残念ここは底なし沼
ノックをした私が主の返事を待たず、部屋に入り込むようになってしばらく経つ。最初の頃は青筋を浮かべ怒っていたローさんももうすっかり慣れてしまったようで、今日も私の訪問を受け流し本に視線を落としていた。ローさんが夢中になっているのは前の島で買い込んでいた医学書のうちの一冊だと思うけれど、私には理解できない単語のオンパレードだった。
彼はオペオペの実を食べた能力者だから、医学の知識はそのまま技術になったりするらしい。死の外科医なんて呼ばれているローさんに私たちクルーは何度も命を繋いでもらっている。彼は恐ろしい海賊かもしれないがそれ以上に勤勉で優しいお医者様だ。
そして私は、そんなローさんが大好きなのである。
「ローさん、無視しないでくださいよ。今日はいいものがあるんですよ」
「……どうせチョコだろ」
「えっ、どうして知ってるんですか!エスパー!?」
「うるせェ……てめーが前の島で大騒ぎしてたんだろうが」
「そっかぁ。ということで、はいこれどうぞ!ばっちり愛の詰まった本命です!」
開かれたページの上に無理やり濃紺の箱を乗せると、ローさんは眉間にしわを寄せて怖い顔をした。あんまり怖いので、鬼ですらも裸足で逃げ出してしまいそうだ。まあ私はこのくらいではへこたれないんだけどね。
ニコニコする私を一瞥し、ローさんは箱を持ち上げた。くるりと回しながら包装を見つめている。折り目が綺麗なのを確認したらしい彼と、再び目があった。
「既製品に愛もクソもねェだろ」
「え、じゃあローさん私の手作り食べますか?」
「要らねェ。体が内部からイカれちまう」
「ほらね、正解。ローさんのことを思って探して選んだんですから、これはれっきとした愛ですよ。ここにはチョコという結果しかありませんが、私がローさんのために私の時間をかけたという過程が隠れています。相手のことを思う気持ちはまごう事なき愛ですとも。 そもそも愛がなければ贈り物をしようなんて考えません。さらに加えて、私の手作りでローさんがお腹を壊してしまわないようにという配慮でもある。ああ、私ってばなんて出来る女なの!」
「出来る女はカレーを爆発させたりしねェよ」
「そんな昔のことはささっと忘れてください!」
私の持論をぶった切りフンと鼻を鳴らしたローさんはプレゼントを乱雑にテーブルへ投げた。思わず情けない声が口をついて出る。
テーブルに着地した箱。そしてそのまま読書を再開した我らが船長。現状は私が想定していたバレンタインパターンCと言えた。虚しいことこの上ない。いやしかし!パターンDのようにゴミ箱に棄てられてないだけマシだろう。
下唇を噛みながら非難めいた視線を送ってみたところで当たり前だが効果はナシ。ぺらりとページをめくる音だけが響いている。今日は珍しく浮上したままの航海だから良いことがありそうだと思ったのにな。内心悪態をつきつつソファから立ち上がった。
先ほどまで私のお尻に追いやられていたローさんの長い脚は、たった今空いたスペースに収まった。言外に邪魔だと言われた気がしてさらに落ち込む。
あーあ、かわいそうな私の愛情!
しかしそんな嫌味を言ったってどうせ彼は顔を上げない。小さくため息をついた私は放置されている箱を手に取り踵を返した。ちくしょう!でもまた熱烈なアタックしてやるからな!なんて心の中で啖呵をきる。
しかしひとまず今日のところは脈がなさすぎる。引き下がるしかあるまい。ローさん用に買ったこのチョコはビターで私の口には合わないから、お店でこのチョコを試食し美味いと言っていたペンギンにでもあげよう。
他の男用のチョコを回してもらうなんてプライドが許さねえ!なんて言わなきゃ良いけど。
「おい待て。どこに行くんだ」
気付くと出口へ向かっていたはずの私はソファへ逆戻り。膝の上にはローさんの靴が乗っていた。さっきまで私がいた位置には足型のついたクッションが落ちている。なんて早技!そんなところも好き……とか言ってる場合じゃなくて。
「何能力の無駄遣いしてるんですか」
「質問に質問で返すな」
「……どこ行くって、ペンギンを探しに行くんですよ」
「なんで」
「これを渡すために」
「なんで」
またもやローさんは眉間に深い深いしわを刻んだ。彼の問いかけについていけない私が馬鹿なのか、それとも向こうの頭の回転が早すぎるのか。その真意を掴みかねて私が首をかしげると、彼は本をパタンと閉じた。私は驚きで目を丸くする。
信じられない!ローさんが本より私の会話を優先するなんて!明日は空からガレオン船が降ってくるかもしれない。もしくは彼が今現在発熱しているかも。
「具合悪いんですか!?」
「ちげェ。……お前が手に持ってるもんは何だ」
「これはチョコですけど……さっきも言いましたよね?えっ、ローさん記憶喪失?ってワー!!冗談じゃないですか!鬼哭しまってくださいよ危ない!」
「……その箱は誰のだ」
「ローさんが放り投げて捨てたので、ペンギンのものになるかと」
「捨ててねェからおれのだ、返せ」
そういうや否や、ローさんは再度サークルを広げて医学書とチョコをシャンブルズした。急に荷重の増えた右手に力を込める。そんな私をよそに、ローさんは涼しい顔で箱の包装を解いている。
「た、食べるんですか!?」
「そのために持ってきたんだろうが」
「それはそうですけど……まさか大番狂わせでパターンAを辿るなんて……。美味しいですか?」
「あァ、たまには悪くねェ」
嗚呼、もう、大好き。
ニヤリと笑われたら堪らない。もしかしたらローさんは、鬱陶しい私の愛を食べて減らしてしまおうと思ったのかもしれないが、残念ながら私の気持ちが萎むことは天地がひっくり返ってもありえない話なのである。