春の歌
※高校生設定
卒業式を直前に控えた登校日。三年生たちが式のリハーサルに参加している中、同じく卒業生の仁王はまだ肌寒い屋上でシャボン玉を飛ばしていた。ナマエが声を掛けると、緑色のストローの先で作りかけのシャボン玉が割れた。
「またおまんか」
「だって仁王先輩に会えるの、今日と卒業式で最後ですもん。ね、進学先教えてくださいよ」
「ナイショ」
ナマエは肩をすくめ、スカートに気を使いながら仁王の隣に腰を下ろした。つま先をぱたぱた上げ下げしながら、緊張を滲ませて隣の男を見やる。
「じゃあ私と付き合ってください」
「じゃあ、の意味が分からん」
肯定でも否定でもない返事をよこし、仁王は意地悪く口端を歪め鼻で笑った。
中学時代から続くこのやり取りももう五年近くになる。告白したときの返事が明確なお断りではなく、こういうかわし方になったのはいつ頃からだっただろう。そのせいで淡い期待を抱いてしまうナマエは諦めきれず、告白を幾度も繰り返していた。
仁王のやり口について、たちが悪くてサイアクと思うのに同じくらい好きだなとも思ってしまう。馬鹿げた悪循環だった。
「……真面目に返事して欲しいんですけど」
「おまんが俺と柳生の入れ替わりを間違えなくなったらな」
好きですと言い始めて間もない頃の失敗談を引き合いに出され、一瞬言葉に詰まる。けれども、今日だけはどうしても引き下がれなかった。ナマエは常々思っていた言葉を返す。
「そもそも入れ替わりって間違えられた方が嬉しいんじゃないですか? 先輩たちの完成度が高いってことじゃん」
「それはそれぜよ。特別な相手ならなおさら、見分けつけて欲しいもんよ」
「私って、そんなにいつも間違えてますかね?」
「ナイショ」
「そればっか。二人とも、答え合わせすらしてくれないんだもんなあ……」
恐る恐る訊ねてみても、暖簾に腕押し糠に釘。
話は終わりと言わんばかりにシャボン玉遊びを再開した端正な横顔が恨めしい。抱えた膝に頭を乗せて、ナマエは改めて「大好きなので付き合ってください」と想いを伝えたが、仁王はやはり小さく笑うだけで、縦にも横にも首を振らなかった。
§
先日とは打って変わって気温がぐんと上がり、門出にふさわしいうららかな日和となった。きちんと式典用のネクタイを身につけてきたが、結局仁王は式には参加しなかった。こんなに気持ちの良い日に体育館にこもるのは勿体無い。
生徒の名前を一人一人読み上げる担任は焦るかもしれないが、出席日数は足りている。お気に入りスポットである屋上で、幸村や園芸部か何かが丁寧に世話していた花の蕾を眺めていると、怒涛の六年間が瞼の裏を流れていった。
キャパシティの問題から在校生は代表者を除いて式に参加できないものの、部活の先輩や憧れの誰某を祝福するべく、生徒たちの気配が構内のそこかしこにあった。
さざ波のような賑わいを感じながら、欠伸を噛み殺す。
「柳生先輩」
感傷に浸っていたところ、躊躇いなく声をかけられ仁王は密かに面食らった。彼女がやって来るのは想定内だが、記憶している限りでは入れ替わりをしていない時にナマエが仁王と柳生を間違えたことはないはずだ。
体育館から漏れる校歌をBGMに、よりによって高校で顔を合わせる最終日の今日外すかよと逆に面白いくらいだった。
「……最後の最後に盛大に間違うとは…お前さん……」
答え合わせに等しいセリフで返事をしたというのに、ナマエは狼狽えたりせず、ただ呆れ顔を作ってみせた。
「何すっとぼけてんですか。昨日、最後だから入れ替わりするって自分でネタバラシしたじゃないですか。誰も連れてきてませんから、別に仁王先輩ぶらなくていいですよ」
「……」
あの男を紳士とか言い出した奴は一体誰だ。
仁王は崩れそうになる表情筋をなんとか御し、ポーカーフェイスを貫いた。しかしながら、そんな話初耳である。
文句を言おうにも当の本人は真面目に卒業式に出席していることであろう。相方のことをとてつもなく“良い”性格をしていると思うと共に、一方で自分の影響が少なからずあることも分かる。中学も高校も一緒に過ごしたという年月は決して短くない。
すっかり柳生の詐欺にかかってしまっているナマエを責めるのも可哀想だろう。柳生が何を考えてこのようなシチュエーションを生み出したのかは想像もつかないが、あたふたすることでもないので大人しく流れに身を任せることにした。これまで何度もやってきたのだから、紳士のフリなどお手の物。
「そうでしたね。失礼しました。ところでミョウジさんは何故ここに?じき卒業式も終わるでしょう。仁王くんの所へ行かなくても良いんですか?」
「良いんです」
キッパリ言い切ったナマエは体育館を眺めながら眩しそうに目を細めた。
「元々、卒業式だけは告白しないって決めてたんですよ」
思いもしなかったことを言って、ナマエが力無く笑う。今まで散々好きだ好きだと言っておいて突然何故。この前だって……と記憶を辿った末、そういえば先日のナマエからは一段と緊張を感じたのを思い出す。
「……理由を伺っても?」
「卒業式は、最後だから告白する! って言ってる子多いんですよ。私は仁王先輩にとって“卒業式の日に告白してきた沢山の女の子”のうちの一人って括られたくないし。何より私の気持ちが受け取ってもらえないのは、もうじゅうぶん分かりましたから」
「……」
今回ばかりは完全に自分が悪い。流石に罪悪感が湧いた。
嫌なことは嫌と主張する仁王からしてみれば、告白に対し肯定も否定もしなかった時点で答えは出していたつもりだった。それがナマエには伝わっていないこともまた重々承知していたが、付かず離れずな距離感も楽しかった。つまるところ、彼女の真っ直ぐな好意に胡座をかいていたわけだ。
今日告白を受けたあと、きちんと返事をする気でいたが、冷静に考えて自分の図々しさに反省しかない。さあ、どうしたものか。
この状況をどう説明するか考えあぐねていると、彼女はこちらが静かな聞き役に徹しているのだと勘違いしたらしくため息混じりに滔々と言葉を重ねた。
「とは言え、私も当日になったら気が変わって最後のチャレンジしちゃうんじゃないか? とか思っていたんですよ。でも、今目の前にいる相手が柳生先輩じゃなくて仁王先輩本人に見えるんです。ほんと、困っちゃいますよね。結局、好きとか言ってても私は二人の本気の入れ替わりを見分けられないみたいです。ほんと、これまで何見てたんだって話で……」
俯いた横顔が泣いているんじゃないかと気を揉む仁王をよそに、長い息を吐いたナマエはパッと顔をあげた。
「長々とつまらない話をしてすみません、この話は終わりです。さて、そろそろ元に戻ったらどうですか? 柳生先輩に告白するって子も何人もいるんですからね」
吐き出してスッキリしたのか、本人は普段通りのテンションに戻り伸びをひとつ。パキッと関節を鳴らして爪先を来た道へ向けた。
「先輩、ご卒業おめでとうございます。私が仁王先輩に付き纏ってたのが中学からだから柳生先輩ともずいぶん仲良くしてもらえて楽しかったです。仁王先輩にも、おめでとうって伝えといてください。それじゃ」
背を向け、少しの未練も感じさせない軽い足取りで歩き出したナマエ。仁王はたまらずそれを引き止めたのだった。
「……悪かった。反省しとるきに、俺にチャンスくれんか」
「柳生先輩?」
「好きじゃ」
「はあ? 何言ってるんですか。怒りますよ。仁王先輩はそんなこと言わないし」
「……親も来るような卒業式の日にあいつが入れ替わりして、ましてや式典中にこんなところで油売っとると思うか?」
長い沈黙の間に屋上のドアノブを回そうとする金属音がしたが、きちんと施錠されていたらしくすぐに止んだ。階段を降りて行く気の抜けたスリッパの足音が聞こえなくなってから、地を這うような低い声が絞り出された。
「……つまり?」
「おまんの目は正しい」
「じゃあ今まで私の話を聞いてたのは」
「正真正銘、仁王雅治ぜよ」
罵詈雑言をも覚悟していたが、彼女はひたすら痛みに耐えるように眉間に皺を寄せる。そして腕を掴む仁王の手を剥がした。
「可哀想だから最後の思い出に、とか、いいですから、そういうの。さっきは変な話聞かせてごめんなさい」
そう言い切ってじりじり後ずさる彼女との間を、大股の一歩で埋めた。力の込めすぎて歪む口端が似合わないなと思った。
「可哀想だからとかじゃないぜよ。応えられん告白にはいつも首を横に振っちょる。おまんの気持ちにお断りを返さんようになったのはいつ頃やったかの」
「……先輩が高校に上がったころ」
ぶっきらぼうな返事があった。吊り上げられた目がこちらを射抜いている。情けなくも、感情を隠していないことと、話を聞く気になってくれていることにホッとした。
本心を曝け出すなんてがらにもないが、もうこの状況が既に恰好悪いのだから今更だった。なりふり構ってられないと思うほどには、ナマエが離れていくのが我慢ならない。
「今日また告白されたらちゃんと頷くつもりしとったんじゃが、まさか、諦めるとは思わんかった」
「最低じゃん」
「すまん。調子乗っちょった。何回でも謝る」
遮るようにくぐもった音声が卒業生の退場を告げた。会場の扉が開いたのか、定番の卒業ソングがはっきりと聞こえてくる。それを聞いて条件反射的に泳ぎかけたナマエの目線を繋ぎ止めるため、仁王は彼女の名前を呼んだ。
「やき、俺の顔見て他のヤツの名前呼ばんで。さっきのは効いた」
彼女は一瞬目を丸くした後、慌てて仏頂面を取り繕う。
「私、今、怒ってますから! そんなんで絆されると思……」
「一生のお願い。頷いて」
柔らかな春風にナマエの細い黒髪が煽られる。顔にかかるそれを薬指で整えてやると、耳を赤くした彼女は悔しそうな表情のまま、ひとつ頷いた。