エール

 異様な雰囲気に包まれた試合だった。第一セット目に何故か高校生代表が全くボールを打たなくなった時点で、会場を覆ったのはブーイングの嵐。日本チームの中学生がラフプレーを繰り返したことからその勢いは増し、第二セットが始まってもなお声援と呼ぶには棘のある声は鳴り止まない。
 そんな中、しかも世界大会での大一番だというのに修二のプレーは怖いくらい落ち着き払っていた。ファーストサーブが淡々と相手側のコートに決められていく。お互いにリターンゲームを諦めているとはいえ、サービスゲームで一球たりともミスできない状況は綱渡りのように神経を使うはずだ。その集中力や技術は極めて高い水準なのに、変わり映えしない展開にしらけた観客の反応はいまだすこぶる悪かった。
 あの場に立っている選手たちは観客のためにテニスをしているわけではないだろうし、私の知る種ヶ島修二はU-17日本代表No.2の実力を誇り、その肩書きに恥じないメンタルを有する。外野の影響などに彼のパフォーマンスが大きく左右されることはない。けれどこれだけの大舞台だ。熱狂の渦の中で楽しくテニスをして欲しいと願ってしまい、当事者でもない私の胃が無意味にもしくしく痛んだ。
 タイブレークが始まると、ドイツ側が不利であることを理解したギャラリーにより相手選手への応援に熱が入り出した。やりづらさがあるのか、純粋なプレッシャーか、画面に映し出される修二の笑みはいつもより硬い。現地にも行けなかった私は、その様子を見てただただ拳を握りしめた。

「修二頑張れ、勝てるよ!」

 根拠はないし、ましてや画面越しの声が届くはずもない。そんなことは百も承知だが声を上げずにはいられなかった。今できるのは、ただ彼を信じて応援することだけなのだから。

§

 メッセージを送っていいものか、迷う。試合で疲れているだろうし、時差が二時間あることを考えると、もう眠っているかもしれない。
 試合後すぐにおめでとうの一報は入れたが、いつもおはようからおやすみまで忙しなく動き続ける彼とのトーク画面はあれから数時間経った今も沈黙を守っていた。
 今日の、らしくない修二の姿が脳裏に浮かぶ。何か声を掛けたい気もするが、何を言えばいいのか、彼に何を伝えたいのかもハッキリはしていない。
 ベッドに寝転び、長考の末枕に顔をうずめ優柔不断な自分に呆れていると、携帯が軽快なメロディを奏で出す。期待して確認した相手は思った通りで、私は思わず正座をしてそれに応えた。

「ちゃい☆ 試合観ててくれた?」
「もちろん。決勝進出おめでとう」
「おおきに!」

 実に普段通りの声音。疲れを見せないスマートさは彼の良いところでもあり、私としては弱みを隠されてちょっとだけ寂しく思うところでもある。当然、言えはしないのだけれど。

「次も試合出るんでしょ?」
「んー、それは当日のお楽しみやな☆」

 返事を聞き、おや、とこっそり目を丸くしてしまった。修二が私からの質問を誤魔化すことは珍しくないが、今日はその声に少しの戸惑いが混じり、歯切れの悪い様子だった。
 重なるらしくなさの理由を考えれば、当然今日の試合に行き着く。訊かれたくない可能性だってあるけれど、心配の気持ちに軍配が上がった。

「………もしかして元気ない?」
「えっ、なんで?」
「だって平等院くんや鬼くんと違って怪我はないよね? それなのに決勝に出るって即答しないから、今日のが効いて調子出ないのかな、と……」
「今日のが効いたっちゅーと?」
「その……ブーイングが、途中まですごかったから。流石の修二でも、メンタル揺れたりしたっておかしくないと思うし……」

 嫌なシーンを思い出させていやしないかと尻すぼみになっていく私に対し、電話の向こうではぱちんと手を打つ呑気な音が響いた。さらに修二の明るい声が続く。

「ああ! なるほど、アレな。確かに応援の方が居心地良かったやろうな〜。そやけどあんまり気にしてへんで」
「本当?」

 あっけらかんとした発言から嘘をついている雰囲気は感じ取れないが、つい疑ってしまう。しかし彼は気を悪くするでもなく小さな笑い声を漏らした。

「だって自分、頑張れ、勝てるよ! って応援してくれたやろ? 画面に向かって声出たんちゃうん?」
「流石……私のことをよくお分かりで。全くもってその通り画面の修二に言霊を送っておりました」
「ハハ、大当たりで何よりや。俺、緊張ほぐしたいときやら、ここぞってときは、絶対思い出すんやで。ナマエが初めて試合観に来たとき、頑張れ、勝てるよ! て言うてくれとった声」

 前にも同じ言葉を使っていたことに、指摘されて初めて気がついた。

「すごい記憶力」
「勝てるって応援されるんは新鮮やったし、何より好きな子の応援やし?」

 修二はよく自らを「負けない」と表現する。だから、負けないでと応援する方が適切かもしれないが、どうやら無意識のうちに負けというワードを避けていたようだ。話題に挙げられたあたり、自分の無意識まで彼には筒抜けだったかもしれなくて気恥ずかしかった。

「せやから大事な場面になったらなるほどブーイングなんか聞こえへんし気にならんくなんで。あの雰囲気の中ずっと心強かったわぁ、おおきにな」
「……気使わせた?」
「何でやねん。ホンマに、自分が応援してくれるってだけで俺にとっては百人力って話やんか!」

 私が修二を元気にしたくて、どう声をかけたものかとさっきまで頭を抱えていたのに、まさか既に力になれているとは思わなかった。その事実で私まで元気になってしまう。

「私が役に立ててるんなら良かったよ」
「もうナマエ無しでは生きていけへんな〜」
「急に胡散臭いんだよなぁ」

 言葉のわりに、自分の苦笑が想定より嬉しそうに響いた。見事、お互い幸せが循環する永久機関が完成している。修二は私無しでは生きていけないなどと調子の良いことを言ったが、私の方こそこの人から離れられないんじゃないかなぁとひっそり思う。すっかり骨抜きにされていることを分かっているんだろうか。
 ただでさえかっこ良いのに、それだけでなくこうして大会の最中にもマメに連絡して私を大事にしてくれて……。そこまで考えてはたと、話の途中だったことを思い出した。

「ん? あれ? それだったら決勝戦は?」
「純粋にまだオーダー決まってへんのやわ。ガチンコ勝負の試合して決めんねん」
「決勝の前に身内で試合するってこと……? 疲れも残ってるだろうし、修二不利じゃん」
「そこを乗り越えてこそってことかもな。まあどちらにせよやるしかあらへんし、応援頼むわ」

 驚く私をよそに、コーチ陣の無茶振りに慣れているからか修二は覚悟を決めている。見据えるは既に未来だけだった。ならばやはり、私にできることはひとつだけ。
 ベッドの上ではあるが居住まいを正し、電波にありったけの想いを込めた。

「それは任せて。頑張ってね、絶対勝てるよ」
「おう!」

 気合いは十分。ただただ、彼の望んだ結果になりますように。私は信じてエールを送り、吉報を待つ。

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