7話 決別

7話 決別


僕は春樹さんにもらったリストバンドというお守りを身につけて始業式に来た。
相変わらず嫌がらせを新学期早々受けていたが気にならない。
僕の居場所は別の場所にある。
優しい人達が僕を認めてくれている。
だから大丈夫。
そう自分に言い聞かせていれば不思議と苦痛は和らいだ。だけど。

「玖木、うちは装飾品は禁止だ。それを外しなさい」

「え……?」

講堂の入り口に立っていた生徒指導の教師に止められてしまったが、装飾品がダメというならピアスやネックレスなどを身につけている生徒は堂々とその教師を通り過ぎているのは何故。それに、僕は今日も長袖だ。リストバンドなんて見えるか見えないかだし包帯を巻いていた時は何も言われなかったのに。

「あの、これは……」

「いいから外しなさい!」

教師が僕の腕を掴み、そのままリストバンドを奪う。その下には沢山の自傷痕。それを見た教師は眉間に深い皺を寄せ嫌悪の顔をする。

「前々から思ってはいたがなんだこれは!親から貰った身体をこんなにしてまでお前は生きている価値はあるのか?こんなことをするならいっそ死んでしまえ!」

教師が生徒に対して「死んでしまえ」とは。
沢山の生徒がいる前で、大切なモノを無理に奪われ、傷を晒され、罵倒され……。
此処は拷問を受ける場所だ。そうに違いない。周りは嫌悪の顔や嘲笑の顔をしている。
いっそ本当に死んでしまっていた方がよかったのか。優しい人達に出逢って肯定され僕は浮かれていたんだ。バカだ……。

僕の中で何かがプツリと切れた。

「な!お前、な、なにを……!」

周りの教師達も生徒達も僕の行動に凍り付く。
僕はポケットに入れてあったカッターナイフを教師に向ける。
もう、本当になにもかもこの学校には未練など無い。

ーかしゃん……

僕はカッターナイフを教師の足下に投げるがその行為にワケが分からぬというバカ面に冷ややかに嘲笑ってやる。

「そんなに死ねというなら貴方がそれで僕を刺せばいいですよ。こんな世界に僕はもう未練なんてないですから」

嘘だ。未練ならある。
あの優しい人達ともっと笑い合いたかった。
もっとあの優しい声に包まれていたかった。

「と、とにかくコレは没収する。いいな」

「それは……!」

それは大切な宝物なんだ! 返してくれ!

「駄目だ。早く席に着きなさい!」

「……っ」

没収されてしまったリストバンドが気になって始業式の内容なんて何も頭の中に入ってこない。

嗚呼、僕は愚かだ。大切なモノをこんな所に持ってくるんじゃなかった。

始業式後、高校の誰も居ない屋上の片隅にうずくまる。教室なんかに僕の居場所は無い。
僕の苦痛を書き殴ったノートを風が捲る。

「あれ?クキくんじゃん。うずくまってオナカでも痛いの?」

「!?」

僕以外誰も居なかった屋上は簡単に他の生徒達を招き入れる。この生徒達は同じクラスの、しかも率先して僕を攻撃してくる奴等だった。僕は咄嗟にノートを隠す。

この高校は県でもトップクラスの進学校だ。生徒も教師も外面は良い。近所でも評判は良い方なのだが、一歩校内に足を踏み入れると滲み出る悪意から逃げることなど出来ない。
地獄とはこの場所のことを言うのだと思う。

「お?こいつなんか隠したぜ!」

「おい、隠すなって。俺達とクキくんの仲じゃん」

「っ……!」

奴等は笑顔で何も躊躇わずに僕に蹴りを入れ、僕からノートを奪い取ろうとする。僕は必死に抵抗したが、奴等は僕への攻撃をやめない。
何が「クキくんと俺達の仲」だよ。お前等は僕を暇つぶしの道具かストレス発散のサンドバッグとしか思ってないじゃないか!

「……なせっ!はなせ!」

「ちっ、しつけー、な!」

「っ……!げほっ……」

奴等の一人の蹴りが僕の鳩尾に入り僕の抵抗の力が緩んだ隙に僕からノートが逃げる。

「うっわ、きも。おい、見ろよ!」

「やめ、ろ……」

「なんだこれ?うっわお前痛いわ〜」

汚物を扱うように僕のノートは次々と屑共の手に渡っていく。溢れだす嘲笑。溢れ出す憎悪。蹴りをいれられた鳩尾を押さえながら上半身を起こす。

いっそこいつ等をカッターナイフで刺してしまおうかとポケットに空いている方の手を入れようとした時、僕の書いた言の葉が目の前に落ち、それを取り戻そうと左手を伸ばすと力一杯踏みつけられ鈍い音がした。そして、走る激痛。

「…………っっっ!」

僕の左手を殺した屑がニヤリと口角を上げる。

「お前さ、そんなに消えたいなら仕方ねぇから俺達が手伝ってやるよ!」

「お前には手首切ってまで生きてる価値はありませーん!」

「ぐぁっ……げほっ……」

激しい打撃を何発も食らい僕の意識が遠のく。
僕は、なんだっけ……?
サンドバッグ?
ボロぞうきん?
それともこいつらの親の敵?
僕はこいつらの何?
僕はこいつらに何をした?
僕はただ息をしているだけじゃないか!

僕を蔑んだ目で「きもポエマー」を嘲笑する声とノートが破られる音を聞いて僕は意識を飛ばした。

次に僕が意識を取り戻した時にはもう空が真っ赤に夕焼けしていた。
周りには無残な姿になった言の葉が散乱していて、僕を嘲笑うように風が言の葉を持って行ってしまう。

「(……ウォークマン、持って来てなくてよかった……)」

あれだけは絶対に失いたくない、僕のたからもの。
もう一つもたからものは返ってくるんだろうか……。

もう、生きていたくない……。こんな世界で生きていたって意味が無い。中途半端に傷つけていくくらいならいっそ、本当に殺して欲しかった……。

傷だらけでぼろぼろになった僕は何故か雅さんと暮らしていたマンションではなく叔父さん達の家に帰っていた。

その日は、幸い僕のバイトは休みの日だったし叔父さん達は出掛けていたけれど、運悪くあの優しい従兄弟も実家に帰ってきていた。足下には大きな荷物。

「洵!?その怪我、どうして……」

「……なんでもない」

「なんでもなくない!なんで洵がこんな仕打ち受けなきゃダメなんだ!なんで……」

嗚呼、綺麗な従兄弟は涙まで綺麗だな。僕とは大違いだ……。
綺麗な優しい従兄弟はiPhoneを取り出し何かタップし始める。

「……何してるの」

「警察に電話する」

そんな事をしても無駄だよ。だって……。

「……もう……」

死にたい。
初めて雅さんに僕の本音が零れた。
嗚呼、むかつくなぁ……。なんで泣きながら僕を抱き締めるの?
もう、いっそ突き放してよ。僕の決意が揺らぐから……。

僕の腫れ上がった左腕からは奴等に付けられた怪我とは違う、深い切り傷から大量に出血していた。

僕はその後、五日間くらい記憶が無い。気が付くと白い天井の部屋で寝ていた。

「あ、起きた……?」

「みやび、さん? ぼくは…………ぃっっ!」

僕は起き上がろうとしたけれど胸に激しい痛みが走り起き上がれない。

「起き上がっちゃダメだ。今、看護師さん呼ぶから寝てて」

従兄弟はベッド脇の丸椅子から立ち上がり、僕の枕元にあったナースコールを押す。
するとすぐに今日の担当だろう看護師が僕の病室にやって来た。

話を聞くと、僕は心労、全身の打撲と肋骨と左手の骨にはひびが入り、そして左手首の出血による出血多量で意識を失っていたらしい。そんな傷で歩いて帰ったことに驚きだと言われた。

僕が眠り続けていたその間もずっと雅さんは傍で見守ってくれていたのだという。本当にこの従兄弟は優しすぎるよ。
一通り数値を測ったりして看護師が病室を去って行くと、雅さんが口を開く。

「洵、ごめんな。俺は洵のこと一番近くで見てたのにこんなことになって……」

「……雅さんのせいじゃないよ。僕が弱いからこうなったんだ……」

「そんなこと……」

秋斗さんが言ってたあの泣きそうな顔、今は不快ではなく、申し訳ない気持ちで胸が張り裂けそうになる……。

「……ねぇ、雅さん」

「ん?」

「雅さん……僕は、もう独りは嫌だよ……」

本音は、優しい従兄弟の目を見て言えなかった。でも、もう僕は、独りにはなりたくなかった。不安で心臓が痛い……。

「バカだな、洵は。洵を見捨てる気なら実家に残ってた全部の荷物を引き払いに行くわけないし、それに秋斗達も心配してる」

あの日、雅さんは実家に残っていた自分の荷物を全て引き払いに行っていたらしい。僕は、涙が止まらなかった。

「退院したら一緒にあの部屋に帰ろう」

――俺達が洵を独りにはしないよ。
優しい笑顔を浮かべた瞳にはうっすら涙が見えた。

「……っ……!」

僕はその綺麗な涙を見て気が緩んだのか壊れたように泣いた。
止まらない。止まらない。止まらない……。

「つらかった……いた、かった……くるし、かっ……」

「……うん。よく、頑張ったね」

「ぅぁぁぁぁぁっ……」

どうしてこの優しい従兄弟が嫌いだったんだろう。
もしかしたら頼ってしまうことで『自分』を保てなくなるのを本能的に気付いていたからかもしれない。
僕のために泣いてくれるこの人に認められることで『耐える』ということが出来なくなると分かっていたんだ。
弱い僕が姿を現すから、現実から逃げたくて仕方ない僕が現れて必死に苦痛に耐える僕が消えてしまうのが分かっていたんだ……。

でも、雅さんは言ってくれた。「洵は逃げたんじゃない。自分の心を守ったんだ」と……。

退院するまで結構時間がかかったけれど毎日雅さんや春樹さんや秋斗さん、灰さん、泪さんが代わる代わるお見舞いに来てくれた。
その度に僕の存在を肯定してくれるこの人達を僕は守りたいと思う。
勿論オトモダチなんていないし、学校関係者や叔父さん達も来るわけなかったが、別にそんなことはもうどうでもいい。

入院中に僕は高校を辞める決意をした。

あの屋上の一件で学歴至上主義の人達からも解放されたし、もうあの学校で勉強していく意味を無くした。
そして、自分の心を守ることにした。
僕が通っていた高校はそこそこの進学校だったから周りも勿論頭が良い。
だけど、そんな頭の良い人間全てが善い人間だとは限らない。あの高校や今の日本を見ていると本当にそう思う。
春樹さんに貰った大切なリストバンドは無許可で処分されてしまっていたのはもう何があっても許せない。そんな大切なモノをあんな場所に持って行ってしまった僕も悪いがそんな非常識な学校でいて何が学べるというのだ。

僕は進学校を中退した。


ーつづくー