遣らずの雨
突然の豪雨は近年珍しくもなくなってきたが、実際に遭遇すると思わず天を仰いでしまうというもの。こういうこともあろうかと当然折りたたみ傘くらいは用意していたが、先ほど広げた拍子に突風に煽られ無念にも複雑骨折してしまったため尚更気落ちしてしまう。同じように足止めを食らった人たちですぐそばのカフェチェーン店はごった返しており時間潰しがてら腰を落ち着けることも難しそうだった。
この最寄駅から自宅までは全力で走って十分程度。幸運にも今日の靴はスニーカーだった。雨は冷たいだろうが気温は夏らしくうんと高い。帰宅後すぐにシャワーを浴びればきっと風邪も引かずに済むはずだ。ここでぼうっと突っ立って無の時間を過ごすよりはマシだと思える。
そう自分を納得させ、濡れて困るものを鞄の奥底にしまい込み、それを胸に抱きしめた。覆うように背中を丸めて走ればきっと何とかなる。いや、してみせる。
いよいよ決心して激しく打ち付ける雨の中へ一歩踏み出そうとした瞬間である。大きな呼びかけと同時に肩を掴まれたのは。
「おい、ちょっと待て。何しとんじゃお前さんは」
振り向いた先には信じられないものを見る目つきをした仁王の姿があった。このばかみたいに暑いなかだというのに、いつ見ても涼やかで不思議な雰囲気には目を引かれる。
「やっほー、奇遇だね。仁王も今帰り?」
「仁王“も”ってことはおまん、この雨の中帰るつもりか」
「最寄駅から家までのタイムの新記録出そうと思ってね」
「アホ」
短くかつ的確に罵った彼は私の手から荷物を引ったくる。
「あ、ちょっと!」
「傘もなしにこんな中飛び出すやつがあるか。よう見てみんしゃい、雨どころか滝じゃき」
親指で示された先、つまり屋根のない駅の外は降りしきる雨粒で真っ白に塗りつぶされ、排水が追いつかない地面はさながら小さな川と化していた。心なしか、数秒前より勢いが増している。
確かに彼の言う通り、滝と呼んで差し支えない状態だ。私は、ふむ、と大真面目に頷き返す。
「初めての滝行、アガるわ」
「アホ」
今度は手刀が私の額に刺さった。大袈裟に痛がってみせても彼はちっとも悪いと思っていないらしく謝りもしない。それどころか深い深いため息を溢すばかりだった。
「危ないき、もう少し弱まるまで大人しくしときんしゃい」
「ええ? 長引くかもしれないからヤダよ。その間やることないし」
「俺とのお喋りが今ならなんと無料ぜよ」
ニコリともせず言い放たれたものだから、ボケなのか天然なのか、本当なのか嘘なのか測りづらい。
こっそり視線を飛ばした先、つまり仁王の手にはさっきから雨傘が握られているのだ。彼が構ってくれるなら中々楽しい暇つぶしにもなるだろうが、彼にメリットが無さすぎる。
「仁王、傘あるのに帰らないの?」
「お前さん残して帰れんじゃろ」
素直に尋ねれば、気障ったらしい台詞が返った。文脈的に、目を離すとまた雨の中突っ込んでいくと思っての発言なのだろうが、ここだけ切り取るとまるで……。
「ふふ、今のセリフ、まるで仁王が私のこと好きみたいだね」
「……アホ」
さっきからシンプルな悪口が繰り返されているが、何故だか嫌な気はしなかった。さてと、引き続き無料のお喋りでも楽しむか、なんてケラケラ笑っていた私は、このとき仁王がこぼした「“みたい”は余計じゃ」のひと言を聞き逃したことに気が付かなかった。