ぐらぐら

 ゆったり波を受けながらライオン頭の船は真っ直ぐ進む。冬島の海域抜け、今のところ海は穏やかだ。

 麦わらの一味は良くも悪くも海賊らしくない者たちの集まりだった。その証拠に、同盟相手とはいえ他船のクルーであるナマエが船内を自由に歩き回っても特に誰も気にする様子はない。むしろ、率先しておすすめスポットを紹介してくれるほどのお人好し揃いときた。
 麦わら帽子を片時も手放さないこの船の頭に「いつか敵になるかもしれないのに、何もかも話してしまっていいんですか?」と問うと、彼は不思議そうな顔をして「お前らは友達じゃねェか」なんて答える。自由を体現するようなその態度には好感が持てた。ただ、うちの船長は苦手とするタイプかもしれない。
 麦わらとは逆に、ハートの海賊団のトップであるローはナマエが他所の船でウロチョロ動き回り必要以上に同盟相手と仲良くするのに対しあまり良い顔をしなかった。けれどもわざわざ叱りつけたりはせず、ただじっとシーザーを見張りながら念入りにこれからの計画を詰めている。
 表情こそ普段通りのしかめ面だが、いつも以上に張り詰めた雰囲気に気圧され、思案を続ける彼に話しかけることができなかった。

 潜水艇とはつくりの異なる帆船はどこを見ても興味深かったが、結局のところナマエが足をむけてしまうのはアクアリウムバーだった。
 すいすいと泳ぐ魚を見て海の中にいるような気分になれるここは潜水して進むことの多かったポーラータング号を懐かしむには十分だ。ドレスローザへ向かう道中、自由時間の間はここに居座っている。この船の住人たちは何も言わないし、“バー”と呼ぶだけあってか頼めば女好きのコックが嬉々として飲み物を提供してくれる。
 居心地の良さを追求して造られた、良い船だ。けれどもやはり、自分の船に漂う潜水艇特有のあの臭いが恋しかった。
 コポコポとエアの音を聞きながら思い浮かべるのは先ほど改めて全員に周知された同盟の件だ。四皇の一角・カイドウをその座から引きずり下ろすという口説き文句でこの同盟は成立しているが、ローがカイドウとジョーカーをぶつけるシナリオを本当に描いているのかは甚だ疑問だとナマエは思っている。冷静で聡明な船長であっても、恩人の仇を前に熱くなってしまう瞬間があるのではないだろうか。先んじて聞いている今後の計画では、ドフラミンゴとローが顔を合わせることになるのは必至と思われる。
 ナマエは仲間たちに「キャプテンを頼んだぞ」と念を押され送り出されているが、その時からずっと悪い予感が付きまとっている。

§

 ドフラミンゴへ突きつけた条件の期限が刻一刻と迫る夜半、今日の寝床に決めていたアクアリウムバーから顔を出したナマエはシーザーの近くに腰を下ろし瞼を閉じているローにそっと声をかけた。案の定すぐさま星色の瞳を覗かせた彼に向かって、半端に開けたままの扉を指差した。

「なんだ」
「ちょっと来て」
「……」
「大丈夫、シーザーはぐっすりだよ。見える範囲に雲はないし、見聞色使える人も複数人いる。ね、ほんの一瞬だけでもいいから」

 近くで図太くも深く寝入っているシーザーに目をやったローは、しぶしぶといった様子で立ち上がる。もちろん、ため息を一つ落とすのも忘れずに。

「……船の中に水槽か」
「生け簀も兼ねてるんだって。綺麗だよね。しかも」
「ウチの船を思い出す」
「うん」

 当然の如く、ローもナマエと同様の感想をこぼした。微かな月明かりを浴びて、魚の腹が水面のように光る。夜行性らしい一匹はぎょろりとした目でこちらを一瞥し、悠然と去っていった。
 自船の窓からも何度も見たことのある光景だ。ただ、もちろん違う部分もあるのだが。

「話は何だ」

 話したいことがあるとは言わなかったのに、ローは座り心地の良いソファーに腰掛けることもなく真っ先に本題を問う。扉もきちんと閉めていないので、すぐに甲板に戻るつもりなのだろう。
 今更ながら、急かされるナマエは足元がぐらぐらと不安定に揺れるような感覚に陥った。船の揺れではない。これを言っても良いのだろうかという迷いが錯覚を生んでいた。

「……」
「話がないなら戻る」
「待って」

 いつにも増して気の短い彼を引き止め、綱渡りをするような感覚のまま、言葉を選ぶ。

「キャプテンは、もしドフラミンゴを倒せるなら……相打ちでも良いと思ってる?」
「計画通りに進めば直接戦うことはねェよ」
「……うまくいかなかった場合のプランが、頭の中にはあるんだよね?」

 ローは答えなかったが、その沈黙がほとんど答えだ。ぐらぐらぐら、揺れが大きくなる。どうやら今度は船自体も揺れたようだが、よろめいたのはナマエだけでローは平然としていた。もちろん、先の非難のような言葉にも顔色ひとつ変えてくれない。
 揺れに合わせよたよたとバランスを取るたび踏みしめた足元から乾いた音がする。それを聞きながら、非力だなと感じた。
 あなたの恩人に対する想いはとてつもなく大きいのだろうが、私たちがあなたを想う気持ちもまた大きいのだと、いったいどうしたら伝わるのだろう。
 答えは一人では到底導き出せそうになかった。月並みなセリフばかりがこぼれて嫌になるほどだ。まだ少し揺れの続く船内で姿勢を取り繕い彼を見上げる。

「キャプテンと一緒に、ポーラータング号へ帰りたいよ。私たちクルーはみんな、あなたのことが大好きだから」
「……覚えておく」

 眉間の皺を深くしたローは、ナマエの言葉を否定せず、しかし全面的に受け入れることもなかった。自分の考えを曲げるつもりもないとみえる。
 踵を返し半開きだった扉から静かに出ていった彼は、今度はきっちりと扉を閉めた。
 コポコポと魚を生かす音だけが響く部屋で、ソファーに腰掛け水槽を仰ぎ見る。ついさっきナマエの横を通り過ぎた魚が、今度は向きを変えて戻ってきた。ポーラータング号の窓越しに広がる景色は、水槽よりずっと広く続いているため、同じ魚が何度も行き交うことなどほとんどない。
 似た景色が見られるからこそ、元の自分の居場所との差異が明確に感じられ、やはりここは自分の居場所ではないなと感じた。ここにいるとナマエは、自分の船がどんどん恋しくなる。
 キャプテンが少しでも自分と同じ気持ちになってゾウで待っている皆のことを思い出してくれたならば、わざわざ呼び出した甲斐も、情けないことを言った甲斐もある。けれども実際に彼が何を考えているかなどは分かるはずもない。
 明日は彼にとっても自分にとっても忘れられない1日になるだろう。キャプテンと一緒に帰れますように。いまだ拭えない不安感を抱えたまま、ナマエは目を閉じた。
 絶えず揺れながら、船は真っ直ぐ進み続ける。

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