合うことになれば、私に分はない。
 数秒置いて自分の置かれている状況に対する解像度が上がると、ドッと汗が吹き出し心臓が喚き出す。そんな私を見下ろして、自分の足でしっかり立っている門倉立会人はにこりと胡散臭い笑みを携えた。これ以上追撃する気はないらしい。

「立会人候補とは聞いとったが、なかなか優秀」
「……一応確認しておきたいのですが、酔ってらっしゃいますか?」
「初めから酔うとらんよ」

 あんくらいで潰れるか、と鼻で笑う上司に、本日何度目かの目眩を覚えた。少なからず手心は加えられていたと信じたいが、酩酊状態でもないのに部下の頭部を潰そうとしたのか。そもそも最初から酔ったフリをしていたのは何故。力量を測るため? そんなの仕事を与えてくれれば判っただろうに。
 流石に前言撤回せざるを得ない。やはり門倉立会人は未知の生き物だ。考えがひとつも理解できないのだから。
 ここまでの展開は全くもって理解不能なことだらけだが、愉しそうに歪む片目を見るに長居しても碌なことにならない確信は持てた。

「……なるほど。では大丈夫そうですので私は帰りますお邪魔しました」
「まあ待て」

 ひと息に挨拶を済ませ右手を自由にしようと腕を強く引いたが、立会人はびくともしない。それどころか、ドアに突いていた右手を縮めた彼がじわりじわり近づいてくる。ハラスメントのレベルがとんでもない域に達し、またも「にげられない!」のテキストが頭をかすめた。

「酔ったフリをなさったり、急に暴力行為に及んだり、一体何がしたいんです?」
「そりゃあ期待の新入りとのコミュニケーションじゃろ。車ん中で人に殺意向けよったし、こっちの方が性に合うんかと思ってな」
「……」

 車内での眼光を思い出し、閉口。門倉立会人の言い分も尤もだった。実際に手を出したわけではないけれど、先に喧嘩を売ったのは確かに私の方である。とは言え我々が所属する賭郎はあくまで実力主義。謝罪するのも違うだろう。
 そう大人しく黙っていると、立会人は更に詰め寄って来て、いよいよ両膝の間に彼の足が差し込まれ始めた。ハ? 待て待てこれはシャレにならない。

「自分より號数のデカい立会人ならまだしも、部下に殺気を向けられたんは初めてでのぉ……」

 ギョッとして見上げると、覆い被さる黒ずくめの男は不謹慎に口元を弛ませる。

「おどれはワシのことが気に食わんのか。それとも、」

 流れる黒髪が頬を掠めた。私の左耳に顔を寄せた門倉立会人は、息を吹き込むように囁いた。


「気になっとんのか?」


 ゾッとした。いや、ドキッとした? 自分でも訳の分からない感覚で産毛が逆立つ。

「し……」
「し?」
「失敬っ!」

 いつの間にか解放されていた右手を、無我夢中で鳩尾へ叩き込む。先の発言を否定したかったのに、出来なかった。なぜなら咄嗟に口から出たのが門倉立会人の口癖のひとつだったからだ。私はいつからこんなに、口癖が移るほどに彼のことを見ていたんだろう。訳の分からない未知の存在だと思って遠巻きにしていたはずなのに。
 私の拳を身体に受け、上司は小さく呻き力を弱めた。その隙を縫って今度こそ部屋から抜け出した。ボタンを連打しエレベーターを呼びながら、今の隙はわざと作られたんだろうなと思った。逆に言うと、あのまま抵抗しなければ中に引きずり込まれてペロリと食われていたかもしれない。間違いなくそういう目をしていた。思い出して、心臓が跳ねた。

 数分前に私たちをここまで送り届けてくれた賭郎の車は当然消えていた。立会人でもない黒服の扱いなんてのは普通こんなもんだろう。深く深く息を吐き、携帯の地図を見ながらひとまず駅を目指して夜道をゆく。
 歩みを進める間、「気になっとんのか?」と愉しそうに吹き込まれた吐息が頭の中でリフレイン。顔。声。体温。匂い。彼の存在がまるで楔のように打ち込まれてしまっていた。
 顔が熱い。果たして、私は新しい上司の元やっていけるのだろうか。歩調をぐんぐん速め、明るい道を選び進む。
 未知の存在。理解できない相手。私の語彙で彼をかたち創ると、その単語はマイナスイメージだらけになってしまう。今夜の出来事も、まだきちんと消化しきれていない。なのに、新しく吹き抜けたスリルに私の心は浮き足立っている。
 身体が意に反して動く。武者震いだ。酔っ払いを見捨てられない程度には普通の感性を持ち合わせているつもりだったが、どうやら私もきちんとイカれているらしい。これから始まる新生活を想い、砕かれずに済んだ右手を握りしめた。

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