意図せず繋がる赤い糸
「ギャッ!?」
突然大声を出した彼女は、キュウリを見たタマのように飛び上がり、隣を歩いていた俺の後ろに回り込んだ。さながら小さな竜巻のような素早さだった。
「どうした」
「地面!」
人の腕を勝手に握りしめて、そう叫ぶ。振りむきかけた顔をそのまま足元へ向けると、アスファルトの上で迷子のイモムシがのろのろと一直線に進んでいた。街路樹の影を過ぎれば、いずれ車に轢かれてしまうだろう。
「季節外れだな。シャドウの先は、車道……プッ!」
「ねぇ、お願いだからダジャレの前にどうにかして」
普段気の強い彼女の心底困った声に調子が狂う。曖昧で歯切れ悪い返事をしながらしゃがんで捕まえたイモムシは、柔らかくうごめいていた。
ひとまず元の居場所と思わしき路側の花壇に移してやると、そいつはゆっくりと植物の陰に隠れていく。イモムシなりに急いでいたかもしれないが。
イモムシを手にしている間大袈裟に距離を取っていた彼女が、そっと戻ってきて「もう大丈夫?」とおっかなびっくり学ランの裾を引いた。
やっぱり、調子が狂う。
「お前、虫ダメだったか?」
「昔は触ってたけどいつの間にか無理になった。いもむしとかあおむしとかダメ。これが大人になるってことかも」
「別に襲ってくるわけでもないだろうに」
「伸縮運動がむり……」
虫たちに
「
「“
「……よく分かったな」
さっきまでの緊張が解けたようで、俺の十八番を奪った彼女はひひひと俯きがちに笑った。右側の八重歯がチラリと覗く様子は想像に難くないけれど、重力に従い流れた横髪で、顔はちっとも見えやしない。
一昨年まではお互い目線の位置もそう違わず、くしゃっとくずれる目元まで良く見えていたのに、いつの間にか俺は彼女の頭を斜め上から眺めるばかりだ。
そのことがどうにも居心地悪くて、気を紛らわすため会話を繋いだ。
「この先一人暮らしして、ヤツが家に出たらどうするんだ」
「ヤダ、想像させないでよ。……その時は、うーん、彼氏を呼ぶ」
「彼氏なんていたのか」
寝耳に水とはこのことだ。家が近所のよしみで、ほとんど毎日一緒に登校しているのに全く知らなかった。
俺にとっては、虫が苦手になることよりも誰かを好きになることこそが大人になるってことに思えた。見ず知らずの男の影に対し後ろめたさが顔をもたげ、無意識に半歩、彼女と距離をとった。
しかし、彼女はそんな些細な動きに気づきもせず人差し指をピンと立て、言い聞かせるように俺を見上げる。
「ううん、そのうちできるの。虫に強くて優しくて背が高くてかっこいい彼が」
そのまま人差し指を空中でひらりと羽ばたかせ、頭の中にある理想の“彼”らしき何かを描く。
「そうか」
ホッとした俺は、今しがた聞いたばかりの特徴を一つずつ並べてみる。そうして気づくと、馬鹿みたいなセリフを吐いていた。
「お前の言った彼氏は、俺みたいなヤツだな」
「え?」
「……」
確実に変なことを言った。
今こそ何かダジャレの一つでも出して記憶を上書きしなければと思うのに、こういう時に限って、いつも頭の中でとめどなく流れている言葉の滝が凍ってしまい何も言い出せない。
応答性の悪い表情筋の裏でかなり慌てている俺を見上げたまま、キョトンとしていた彼女は、しかし次の瞬間には八重歯を覗かせた。
「……確かにそうかも。ひひひ、私の思い浮かべる“男子”って一番身近なヒカルだから、想像が引っ張られたみたい。思いつきで喋るとダメだね」
笑い声はいつもと同じなのに、照れているのかほんのり頬が色づいている。
それを見ると心がザワザワし始めて。そこでようやく、自分の気持ちが分かった。
虫が出た時、呼ぶのは俺にして欲しいってことに。
「……うかうかしてる間に、羽化してたんだな」
「え、羽化?さっきのいもむしが?」
「いや、俺とお前が」
「私は虫じゃないよ!」
すっかり普段の調子に戻った彼女が、俺の腕を力強く叩いた。それを受けながらこっそり、さっき空けた半歩を詰めなおす。
彼の座を華麗に射止める術はまだ思いつかないけれど、ひとまず一番身近な男子の座だけは死守しておこう。