2.
と、思っていたんですけどね。
けたたましく鳴る携帯の音で目を覚ました。アラームを無視して寝こけていたようで時間はもう夕方と夜の狭間になっている。朝方までの仕事をしていると言えど寝すぎだ。おかげで頭はスッキリしているが。
布団から這い出し眠い目を擦りながら確認した携帯には非通知設定の五文字が堂々と並ぶ。一体誰。
「はい、どちら様ですか」
「あれ? もしかして寝てた? おはよう」
「はあ? すみません、お名前は?」
「斑目貘」
「……」
まだらめばく。
当然と言わんばかりの声音だが、名前を聞いてもあいにく私の頭の中に引っかかるものはない。知らね〜……。イタズラ電話だろうか。いやでも待てよ、軽薄な喋り方にはどこか覚えがあるような。
黙って考え込んでいると、向こう側で非難の声が上がる。しかし、セリフのわりに面白がるような雰囲気もあった。
「ええ? もしかして覚えてない? それって酷くない〜? この前カジノオーナーとブラックジャックした時、立会いしてくれたでしょ?」
それで、ようやく気が付いた。長い指、滑らかなセカンドディールが思い浮かぶ。あの時の手癖の悪い器用な男だ。今度連絡するなんて馬鹿馬鹿しい口説き文句を一笑に付した記憶があるが、まさか名前すら教えていないのに連絡が来るとは。
「ああ、覚えてます。が、お名前は今初めて伺いましたね」
「そうだったっけ?」
「それより何で私の番号、」
「そんなことよりナマエちゃんさ、ちょっと呼び出されてくれない?目を貸して欲しいんだよね。特別手当出すから」
電話番号が流出している時点で察しは付いているものの、当たり前に名を呼ばれて慄く。手際が良いなとも思う。これはきっと、関わっちゃいけないタイプ。そんな予感がした。
「……特別手当って前回もおっしゃってましたよね。私、貰っていませんが」
「それはそっちがそそくさと帰っちゃったからで、俺としては払うつもりあったんだけどな〜。前回の分も今日払うし、バイトと思って付き合ってよ」
「はあ」
わざと肯否のハッキリしない相槌を打ち、煙に巻こうと試みる。しかし斑目貘は、一方的に時間と場所を告げてそそくさと電話を切った。前回の意趣返しか? 断りを入れる暇をも与えられなかった私はため息をつく。
起き上がり締め切っていたカーテンを開けてみると、遠くで1番星が光る。指定された時間までは二時間足らずと言ったところ。
あの夜、オーナーの手招きが目に映らなかったならばこんな面倒な連鎖は起きなかっただろうに。そんな夢想をしたところで無論過去は変わらない。それに、目を瞑っていない限りどうせ見えてしまっただろう。だからきっとあの男との出会いは必然なのだ。
そう自分の中で折り合いをつけ、観念して身支度をすることにした。すっぽかすという選択肢が抜け落ちていたことに気付くのは、それを指摘されてからだった。
§
耐震基準を満たしているのかすら怪しく見えるほどの汚いビルの前に斑目貘は立っていた。数日前と同様、髪色に似た明るい色のスーツは夜に映え、文字通り遠目からでもよく見えた。
普通の人の視力の範囲まで近づいたあたりで、彼は私を見つけるや否や、こっちこっちなんて言って手招きをする。
「来てくれたんだ」
「あなたが呼んだんじゃないですか」
「そりゃそうだけど。でも今日は仕事お休みの日だったでしょ?めんどくせ〜とかなんとか思って、すっぽかされる可能性もあったから」
その手があったかと思うと同時に、素の口調を真似られ、驚く。しかし努めてポーカーフェイスを貫き、なんてことない風を装った。どこで情報を得たのかは定かではないが、良いように転がされるのは懲り懲りだ。
「お金はあるに越したことないですし、貰えるものは貰っておこうかと。特別手当をくださるんですよね?」
「うんうん。今日の依頼が終わってから、まとめてね」
そう言って建物内へと腕を引かれる。力は極めて弱く、無理やり連行されている感じはない。目的地へ導かれている感覚だ。正直、いつでも振り払える。
「だから、この先は安全だ」と安易に考えてしまっている自分がいる。この思考も彼にコントロールされている結果なのではないだろうか。
頭を悩ませているうちに、ゆっくり上っていたひどく狭いエレベーターが音を立てて止まった。表示は四階。飛び降りるにはリスクがある高さだと頭の隅で思う。
冷たい廊下を進んだ先の大部屋には、六人掛けサイズのテーブルが一つ。椅子は二脚。その片方に座る老年の男性が顔を上げた。見覚えがある。うちの店の常連客だった。
彼は私の顔を見ると喜び、「彼女がゲームを仕切るなら文句はない」などと満足そうに言った。仰ぎ見た隣の斑目は口角を上げ顎を引く。
「決まりだ」
ゲームはなんてことない普通のポーカーで、勝負開始後のイカサマは禁止。発覚した場合にはペナルティが生じ、賭け金の三倍額を相手に支払う。私は先日同様、不正の有無を見守る。
細かくルールを詰めた二人は最後に、何もない天井を見つめていた私へトランプを渡した。テーブルの上の様子も広い視野には収まっていたため、即座に対応。
「カードを切って配るのも、私でよろしいので?」
「そ」
「公平に頼む」
信用されたものだ。だけど、中々どうして心地良い。
店にいる間、私は店側の人間。どうしても利益のため自分がイカサマをする側に回ることも少なくはない。手際良くやっているつもりだが、なにぶん自分の目には自分の不正もありありと映るので精神的な疲れはついて回る。
しかしこうして店を離れ、ストレスの一切から解放されて人のゲームを見られるのは面白い。
「お任せください。どちらに対しても肩入れはしませんから」
カードを手にし、いつものように切り始めると、張り詰めた二組の双眸はすぐさま手元に向けられたのだった。
斑目貘の圧勝で今宵の勝負はあっけなく幕を閉じた。二人にイカサマはなく、肩透かしを食らった気分だった。果たして私は必要だったか? そう訝しむ傍で、斑目は机に積まれた札束をバッグへ雑に詰め込んでいく。このご時世に現ナマとは。
八桁近い金額を失った老紳士は、しかし満足そうであった。このくらいは端金なのだろう。某製薬会社の会長を最近退いたと小耳に挟んでいたが、まだ金は流れてきているようだ。
彼はいつかリベンジさせてくれと意気込み、電話で迎えを呼んでいた。その最中人払いのハンドサインを見とめ、二人に先んじてその場を辞した。
動いた額が大きかったこともありそれなりに身構えていたものの、第三者の妨害などもなくビルから抜け出せた。そこで、そう言えばまた報酬を貰い損ねていることに思い至る。けれど、あの場で金銭を受け取ったならば相手は私と斑目が結託していたと勘違いしかねない。
どうしたものか。
来た道をタラタラ戻りつつ、手持ち無沙汰に携帯を開く。もちろん非通知からの連絡はなし。結局今日もいいように使われただけでは?
斑目の口が上手いのか、私が抜けているのか。少なくとも今回は後者な気がするなあ〜……。
酷使した目を労うように閉じて目頭を揉めば、勝ちを掴み取る鮮やかな手腕がまぶたに浮かぶ。最初のブラックジャックも、今日のポーカーも、純粋な読み合いで彼は何枚も
掌の上で転がされるのが嫌だと思っておきながら私が斑目の誘いに乗ってしまうのは、私自身が彼の手腕に魅せられているからかもしれない。これは肩入れしているうちにカウントされるだろうか。
「ちょ、待っ……!」
自分への呆れを滲ませながらじりじり歩みを進めていると、息も絶え絶えな待ったがかけられた。振り向けば肩で息をする斑目貘。ビルからは数百メートルも離れていないと言うのに大袈裟だ。
…………いいや、前言撤回。これは演技ではない。何より信用している目が、そう判断した。
有って無いような好奇の目を避け道の端に斑目を導く。息が整うまで待ち、地面に乱雑に降ろされたカバンにも気を配る。
ややあって、彼は顔を上げた。汗で額に前髪が張り付いている。それすら様になっていてもはや笑えた。
「もー、また勝手に帰っちゃって。バイト代出すって言ったでしょ」
「払う気あったんですね」
「俺ってそんなに信用ないの?」
「信用というか、少なくともあの場では無理でしたし……。それに、ポンと生身でお金渡されても困りますしね」
「ま、それもそうだね。じゃ、携帯貸して」
言うが早いか斑目は私の手から流れるように携帯を奪う。いまだ脂汗を滲ませている相手にムキになる気にもなれず、そのままにした。どうせ何をしているかは全部見えている。
男は迷いなく指を動かし文字と番号を入力していく。数分もかからず戻ってきた携帯の液晶画面を改めて確認し、独り言が漏れた。
「“貘さん”」
「うん。口座番号とか連絡して」
「どうも。で、この登録名は」
「ゲーム中ずっと斑目様なんて余所余所しいんだもん。あんま名字だけって呼ばれないのよね」
「はあ」
「ハハ、“めんどくせ〜”?」
「いえ、わざわざ反抗する方がめんどくせ〜ですね」
正直に答えれば、貘さんは笑って胸ポケットからカリ梅を出す。もっと美味しいもん食べりゃ良いのに。なんて思うのは余計なお世話か。
「貘さん自力で帰れます?」
「えっ、心配してくれるの?優しーね」
「じゃあ、私帰りますね。お先に」
軽口を叩く余裕があるなら何より。手をヒラヒラ振って右足を踏み出せば、ガリッと硬いものを砕いたような音と共に「連絡待ってるよ」なんて別れの言葉が耳に届いた。デジャヴ。
ただ、前回と違い今回は不思議と悪い気はしなかった。私の足取りも軽い。
既に夜更けの時間帯だが、眠らない街の中は明るい。出掛けに見えていたはずの星のほとんどは、この目を用いてもやはり光害に沈んでいた。けれど、私だけに見える距離まで遠ざかってから後ろを振り返れば、ゆっくり立ち上がる銀髪がいっとう眩しく映った。