Shall we……

※真名およびバレンタインイベのネタバレを含みます


「チョコください!」

 悪の親玉なんて肩書きが似合わない、清々しいほどの大声を上げながらマスタールームへ踏み入ってきたアーチャーは今日も今日とて上品なスーツを美しく着こなしていた。
 彼は私のサーヴァント。いつかは座に戻る存在だ。そう自分に言い聞かせながら、アーチャーにチョコを渡す。本命だよと言いかけた哀れな口をしっかりと噤んだまま。
 アーチャーはにやりと笑ってその場でチョコをかじり、手放しにその味を褒めた。カルデアで過ごしたおかげで、日本であまり馴染みなかったはずのストレートな言葉にはもうずいぶんと慣れてしまった。

「ずいぶん浮かない顔をしているね、マスター」
「少し、考えごとを」
「もしかして本命のことでも考えていたのかい?ふむ。君の本命は誰かナァ?順当にマシュ嬢?レオナルドくんの可能性もあるな。まさかあのホームズとは言わないだろうね?…………それとも、“ドクター”かな?」
「……全部ハズレ。でも、どうして貴方がその名を知ってるの?会ったことはないはずでしょう?」
「君の目の前にいるのは悪の親玉だということを忘れてはいけない。気もそぞろなのは感心できないね」

 話を逸らしながら目をつむり顎をさする顔はヴィランのそれだ。彼が、甘ちゃんな私をたしなめる際によくする表情のひとつでもある。わざとヒール役をかって出る優しさを私はよく知っている。
 マシュやダヴィンチちゃん、そしてホームズには口を酸っぱくして彼には気をつけるよう言い含められているが、それでも惹かれてしまうのは間違いなのだろうか。蜘蛛の巣に引っかかってしまった蝶のように自力ではこの胸の高鳴りを制御できない。

「ほらまた!……そんな危なっかしいマスターにはチョコのお返しにこれを」
「本……?」

 彼は片眉を上げて微笑む。顎で促されるままにパラパラと内容を確認すると、頭を抱えたくなるほど狡猾な文章が目に入った。アーチャーの“ネタ帳”とでも言ったところだろうか。マシュが見たら怒りそうだ。

「これさえあれば君は何があっても、そして私が居なくても悪意に侵されずに済むだろう。なんたってこのモリアーティが書いたものだからネ」
「私が悪用するかもとは思わないの?」
「君が?まさか!」

 アーチャーが声を上げて笑うので、私もつられて口角を上げた。
 確かに私は幾度となくレイシフトを繰り返し、人理を修復したり、その残滓の暴走を止めたりしてきた。けれども、私の行動が全て正しかったという保証はどこにもない。自分なりの最善をただひたすらに走ってきた。正解のない過去にうなされることだって、ある。
 それを察しているのだろう。彼の笑い声に今までの自分の選択が肯定されている気がして、少し心が軽くなった。まるで麻薬だ。分かっていながらそれに寄りかかる私はある意味悪い子かもしれない。

「教授はいつも私を信じてくれるね」
「私は君の善良さに負けたが故にここにいる。分かりきった真実を疑ってどうする、時間の無駄だ」
「そう、ありがとう」
「いいや、礼には及ばない。私は、私はただ何があろうとも君の味方でいるだけサ。ーーー……なんてネ。ヴィランの言葉をそう簡単に信じてはいけないよ。私がいなくなったらすぐに君は騙されてしまいそうで心配だ」

 狡猾な笑みを浮かべた彼は肩をすくめる。光の反射で眼鏡の奥の瞳が見えなくなってしまい、その表情を伺い知ることは困難となった。カメレオンの杖に両手を重ねる彼は、靴でリズムを刻んでいる。
 響く音が心地よくて、本音と建前の境界がにじむ。

「それならずっとそばに居てよアーチャー」

 トン……
 アーチャーから音が消えた。ハッと我に返った私は慌てて作り笑いを貼り付けた。なんて馬鹿なことを。これじゃあまるで愛の告白だ。

「……なんてね。アーチャーの真似しただけ。嘘だよ、忘れて」
「マスター、」
「いつも私に、そして人類に手を貸してくれてありがとう。……それじゃあ私は他のみんなにもチョコを配ってくるね」

 無理やり彼の言葉を遮り、逃げるように部屋を後にする。マスタールームの扉が音を立てて閉まるのを廊下で聞きながら壁に背を預けてズルズルとしゃがみ込んだ。サーヴァントだけを、それも彼を自室に残すなんてどうかしてると叱られるかもしれないがそれどころではなかった。
 聡明な彼のことだ。私の気持ちに勘付いた可能性は大いにある。こんな小娘に好かれて厄介だと思うかもしれない。
 ―――どうか、どうか私のアーチャーがパッと消えてしまいませんように。
 短く祈った私は自分の足を叱咤し立ち上がる。ともかく今日はチョコを配らなければ。これ以上彼に“特別”を感じさせるわけにはいかない。深呼吸をひとつして、まずは食堂へ向けて足を踏み出した。

§

 主人の消えた部屋で佇む初老の男は口元をだらしなく緩めた。かの名探偵が見たら顔をしかめるに違いない。そう思わせるほど満たされた表情だ。

「ヴィランにそんなことを言うなんてまったく君は……。このクラスで顕現した甲斐があったよ」

 しばし俯き、マスターの発言を反芻した男はいじらしい彼女を追いかけるため踵を返した。
 果たして、蜘蛛の巣に捕らえられたのはどちらなのか。答えは知る由もない。

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