県外の大学へ進学を決めた。当然、近いうち三門市を離れることになる。そうなることも分かった上で受験を決めたのだから後悔はない。ただ、寂しさはあった。
私は、荒船が好きだった。
「合格発表、今日だったよな?」
「よく覚えてるね。午前中に出たよ」
「どうだった?……って、その顔見りゃ聞くまでもないな。おめでとう」
「ありがと。そんなに浮かれて見えたかなあ?」
担任への結果報告ついでに個人ロッカーの整理をしていると、クラスの違う荒船がわざわざやってきた。まさか今日顔を合わせるとは思わなかった。驚きを誤魔化すように笑って、手を動かす。
共通テストが終わってから受験生はとっくに自由登校に切り替わっている。推薦で既に進路が決まっているボーダー隊員が学校に来る必要はなく、現に試験以降私は彼らを見かけなかった。
なのに、今日に限って荒船がいるとは。まさか私の結果を聞きに来てくれたのだろうかと期待しそうになるが、流石に自惚れだろう。結果を聞くだけなら連絡を寄越してくれれば済むのだから。
ロッカーのものをリュックに詰め込み、中はすっかりがらんどうになった。私物を撤収し終えると、いよいよここを離れるという事実が現実味を帯びてくる。
「今日はもう帰るだけか?」
「そのつもり。荒船は?」
「俺ももう帰る。行こうぜ」
選択肢のなさに苦笑を零したが、先に歩き出した彼はきっと気づかない。罪作りなヤツだ。まあでも、これもまた良い思い出か。
背中を追いかけて隣におさまる。隣を少し見上げて話をするのも、下手したら最後かもしれない。少しセンチメンタルな気分になる私をよそに、荒船は帽子の影を深くしてこちらを見た。
「それで、引越しの予定日は?」
「今日合格発表だったのに決めてると思う?」
「お前のことだから、家探しくらい事前に済ませて引越しの検討も付けてるだろうと思ってる」
「……なんでもお見通しだな、荒船は」
肩をすくめて肯定を返す。入試の手応えは十分あったので、彼の言うとおり事前に物件の目星は付けていたし、今朝不動産屋に連絡も済ませた。前の住居人の退去を待つので、引越し予定は月末。
素直に答えると、荒船は「流石、準備万端だな」と目を細めて笑う。
手放しに褒められ、少しむず痒い。そして何より、荒船の笑い顔は私の心臓に悪い。思わず目を逸らし、代わりに軽口で取り繕う。
「私がいないと、荒船、寂しくなるね」
けれど、呆れ顔を想定したその言葉にあろうことか彼は深く頷いてみせた。
「ああ」
「え?」
「特に今年は、ビッグタイトルの続編が多いからな」
「あ、うん。そうだよね」
本日二度目の苦笑。
元々、私たちが仲良くなったきっかけは某アクション映画。仲良くなってからはしばしば学外で会っていたが、それも毎回連れ立って映画を観に行ったにすぎない。荒船にとってみれば私は映画とセットなのだろう。
彼の好きなものとセット扱いされていることを喜ぶべきか、悲しむべきか。微妙なラインだ。
ぼんやり考えていると視線を感じた。私が顔を上げるのを待って荒船が話し出す。
「九月、夏休みだろ?帰省するとき教えてくれ。その時期にミョウジの好きなシリーズの新作が公開されてるだろうから、観に行こうぜ」
ごく自然に、これからも今のような仲が続く前提で話を進めてくれるのが嬉しかった。しかし、一方でひどく寂しくも感じる。
私が三門市に“帰省”することは、金輪際ないからだ。
「……実は、私の進学を機に両親とも三門市を離れるんだよね。こないだの大規模侵攻で流石に住み続けるのが怖くなったみたい」
父の会社の事業所が私の移り住む先の隣県にもあるそうで、こちらの合否が出るより前にトントン拍子に転勤が決定。引っ越し支度も徐々に始まり、家の中に段ボールが積まれだしている。
仲の良い女友達も軒並み県外へ出ていくため、私が三門市を訪れるワケがそれこそ荒船くらいしかない。けれど、今の関係性で「荒船に会うため三門市に行く」なんて言うのは特別な意味を持ちすぎる気がして、勇気のない私は決定打を口にできない。
「だから、ここに帰ってくる理由がなくてさ」
そんな逃げ腰の作り笑いを、荒船の言葉が遮る。
「俺は理由にならねえのか」
「え?」
「帰省じゃなくたって、普通に遊びに来ればいい。これから一人暮らしする予定だから、宿に使ってかまわねえし」
「それは……」
それは、まずいでしょ。
それは、楽しそうだね。
それは、どういう意図で言ってるの。
いくつかの返答の候補が浮かんでは消えた。そんなの、荒船に彼女ができた途端成立しなくなる約束だろうに。ただ普通に、それこそ男友達に言うのと同じように提案しているだけなのかな。
こちらは返事に迷って口ごもっているのに、彼はそんなことお構いなしに「それは?」と復唱して続きを促した。
「……それは、忍びないな。別に付き合ってるわけでもないんだから」
迷った末、結局核心に踏み込む選択肢を逃した。聞きようによっては拒絶と捉えられてもおかしくない。
失敗した気がする。その証拠に荒船からの返事はなく、ただ二人分の足音だけがやけに大きく響く。
こんなに好きなのに、何で素直にそう告げる勇気が出ないんだろう。
かろうじて自分へのため息を我慢していると、隣を歩く彼と手の甲がぶつかった。反射的に謝りかけたタイミングで、再度手がぶつかる。
もしかして、わざと?
いつの間にか足元に落ちていた視線を引き戻し、またチラリと隣を見上げれば荒船が目の奥をギラリと光らせた。いつもと違う雰囲気。
不快感こそないが、緊張感があった。私が息をのむと同時に、彼がふっと口角を上げる。
「やっぱり九月、遊びに来いよ」
「それは、」
「俺はミョウジのことが恋愛感情込みで好きだから、付き合いたいと思ってるし、俺に会いにきてくれたら嬉しいって意図で言ってる」
今度こそ発言の意図を問い詰めようとしたところで、綺麗に先回りをされた。出題より先に出されたのは満点の回答だったが、その内容に唖然とする。
そもそも、私の発言が読まれたと言うことは、私の気持ちがバレバレだったことにもなるのではないか。
一人で考えても分かりっこない疑問がひたすら頭の名をぐるぐる回る。
「ハハ、真っ赤」
そう笑われ、ハッと我に返った。
「だ、だって、荒船に
「こんなこと冗談で言うかよ。それで、俺はお前がここに帰ってくる理由にはなりそうか?」
「……映画、約束だから忘れないでね」
丁寧に確認してきたわりに、荒船の表情に不安は一切なく私の返事を確信しているように思えてならない。
全身を熱くしたまま遠回りに頷くと、彼は待ってましたと言わんばかりに私の手を取った。
「ああ。ここで待ってるから、会いに来てくれ」
真っ直ぐな瞳が得意げにきらめく。「会いに行く」ではなく「会いに来て」と告げるところに、常日頃ボーダー隊員として人知れず街を守っている彼の誇りを垣間見た気がする。素直に、格好良いなと感じた。
これからしばしの別れとなるのに、ますます好きにさせられている。ああ、まったく。なんて罪作りなヤツ。