ダビデと姉の友人
「っ、ナマエさん?」
ファーストネームにさん付けして私のことを呼ぶ人間は、この町にはそうそういない。思い浮かぶのは何度か会ったことのある、日本人離れしたかんばせの男の子くらい。
たぶん、友人の弟くんだ。姉の友達なんて避けたい存在だろうに、私が家に遊びに行くたび、訪問客が珍しかったのかチラチラと様子を見に来ていた姿が犬だか猫みたいで可愛かったのを覚えている。
そう思いながら振りむくと、自分の記憶より随分高い位置に顔があって少しばかり驚いた。
「お、おー、ヒカルじゃん。久しぶり」
「うぃ」
「…………」
人見知り故ダンマリ気味なのは当時と変わらずだが、これはまた随分大きく育ったものだ。何を食べたらこんなことになるんだか。
「なに」
「いや、大きくなったなぁと思って。今何センチあんの?」
「180。まだ伸びる予定」
男子三日会わざれば刮目してみよってか。三日どころか最後に会ってからゆうに一年以上経っているとはいえ、成長期の男子とは凄まじい。自分のクラスメイトを見上げるときでも、首をこんな角度にすることはあまりない。そのくらいの勢いがあった。
「はー、男の子ってすごいな。巨人になっちゃうよ」
「強靭な巨人……プッ」
「ふふふ、そういうとこは相変わらずなのか」
「……でも、巨人にはならない。ナマエさんが見えなくなる」
お喋りが上手くないわりにダジャレだけは次々出てくる頭の回転の速さを笑っていた矢先、話の矛先が私に向いた。目を細めて見下ろしてくるとは、生意気だ。
「誰がチビだコラ」
怒りながら手刀をつくると、ヒカルはそれを迎え入れるように律儀にも腰を折った。
「そんなことは言ってない」
正しく否定したくせに、文句もなく真っ直ぐ目を開けたまま私のチョップを頭で受け止める。こういうぼんやりズレているところが、年上に可愛がられる所以だろう。部活の先輩にも随分可愛がられているらしいというのは、友人である彼の姉からいつか聞いた情報だった。
「でも、低身長は慎重に扱う……プッ」
「コラ」
二度目のチョップを受けたヒカルは、存外大きな瞳で上目遣いを作った。大きい図体をして、やはりいまだ、犬だか猫だかそういう愛嬌があった。
一瞬ドキッとさせられたのを悔しく思いつつ、わざとらしくもため息を溢す。ラケットバックを背負った彼は正しい位置に頭を戻し、ほとんど変わらない無表情の中に僅かな疑問符を浮かべ、私が喋り出すのを大人しく待っている。
「まったく、男の子はいいよね。私だってもう少し大きくなる予定だったんだけど、全然ダメ。中学卒業してからちっとも変わらなかった」
「そんなことはない。綺麗になった」
「…………」
「なに」
予想外の方向から矢が刺さる。姉の英才教育でも受けたのか、彼女でもできて女子の扱いを心得たのか。中学生相手にさっきから揺さぶられっぱなしの自分が滑稽だった。
ああ、私だっていい人見つけよう。顔に集まりかけた熱を散らすように首を振った。
「いや、弟の成長に心底感動。お世辞なんか言えるようになっちゃってまあ……」
「弟ではないし、お世辞でもない。本心。ナマエさん、綺麗になった」
「あんた、急にどうしちゃったわけ?頑張って褒めても私からは何も出ないわよ」
「久しぶりに会えて、浮かれてるのかも」
「は?」
意味が分からない。私が眉根を寄せると、ヒカルは少し迷ってから後ろ手にラケットバックのポケットを漁り出す。
出されたのは学生証の入ったただのパスケースだが、学生証とともに小さいファンシーな四角形が複数枚。私が、彼の姉と撮ったプリクラだった。
「え、何でこんなもん持ってんの?」
「姉さんは自分のものをそこら中に散らかす。これも家に落ちてた」
「それは理由にならないと思うけど」
「ナマエさんが写ってる」
そこでようやく、ヒカルの言わんとしていることに気がついた。いや、気がついた、と言うより認めざるを得なくなったと表現するのが正しいかもしれない。
「正気?」
「うい」
真剣なんだか冗談なんだからよく分からない返事だが、頷く瞳は真っ直ぐブレない。
本日何度目か分からない不整脈に頭を抱えそうだ。いやいや。いくらかっこよく成長しているとはいえ、中学生だし、友達の弟だし。自分にそう言い聞かせた。
「悪いけど、中学生の彼氏ってのは私の中ではナイから」
「俺がナイ訳じゃないなら、良かった。一年半くらい、あっという間だ」
意識しているのかいないのか。ここぞの場面を逃さない勝負師は、あろうことかふわりと微笑み、持てる武器を最大限にぶつけてきた。
今“ヒカルは”ナイと言い切れなかった私が、一年半後再度逃げ切れるか怪しいところ。
「ハイクスール、ハイ、すぐくーる……プッ」
「それはイマイチ!」
そう遠くない未来に想いを馳せ黙り込んでいた私は、ハッとして低い笑い声を遮った。中途半端なネタを見逃すとそのうち止まらなくなるのだから、早いうちにストップをかけないと。
彼は突然の切り返しに不満そうにするでもなく、目を丸め「やっぱりナマエさんしかいない」と褒めてるのか何なのかさっぱり分からない台詞を大真面目に呟いた。独特のテンポでしか会話が成立しないマイペースっぷりがおかしくて笑える。
風が運ぶ、変わり映えのない潮の匂いを感じながら、ヒカルの隣は毎日新鮮で楽しそうだと、ぼんやり思った。