ラッキーライラック

 学校というのは、行けばそれなりに楽しいのだけれど、行くまでが億劫だ。特に理由もなく、何となく学校が嫌だなあと思いながら重い足をひたすら前へ前へ進めていると、ようやく辿り着いた昇降口で、珍しい顔を見つけた。
 現金なもので、途端に私の気分は急上昇。学校って最高かも。足取りはびっくりするほど軽くなり、何ならスキップしたっていいくらい。頑張ってそれはこらえたが。
 代わりにスマホを取り出し液晶に反射する自分の顔や髪におかしな部分がないことを確認してから、教室へ向かう彼の後を早足で追った。
 予想していた通り、大曲くんは教室の入り口で立ち止まっている。おそらく席が分からないのだ。彼が不在の先週に席替えが行われたばかりだから。

「あ、あれ? 大曲くん久しぶりだね。どうしたの?」

 早歩きをやめ、彼を見つけてからここに着くまでに何度もシミュレーションしていた台詞を白々しく吐いた。心臓はいつもより素早く音を立てている。緊張が表情に出ていませんように。祈りながら隣に立つと、三白眼が私を映した。

「おはようさん。近々海外遠征に行くことになってな。そのための準備で、一時帰宅よ。ついでだから学校にも顔出したんだが、流石に数ヶ月ぶりともなると席すら分からねえし」

 気怠そうに目を伏せため息をつく。インパクトのある見た目とはうらはらの穏やかな声音を聞いて、降って湧いたラッキーに大感謝だ。自然と口角も上がる……というか、ニヤケてしまう。

「ふふふ、席替えもしたからね。大曲くんの席は廊下側の一番後ろです」
「ここか。ありがとよ」
「どういたしまして」

 目の前の机を指差せば、律儀な礼が返ってくる。数いる大曲くんファンの一人である私はこちらこそありがとうと声に出してしまいそうだった。今朝の星座占いは一位がさそり座だったのまでしか見なかったが、二位は私に違いない。
 無事手助けを終えたので、私はすっかりお役御免。しかしこのまま自席に向かうのはあまりに惜しい。先程のやり取りから会話の糸口を探し、ラケットバッグをを肩から下ろす大曲くんの背に再度声をかけてみる。

「海外遠征ってどこ行くの?」
「それが誰も教えやがらねえ」

 緩く首を振って、すぐそばの椅子に座らずに彼は肩をすくめた。

「ええっ? 行き先教えてもらえないの? ……テニス日本代表の運営チームってかなり破天荒だね。勘弁しろし、じゃん」
「おい真似すんなや」
「ふふふ」

 ただの呆れ顔なのにその格好良さったらない。私は笑いながら俯き、熱っぽくなった頬を誤魔化すので精一杯だった。

§

 久しぶりの登校となった大曲くんは、不在の間の学校の様子を聞きたがり、おかげで上手いこと話が弾んだ。彼にとってはただの情報収集だろうが、私は役得だ。
 話しかけたときの緊張はすっかり解けて、あれこれと最近学校で起きた些細な出来事を話して聞かせては、面白そうに相槌を打つ彼の様子に終始癒されっぱなし。本当に学校って最高かも。
 そう浮ついていると、大曲くんの存在を目ざとく見つけた他クラスの男子が、通り過ぎざま、廊下からヒュウ!と甲高く囃し立てた。
 口笛につられて顔を上げた先で苗字しか覚えていない男子と目が合う。ニヤリと嫌な笑い方をしていた。

「大曲〜、こんなところで女口説くなや」

 げ、最悪。折角いい気分で一日をスタートさせかけていたのに……。
 揶揄ってやろうと思われたことも不愉快だったし、一個人を無視して女と大枠にくくられたのも気に障る。イチイチ腹を立ててリアクションを返すとそれこそ相手を喜ばせてしまうのかもしれないが、こちとら言われっぱなしでしゅんとなるほどお淑やかな性格でもない。
 失礼極まりない発言に一言文句を言うべく、反射的に一歩踏み出しかけた私だった。……が、しかし。

「あ? 俺の勝手だろうが。放っとけし」
「んん?!」

 するりと右肩に回された手、そして会心の一撃とも言うべき発言に動きが止まった。空気の読めない嫌な奴のリアクションなど最早全く耳に届かない。
 左側に立つ大曲くんと肩に置かれている手を交互に見遣れば、彼は渋々両手を上げて降参の構えをとった。

「急に悪いな」
「え、あ、うん。……あ! いや、全然大丈夫。うん。てかむしろラッキーみたいな……な、なんちゃって……」
「へえ?」

 焦って余計なことまで馬鹿正直に答えてしまった途端、するりと今度は腰に手を回される。触られたことに嫌悪感はない。けれども極度の緊張で一気に汗が噴き出す。こんな私に都合の良い出来事ばかり起きて良いのか。もしかしてこれって夢?

「なんつー顔してんだ」
「……も、元からこういう顔」
「嘘つけや」

 そんなに私の顔なんかまじまじと見たことないでしょ、と言いかけたものの、また変な流れ弾を喰らいそうなので口を引き結んで回避。
 一方、懸命に正気を保とうと励む私を知ってか知らずか、大曲くんときたら大真面目にリップサービスを重ね始めた。

「まあ、ああ言われるのもしゃーねえかもな。実際長々と引き止めちまったわけだしよ。久々に顔見れて、俺も浮かれてんだわ」
「ちょっと、ストップ! ドッキリとか仕掛けてる?」
「ンなまどろっこしいことするかよ。毎回ソワソワ話しかけるタイミング窺ってるくせして、なに驚いてんだし」

 鼻で笑われ、さらに驚く。確かに、彼が学校にやって来た日には何とか一言でも話しができないかとチラチラ様子を気にしていたのは事実。
 しかし大曲くんにとってみれば、そんなの村人Aの無意味な動きに他ならないと思っていたのに、突然舞台の真ん中に躍り出てしまったみたいだ。

「気付いてたんだ……」
「そりゃいつも期待してるからな」
「そ、そんなこと言われたら本気で好きになっちゃうよ……」
「俺はとっくにその気だし」

 そう吹き込まれ二の句が継げない。
 何処からともなく悲鳴が上がった。混乱を落ち着かせるためにも距離を取った方が良いに決まってるし、彼の逞しい腕にさほど力が入ってないこと、やろうと思えば簡単に抜け出せることは分かっている。なのに私は動けないでいた。
 私は“ファン”で満足できていると思っていたのに、「本気で好きになっちゃう」なんて大嘘じゃないか。熱に浮かされ、もっと彼に近付きたいと、とっくに欲は芽を出していたのだから。

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