甘い味だけ知っている

「よ、久しぶり! 暇ならデートしねえ?」

 冗談交じりのクサい台詞を口にして、彼はにんまり笑った。しょうがないな、なんて偉そうに返事をしてやるつもりだったのに、声を出そうとした瞬間に目が覚めた。なんだ、夢かぁ。
 欠伸交じりに上体を起こしたものの寒さにぶるり身震いをして、私は再び布団に潜り込む。頭まですっぽり布団を被って引き込んだ携帯を操作する。彼とのトーク画面は二週間前から動いていない。ブン太たちが合宿に行ったのは冬の初めだっただろうか。それからしばらく経ち、いつしか吹く風は肌寒いどころではなくなった。真冬を目前に控え、そろそろ厚手のコートを出そうかなと考えているくらいだ。
 ただでさえ教室の空席を寂しく思っているというのに、時間が経つにつれて彼から連絡が途切れることも増えた。どちらかといえば連絡マメなブン太がメッセージを寄越さないのは珍しいけれど、きっとそれだけ忙しいということなのだろう。
 トーク画面を遡ると、近くにできたケーキ屋さんの話とか、調理実習の話とか、くだらない会話ばかりが残っていた。今は、こうやってたわいもない話でひと息つく間もなくテニスに明け暮れているということか。ちょっとは私にも構って欲しいなぁ、なんちゃって。
 馬鹿な考えに笑いつつ折角の機会なので、さっき見た夢の話を打ち込んでいく。疲れた時にこれを見て「くだらねー」なんて笑って元気を出してくれたら狙い通りだ。


 休日。友達に誘われて向かう先は少し前にできたケーキ屋さん。ブン太に「今度一緒に行こうね」などと言っていたのに、1人だけ抜け駆けになってしまった。けれども、甘いものに目がない私がちょっとは我慢したのだから、逆に褒めて欲しいところだ。
 自分を正当化しつつ、友人へ着いたよと連絡をした。店の前にできている行列の最後尾に加わり、前を眺めながら待ち時間を予測する。ひとつ前に並んでいる二人組はどこか見覚えがあるから、もしかしたら同じ学校の子かもしれない。
 一人きりで並んでいるのが私くらいのものなので居心地悪くしていると、ほどなくして携帯が震えた。しかし、件の友人から返ってきたのは「今日は楽しんでね」なんて噛み合わない答えだった。

「……裏切り?」
「それはお前だろぃ。抜け駆けするとは、薄情なやつ」

 列に割り込んだ誰かが、スマホに視線を落とし唖然とする私の頭をチョップした。前から悲鳴に似た黄色い声が上がった。まるでアイドルでも見たかのようなはしゃぎよう。
 まさか!と顔を上げると、彼のアイデンティティとも言えるフーセンガムがパチンと弾けた。

「ブン太?!」
「よ、久しぶり! 暇ならデートしねえ?」

 ニッと笑ったブン太は数日前の夢と一言一句違わないことを言って迷いもせず私の隣に収まった。私はというと、目を白黒させるばかりだ。

「あ、お前の友達はこのサプライズの協力者だから心配しなくていいぜ」

 そうウインクして彼はまたフーセンガムを膨らませる。グリーンアップルの甘い匂いが最早懐かしい。
 列がのろのろと前進したのを合図に我に返った私は、頭の後ろで手を組む呑気な男に詰め寄った。

「どうしたの? こんな急に! 合宿は終わり?」
「まだ。今日はパスポート取りに来ただけ」
「パスポート?」

 修学旅行の際に慌ててパスポートを取得したにすぎない私にとっては、あまりなじみのない単語だ。ただでさえ家を離れての合宿だというのに、そこからまた更に海外合宿にでもいくのだろうか。意図が掴めず首を傾げると、ブン太は随分もったいつけて口を開いた。

「そ。なんと! U-17中学生代表に選ばれちまったから、オーストラリアの大会に行くんだよ」
「えっ! 日本代表ってこと?」
「おう!」
「すご、天才的じゃん! おめでとう!」

 思いもよらなかった重大発表だ。大はしゃぎしてハイタッチの構えをとると、ブン太は機嫌良くそれに応えた。パンッと乾いた音が鳴り、列を作っている人たちがこぞってこちらに視線を向けたが、そんなことは気にならなかった。
 しかしブン太は、すごいねとしきりに繰り返す私をじっと見て急に静かになった。

「どうしたの?」
「いや、また忙しくなるからよ。あんまり連絡できなくなっちまうと思うぜ」
「なーんだ、そんなこと気にしてたの?」

 あんまり神妙な顔をするものだから身構えた私は拍子抜け。ケラケラ笑っているとぐんと列が進んで、店の入り口はもうすぐそこだった。ブン太の手を引き前に詰める。時間短縮のためメニューを渡されたが、ブン太と会った瞬間から私はずっとアップルタルトの気分だ。置いてあるかなあ。
 メニューを開こうとする私の肩を彼がガシリと掴み、自分の方を向かせた。ほんの少し屈んでくれているようで、目線の高さが揃っている。

「そんなことってお前。この前の夢見たってやつ、寂しいってことだろい?」
「まあ…寂しくないとは言わないけど……。でも、ブン太が返事しなくても、美味しいスイーツ食べた話とか、学校であった面白い話とか、たくさん送るよ。だから大丈夫」
「それのどこが大丈夫なんだよ」

 ブン太は眉をひそめた。数学の問題を前にしている時の顔だ。

「ブン太は寂しい思いをさせるって気にするくらい私のことが好きで、私は面白いことがあるとすぐ報告したくなるくらいブン太のことが好きだから、大丈夫なの!」

 ね? と笑いかけるより先に、私は彼に抱きしめられていた。合宿前より数段筋肉質になった気がする。ぎゅうぎゅうと肩口を通る腕に力が込められた。かろうじて肘から先を動かし、ブン太の脇腹をつつく。

「あの、ちょっと、人前なんだけど……」
「今更だろい。あー、俺、お前のこと好きでよかった」

 前方からはまた悲鳴が聞こえる。あーあ、休み明け、私が時の人になっちゃうかも。まぁでも、ブン太が嬉しそうだから良いか。


§


「丸井くーん! おかえり! あれ? いい匂いがする」
「ただいま。もしかしなくてもこれだろい?」

 ラッピングされたクッキーを持ち上げると、ジロくんが鼻をひくひくさせて大きく頷いた。
 あの後店に入り2人で美味いケーキに舌鼓をうって、たわいもない話をしていると時間はすぐに過ぎていった。名残惜しく思いつつ、ナマエを家へ送り届ける道すがら翌朝には合宿所へ戻ることを告げた。すると、俺の可愛い彼女はなんとこの手作りクッキーを持って見送りに来てくれたってわけだ。
 別にあいつはお菓子作りが趣味って訳でもないはずだが、「たまにはブン太の彼女らしいでしょ」なんてうっすら隈のある顔で笑っていた。すげえ好かれてるなって思う。

「彼女サンの手作り?」
「そう」
「そっか〜じゃあ、頂戴とは言えないC」
「と、思うだろい? でも、同室の人の分もって渡してくれたからジロくんにもお裾分け」
「マジマジ?! すげー優C人だねえ!」
「まあな。自慢の彼女!」

 包みからクッキーを1枚取り出し口に放る。広がる甘さに思わず口角が上がっていく。タイミングよく震えた携帯を見ると、「味わって食べたまえ!」と偉そうなメッセージに荒れたキッチンで笑うナマエの画像が添付されている。粉のついた手でピースする彼女を見て俺は、あー、すげえ好きだな、なんて思うのだった。

tittle by 約30の嘘

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