君の横顔を見ていた

「はい」
「ミョウジさんお久しぶりです、跡部です」
「表示されてるから分かってるよ」

 そう答えてスピーカーから耳を離し、窓の外へ意識を向けた。しかし、しばらく待ってみてもヘリの轟音も、電話の向こうと重なる高笑いも聞こえなかった。それどころか、人の足音ひとつない。あまりの静寂に耳鳴りが始まるほどの立派な月夜。
 あれ? と肩透かしを食ってる私は結構、いやかなり、年下の彼に毒されている。

「聞いてますか?」
「ごめん、外の様子を見ていて聞いていなかった。君が電話だけというのは珍しいね。いつもアポと訪問が同時なのに」
「俺に会いに来て欲しかった?」
「相変わらずすごい自信だなあ」

 軽く笑って質問を暗に否定してみれば彼は小さく舌打ちをした。あの跡部財閥の御曹司として、求められていることを期待通りこなしていく彼だが、こういうところは十五歳の中学生らしさを感じさせる。
 本人にそう伝えるときまって眉を顰めるが、こちらとしてはそういう“らしさ”が分かると、少しホッとする。だって跡部くんときたらあまりにも大人びているんだもん。私は跡部くんより三つ年上なのに、彼と話しているといたずらに歳だけ取っただけって感じがして切ないんだよね。卑屈すぎるから口には出さないけれど。

「それで、今日はどうしたの?」
「大学、合格したと聞きました。おめでとうございます」
「ありがとう。推薦で一足先にホッとしてるよ。……それにしても耳が早いね」
「アナタのことには常にアンテナ張ってますからね」

 う。私に1000のダメージ。
 こっちは懸命に跡部くんのアタックをかわしているというのに、彼は私に連絡をよこしては真っ直ぐに好意を突き付ける。薄い唇からつらつら紡がれる言葉は眩しく柔らかい。年上の男性に憧れるオトシゴロの私ではあるが、彼の直球の言動にぐらりと心が揺れることだって、最近は増えてきた。

「少しはグッと来ました?」
「君ねえ……。何度も言ってるけど、私はどこぞの令嬢ってわけでもなくて、一般家庭の平凡な女子高生なんだよ。だから、そういうこと言うの、やめようよ」
「家柄は別に関係ないでしょう」
「関係なくないと思うんだけどなあ……」

 跡部くんと出会ったのは随分前のことだ。海外に暮らしていた彼がたまたま日本に来た時、跡部くんの家の庭で私たちは初めて顔を合わせた。そしてあろうことか、跡部くんは自分の家の庭に忍び込んでいたに過ぎない悪ガキの私に一目惚れした、らしい。さらに、再会後の少し上から目線な告白を、間髪入れず突っぱねた勝気なところも気に入っているなんて言っていた。大した恋愛経験もない私からしてみれば、なんか全部、夢みたいな話。
 好意を向けられることは、そりゃあ嬉しい。しかも相手はあの跡部くんだ。昔は生意気なお子様感が否めなかったが、ここ数年で彼はとても素敵な男の子になったと思う。かっこいいし、頭もいいし、テニスは日本代表級らしいし、細やかな気遣いだってできる。ちょっと、派手好きなところには驚かされることが多いけれど、本当に相手が嫌がることはしない。中には彼をナルシストと陰で囁く人もいるけれど、あれは努力に裏打ちされた自信なのだからそんなのはお門違いだ。
 でも、やっぱり相手はあの跡部くんなのだ。跡部財閥の御曹司。私には想像もつかないけれど、社交会みたいな場に出ることも少なくないらしい。周囲にはそりゃもう性格も、家柄も、スペックも持ち合わせた女性がいっぱいいるわけで。私みたいな、学校推薦に飛びついて深く考えず進学を決めてしまったような年上のちゃらんぽらんにうつつを抜かしてどうするの。
 私の考えを遠回しに伝えると、跡部くんは電話口で再び舌打ちをした。

「今は俺の家の話はしていない。俺とアンタの話をしてるんです。……ミョウジさんにとって俺の存在は迷惑ですか?」
「迷惑とかでは、ない……。でもさあ、百歩譲って家のこと考えないとしても、私三つも年上だよ? 君はこれから高校生、私は大学生。生活が交わらないでしょう? しかも大学生が高校生に手を出すって絵面、ヤバくない?」

 そもそも私のタイプは年上の素敵で優しい男の人だし。……今のところは。

「三歳差が大きく感じるのは学生のうちだけです。社会に出れば三歳なんて小さな問題だ」
「それは、まぁそうかもしれないけど……」
「それに、俺がアンタに、手を出すんだろ」
「何言ってんの?!」

 いやー、びっくり! びっくりなことを言うね君は! そういう意図で“手を出す”って単語使ってないから私! てかそれどっちにしろ私捕まるやつだから!
 水源のように湧き出るリアクションは重ねれば重ねるほど言い訳じみてしまう。口を開くたびドツボにハマる状況に慌てふためいていると、向こう側で跡部くんが満足そうに笑った。ちょっと! 君ねえ!

「年上面が剥がれたな」
「事実年上なんだけどね?」
「年齢も関係ない。俺はアナタが好きで、アナタにも同じ気持ちになって欲しいだけだ。急によそよそしく大人ぶるのはやめてくれ」

 大学という新しい生活を前にして、跡部くんとの関係を彼が望まない方へ移そうとしていた思惑は当人にバレバレ。歳の差を意識した今までの私の発言に業を煮やしていたらしい。私が盾にしていたものを取っ払った跡部くんはご満悦だ。
 声だけしか聞こえていないけれど、電話口で跡部くんが勝ち誇ったような笑みを浮かべている姿は易々と目に浮かぶ。
 ふ、と想像通りに笑い声が漏れ聞こえた。私の可愛くない文句が始まる前に、さらに跡部くんは言葉を紡ぐ。流石に約三年間お互いが近しい存在だっただけあって、聡い彼には私の間の取り方など完全に熟知されている。

「今日は合格祝いと別に、もう一つ用があるんです」
「うん?」
「中学生の日本代表としてW杯に出ることになりました。ミョウジさん、俺がテニスしてるところ見たことないですよね? 折角の機会だ、見にきてください。船のチケットは送りました」

 切り出された話は斜め上を飛んだ。口を挟む余裕もなく、トントン拍子で話は展開していく。目を白黒させるだけの私は、さっきから振り回されてばかりで最早年上の威厳なんてあったもんじゃない。

「え、何でそんな急に」

 当然の疑問に対し、跡部くんは珍しくもゆっくりと言葉を選んだ。

「……俺は別にアナタのためにテニスをしているわけじゃない。だが、全てをかけてやってるテニスでなら、アナタに爪痕を残せると思った」
「爪痕?」
「大学となると、世界も人との付き合いも広がるでしょう。引っ越しでもされた暁には俺がアナタの生活に関わるタイミングも格段に減る。だからせめて、ことあるごとに俺のことを思い出してもらえるよう、一番自信のあるテニスを通じて、跡部景吾の記憶を植え付けたい。つまり、端的にいうと、俺は焦ってるんですよ。……ああクソ、かっこつかねえな」

 また一つ、舌打ちが響いた。
 できるだけ私に分かりやすいように噛み砕いて語られる私への気持ちは思っていたよりもずっと熱烈だ。落ち着かないのか、跡部くんの方からは歩き回る足音が聞こえてくる。耳に入る綺麗な足音は、不安を物語っていた。その音に、気付けば心が軋み、彼の熱量を浴びてぐつぐつ茹だる頭は逃げの選択肢をかなぐり捨てた。

「はぁ〜〜……」
「迷惑ならそう言ってくれ」

 ああもう、お手上げだよ。降参。私は、好意を告げてくる彼がいつか飽きていなくなっちゃうんじゃないかと、始まってもいない関係の幕引きで傷付くことを恐れて跡部くんの気持ちを蔑ろにしていた卑怯な女だ。なのに、飛び抜けた洞察力の持ち主である君が、私のわざとらしいため息の意味すらをも履き違えてしまうくらい私のこととなると盲目になっちゃうなんて。
 私も君が好きだよ、と直球を口にするだけの勇気はまだない怖がりの私だけれど、貰ってばかりだった好意を私からも贈らせて。

「チケットは受け取る。試合、観に行かせて。あとね、跡部くん。初めて会った時から君は、私の心に爪痕を残し続けているんだよ」

 向こう側で、息を飲む気配がした。

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