4話 夏休みのある日

4話 夏休みのある日


夏休みのある日。

僕はマンションの近くにある大手CDショップへ立ち寄った。
最近気になっているバンドの《カナリアナイト》がベストアルバムを発売したのだ。

ツインギターでツインボーカルのこのバンドを知ったのはついこの間。
何気なしにネットで音楽系の動画を漁って観ていた時だった。
メンバーは五人中四人が僕と同じ高校生だったというのに楽器隊の完成度は勿論、ボーカル二人は対照的な澄み切った声とハスキーな声で、そのハーモニーには聴き惚れた。詩も僕が求めていた『苦しいながらも救いがある』曲だった。

でも、何故だろう。僕の中から《sins》が離れない。僕の求めた音楽が此処にあるのに此処に現れたのに、あの儚い声が忘れられない。

そもそも、『苦しいながらも救いがある』音楽なんてこの世にいくらでもあるのに僕は何故《sins》以外を認められないのか。《sins》の音楽が初めて僕が溺れたモノだからだろうか。

だけど、《カナリアナイト》の音楽に触れれば何かが見つかるような、そんな気がしたんだ。
……でも、《カナリアナイト》はもういない。

「ありがとうございましたー」

販売初日の昼前だというのにこのCDショップにももう在庫があまりなかったらしい。予約をしていてよかった。
それだけあのバンドはファンに愛されているんだ。

「……ノート、買わなきゃ」

早くマンションへ帰ってこのCDを聴きながら創作をしたかったけれど肝心のノートがないのを思い出す。パソコンは高価だし持っていなかった。

創作などと大袈裟に言っているけれど僕のはただの趣味止まりだ。ただ、自分の鬱々とした気持ちを吐き出しているだけのつまらないモノ。

でも、こうして吐き出していないともう僕は息が出来ない。音楽の……作詞の虜になっていた。

「洵、おかえり」

「……ただいま。これから出掛けるの?」

 ノートを購入してマンションに帰ると雅さんがちょうど出掛けるところだった。

「これから《sins》の奴等とスタジオで練習なんだ。……あ、ちょっとごめん」

ご機嫌な雅さんのiPhoneが鳴りだして彼は慌てて電話に出た。

「もしもし?」

『雅!今日こそ一緒に住んでる奴も連れてこいよ!』

「え、ちょっ、秋斗(あきと)!待っ!」

―プツン!ツー、ツー……

スピーカーで話しているのではないのに電話相手の声が僕の耳にも痛いくらいに響いた。

その声はよく通る声で、どこかあのボーカリストの儚い声にも似ていて、でも、明らかに電話相手の方が低音だった。

従兄弟が頭を抱え、深く深く溜息を吐き、僕を見つめ直す。

「あーっと……。これから隣町に一緒に行ってくれない、かな。お腹がすいてる頃だろうし何処かでご飯食べて、それから《sins》のメンバーと……」

路上ライブを一緒に観に行こうと提案した時や、僕を引き取ると叔父さん達に啖呵を切った時の心強い勢いは何処に行ったのか。従兄弟は視線をそらし頭を掻きながらボソボソと話し出す。

「……雅さんの奢りなら行く」

「そこをなんとか! あいつが機嫌損ねるとめんどくさ……って、え? いいの?」

なんと古典的な。この男があの儚い曲を本当に作曲したのかと思えるほどのアホ面だった。

僕と従兄弟は電車に乗り隣町まで出て行き、駅前のファーストフード店に入った。

「いらっしゃいませ!こちらでお召し上がりですかぁ?」

スマイル三割増しの店員が語尾を無駄に伸ばして雅さんに媚びる。

「はい、ここで。えーっと、ハンバーガーセットの……飲み物は烏龍茶で。洵は?」

「……僕はチーズバーガーとブラックコーヒー。席、取ってくる」

「ありがと、少し待ってて」

昼食時。三階建てのファーストフード店内はどのフロアも友達同士やカップル、親子連れで混み合っていた。

僕は三階の空いていた窓側のテーブル席に座り、雅さんがくれたウォークマンで《sins》の曲を聴く。

ふと潤んだ瞳を開けると、色香を無駄に振りまいている従兄弟が優しく微笑みながらハンカチを差し出してくれていた。僕はまた泣いていたようだ。
僕の涙腺はどうしてこんなに脆くなったのだろう。

「……これホントにありがとう」

僕は素直に雅さんからハンカチを受け取り久々に流した涙を拭った。それを見て彼はまた違う微笑みを僕に与えてくれながら席に着く。

「いや……こちらこそありがとう」

「なんで雅さんが僕にお礼を言うんだよ」

「洵は俺達にあまり弱いところを見せないから。最近はなんか……生き生きしてるし、俺の……俺達の曲に涙してくれたから褒めてくれているのかなと思ってね」

周囲の女共がきゃあきゃあと騒ぎ出すくらいのこの男の笑みを受けても何も感じないけれど、作曲家・玖木雅を含めたあのバンド《sins》に間違いなく僕は一目で一耳で惚れてしまっていた。

そんなもの認めたくなどない。他人の才能に惚れたのなんて認めたく、ない。
才能なんて僕には何もないから、どんな小さな才能でもそれを手にしている人間が羨ましくもあり、そして、心から憎くもあるから。

僕はたいして努力も何もしていない愚か者なのにそんなのは滑稽だけれど。

そんな感情を隠すように僕はブラックコーヒーを一口飲んだ。心地よい苦さが口の中に広がる。でも少し涙味。
まだ僕は泣いていたのか、いつまで泣いているのか。

「……なんか、昔に戻ったみたいだ」

ハンバーガーの包みを剥がしながら、雅さんは微笑んだ。
今日は、いつもとは僕も雅さんも違うようなそんな日。

「……なにが?」

「洵は昔は泣き虫だったけど、最近は感情を押し殺してる様に感じるから」

僕なんか誰も必要としてないから感情なんか僕にはいらないんだよ。心の中でそう呟いた。

でも、そんなことは優しい従兄弟には言えない。負の言葉を吐き出さないように僕はチーズバーガーをかじった。

外というのは僕の劣等感がより刺激される場所だ。
周囲の嘲笑が、心底鬱陶しい。
美しい人間の隣にお前のような醜い人間はいてはいけないのだ、お前は邪魔だ。そんな周りからの視線が痛い。

「……ご馳走様。ちょっとトイレに行ってくる」

「わかった。待ってる」

昼食を食べ終えて、僕がトイレに行くために席を立ったその瞬間、周囲の女の目つき顔つきが変わったのを、僕は気付いていた。

「……はぁ……」

トイレで手を洗っているとふと鏡に映った自分と目が合う。

「……醜いな、お前は」

気持ち悪い。
なんでお前なんかが存在しているんだ……。

憂鬱な気持ちの中トイレを出てテーブルに戻ろうとしたが、従兄弟が待っているはずのテーブルの近くに香水臭そうな長い茶髪が二人。

「ねぇねぇ、お兄さん!私達と遊びに行こーよぉ!」

頭の悪そうな女が二人、美しい顔の青年に媚びていた。

思わず僕は眉間に皺を寄せた。あの女共は僕達よりも先にこの店に居座っていて僕の存在を知っているはずだ。

「すみません、俺、連れがいるので」

「えー、あんな子ほっといていーじゃん。お兄さんには不釣り合いだもん」

「言えてる!なんであんな子といるの?罰ゲェム?」

甲高い耳障りな声で嗤う女。

『誰があんたみたいなキモイ奴に本気になんの?バッカじゃん?こんなの罰ゲームだよ。ばつげーむ。じゃ、バイバーイ』

言葉がフラッシュバックする。あんな下らない過去を僕はいつまで引きずっているのか。

でも、あの人達の言うとおりだ。僕みたいな醜い人間は何処にも居場所なんてない。
勿論、あのバンドマン達に会う権利も、ない。

僕はバカだ。浮かれていた。どうしようもないバカだ。
雅さんが何かその二人組に何かを言おうとした。
でもそんなの知らない。

僕は『醜い人間と罰ゲームで一緒にいさせられた可哀相な美青年』のいるテーブルから乱暴に自分の荷物を取り戻した。

「洵!」

美しい人が僕を呼び止めようとしたけれど、僕はそんなのを無視してファーストフード店を飛び出す。

苦しい、消えたい、もう嫌だ!
僕は、浮かれていた。その罰が下ったんだ。

「洵!待て!待てって!」

 苦しい、くるしい、クルシイ。

「待てって……」

「……っ」

運動が苦手な醜い僕は元運動部の美青年にすぐに追いつかれ右腕を捕らえられてしまった。

「……洵」

嗚呼、あの顔だ。
僕の大嫌いな、雅さんのあの切ない顔……。

「……僕なんかと関わる暇があるなら、友人さんや恋人さんと会いなよ」

雅さんは何も悪くない。それは分かっている。
それに雅さんから自由を奪ったのは僕だし僕が勝手に『希望』の誘惑に負けてのこのこと此処まで着いてきたんだ。僕が、勝手に。

それなのに、止まらない。

「雅さんはいいよね。美形だし性格も良いから友人も沢山いて恋人も選り取り見取り。あんたを求める人なんて腐るほどいる。でも、僕には何もないんだよ。さっき『感情を押し殺してる』って、あんたは言ったけど、僕には……醜い僕なんかにはそんなモノ必要ないんだ。感情を共有してくれる人なんていない。僕なんか誰もいらない。僕なんか誰も必要じゃないから、感情なんか僕には必要ない!」

消えたい、もう嫌だ、苦しい……。
誰か僕を必要としてよ……僕を心から、愛して……。

ポジティブな感情は疾うの昔に消えた。感情なんて僕にはいらない。もうネガティブな感情も全て完全に消えればいい。
感情の無い人形のようになりたい……。

「……洵、俺は……」

「雅!」

 大嫌いな従兄弟がいつものあの顔で僕に何か言おうとした時、僕の背後からさっき電話越しに聞いたあの低音声。

「秋斗?待ち合わせはスタジオじゃ……」

「るせぇ!てめぇが遅ぇから迎えに来たんだろうが!おい、ガキ!」

奇抜な髪型の低音声さんは雅さんに近づき彼を自分の方へ引き寄せ、僕をキッと睨んだ。
全くその行動の意味が分からない。
低音声さんは何をしたいんだろうか。
僕が醜いから、友人である美しい青年の隣に僕がいるのが許せないのだろうか。

「……何ですか? 醜いガキに何のご用でしょうか?」

ピクリ。低音声さんの右眉が上がる。

やっぱり僕みたいな醜い存在は生きていてはいけないんだ。周りを不快にするだけの存在価値の無い人間。それが僕。
最期を何処でどんな風に迎えようかという考えが頭の中を駆けめぐる

「はっ、オレはてめぇなんざ興味ねえよ」

そんな僕を鼻で嗤う、低音声さん。そして自業自得だけれど不機嫌な僕に言い放つ。

「てめぇには興味ないがな!こいつはオレのだ!」

「?!」

低音声さんの行動に、驚愕という言葉しか出てこない。
低音声さんは雅さんの後頭部を強引に引き寄せ、濃厚な口付けをした。



ーつづくー