オーバーヒート
赤葦、風邪を引く
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朝起きた時に、ふと感じた違和感に気がつかないふりをしたのが、間違いだった。
家を出て学校に行く途中、気分が悪すぎて歩き続けることはできなかった。近くの公園で休んで、何とか家までの道を戻った。
やってしまった。大切な時期なのに。
三年生が卒業して、ついこの間二年に上がり、新しく一年が入って来て。今はインターハイ予選への調整と新しいフォーメーションの調整。そして、子供みたいな先輩のお守り。三年生が卒業してからまとめ役がいなくなり、その座を任されてしまった。まあ、今に始まったことではないけれど。
”木兎さん、すみません。風邪を引いてしまったみたいなので部活休みます”
部屋のベッドに倒れ込み、そのメールを霞む視界の中打ち込み、送信する。
そこでふっと、自分の意識が遠のくのが分かった。
熱のせいなのか、体の節々が痛い。重たい。怠い。寒気がする。こんな時に、最悪だ。
目を瞑って、手の中でスマホのバイブが震えた。でも、確認する気力はなかった。きっと木兎さんからのメッセージだろう。こんな時にごめんなさい、どうか、後輩たちを困らせないでくださいね。と、思うだけ思って、俺は意識を手放した。
送信相手が木兎さんではなかったことに気がついたのは、次に目を覚ました時だった。
***
「…っ」
じんわりと嫌な汗をかいていた。その不快感に目を覚ます。
そうだ、熱が出て、そのまま寝たんだっけ。…情けない。体調管理もろくにできないなんて、スポーツをやる人間として失格だ。
「…起きた?」
何だ、熱のせいか、幻聴が聞こえる。まさかここまでとは。気のせいにも程がある。今家に誰もいるはずがない。
「…だいじょぶ?」
ヌッと視界に入り込んできた影にとうとう頭までおかしくなって幻覚を見たのだと思った。
でも、違った。
「…え」
「かなり熱高いよ、病院行く?」
スッと額に触れる冷たい手。どうやら幻聴でも幻覚でもない。じゃあこれは夢?
だっておかしい。
この声は、え、なんで、
「何で…、#name#先輩が」
「何でって、メールしたでしょ?」
「…え?」
「あ、木兎宛てのやつね。あれ、私に届いたよ」
「…は、」
「赤葦らしくないね、宛先間違えるなんてさ」
「…」
「だから相当酷いのかなと思って」
「…すみません、わざわざ来てくれたんですか」
「うん。あ、鍵空いてたから勝手にお邪魔しちゃった。ごめんね」
「いや、全然」
「それと、木兎には私から連絡入れておいたから。心配しないで休むよう伝えてってさ」
「…何から何まで、ほんとすみません」
「謝らないで良いよ、それより早く治さなくちゃ。何か食べられそ?」
「…食欲、ないです」
「そっか、でもだいぶ汗かいてるし水分だけは取ろう。これ、飲める?」
そう言ってスポーツドリンクを渡してくれる先輩。
俺は、何と言う失態を。ちゃんと確認しないでメールをするなんて。しかもよりによって、#name#先輩に。
#name#先輩が部屋にいることが信じられなかったけど、回らない頭のせいで今は何も考えることができない。とにかく、体がだるくて仕方がない。正直、体を起こす体力もない。何だこれ、本当に俺の体なのだろうか。参った。
「汗びっしょりだね、もっと体温下がると良くないから着替えよ。替えのシャツどこにある?」
「…箪笥の、上から二段目に」
「…あった。はい。起き上がれる?」
#name#先輩の腕が背中に添えられ、ほぼその力だけで何とか上半身を起こす。
その腕の温度に、自分の体温を思い知る。だいぶ、高い。
「もう一口飲んで、もっかい寝なね」
「先輩…」
「ん、分かったから。謝らないで良いから、早く治す」
「…は、い」
「赤葦、」
「…」
「おやすみ」
そんな声が聞こえて、俺はまた意識を手放した。この声はいつも、俺を安心させてくれた。
#name#先輩は、バレー部のマネージャーだった。俺が一年で入った時に、三年生だった。
先輩プレイヤー達の癖の強さに最初はドンびいたが、そんな彼らの性格や癖を細かく熟知していた先輩はいつも冷静に対応し、まとめるのも上手かった。分析能力や鋭い感覚からプレイヤー達の能力を最高地点に導いていたように思う。俺たちは裏監督だと言っていた。後輩のマネージャー達にもそんな彼らの癖や攻略法を伝えていたのだろう。その背中を見て育ったうちのマネージャー達はみんなしっかりと俺たちを支えてくれていた。今の三年がとても強いのも、一年の時からそんな彼らと共に戦い支え抜いた#name#先輩のおかげなんだと、彼女がいなければ今の俺たちはないよと、この間卒業した主将が誇らしげに言っていた。
しっかり者で、頭も良くて、何でもできて、そして何より、彼女はとても、きれいな人だった。
初めて体育館で先輩を目にした時、ラッキーだと思ってしまった。強いチームと、この人がいれば最強な気がした。影ながらにチームを支える#name#先輩に俺は、感謝とはまた違う感情を抱いていた。
そんな想いは結局伝えることはできずに、先輩は卒業してしまった訳だけれど。
「…ん」
次に目が覚めた時には、先輩の姿はなかった。随分と眠ってしまっていた気がする。
また少し汗をかいていたけれど、さっきとは違いだいぶ楽になった。でもまだ少し、怠さはある。
__ガチャ
「あ、起きた?」
「…先輩」
「市販の薬、見当たらなかったから買ってきた。ついでに冷えピタも」
気分どう?落ち着いた?と続ける先輩がベッドに近寄る。
そして、触れる。
「んー、まだちょっと高いかな」
「…先輩、今日は?」
「あ、今日は大学休校なの」
「…そう、だったんですね」
「朝メール来た時はびっくりしたよ。すぐ木兎に連絡したら、あいつの親共働きでいないし滅多に風邪なんて引かないあいつが風邪とか絶対部屋で死んでるから先輩様子見てきてくださいって電話してきてさ」
「…木兎さんが」
「ん。ま、言われるまでもなくすぐに行こうと思ったけどね」
「…え」
「だって、私これでも元マネージャーだし。可愛い後輩が息も絶え絶えに苦しんでいるって言うのにほっとける訳ないでしょ」
「…ありがとう、ございます」
「良いよ、こんな時くらい甘えなさい」
そう言って、彼女の手が頭にのる。こうやるのは先輩の癖だ。入部した他の頃から、頭を良く撫でられていた。少し背伸びをして、わしゃわしゃとする。俺、子供じゃないんだけどなという声は心の中だけに留めた。何回も。
身長だって、力だって、先輩よりも俺の方がずっとでかい。なのに、先輩にとって俺は、ただの可愛い後輩という存在でしかない。その距離は、先輩が卒業した今も変わらない。
「さっきよりも顔色良くなったね、今なら食べられそう?」
「…少し、腹減ったかも」
「お、よかった。さっきキッチン借りてお粥作ったの。温め直して持ってくるから、ちょっと待っててね」
パタパタと音を鳴らして一階に降りていく先輩の背中を見つめる。ボーッとしていた思考はさっきよりかはクリアだった。
先輩の私服姿を見るのは久しぶりだったし、何より卒業以来会っていなくて、こんな再会の仕方をしたことを恥じる。こんなみっともない姿を晒してしまうなんて。しかも俺は、一応バレー部の副キャプテン。叱られてもおかしくはないのに、#name#先輩は何も言わない。
「お待たせ。ちょっと熱いから気をつけてね」
「…頂きます」
「はい。召し上がれ」
息を吹きかけて口に含む。塩の味加減がちょうど良く、空腹を徐々に満たしていく。
「何も、言わないんですか」
「…何もって?」
「風邪、引いたこと」
「ああ。現役の時なら注意はしたかもね。でも今は違うし、それに…赤葦はさ、ほら。ストイックだし、真面目だし。自己管理が出来ないような選手じゃない。季節の変わり目は、気を遣っていてもふと風邪を引くことだってある。だから怒ることなんてしないよ。だから、赤葦も自分を責めちゃダメ」
そう言って眉を僅かに下げながら笑う先輩の顔を見て、少し安堵する。ああ、やっぱりこの人は何も変わらない。二年前から、出会った時から。この人は中身までも、きれいな人。
「薬、飲もっか」
お粥を完食し、水分も摂った。あとは薬。
だが、今まであまり薬に頼ったことがないからか薬はどうも昔から苦手なのだ。出来れば飲みたくない。
「…薬は、大丈夫です。なんか、だいぶ体も楽になってきましたし」
「あ、まさか赤葦、薬キライなの?」
「いや、キライと言うか。。んー、苦手です」
「ほぼ一緒だから、それ」
「…飲まなきゃ、ダメすか」
「無理にとは言わないけど。…でも今、大切な時期でしょ」
「…そうですね」
「赤葦がいなかったら、誰が木兎の面倒見るのか心配になっちゃうよ」
「…」
「飲んだら、早くよくなるかも、よ?」
「…分かりました、じゃあ、飲みます」
「よし、良い子」
先輩に買ってきてもらった薬を開封する。
…成人15歳以上は、3錠。…多いな。
「…」
「…赤葦?」
「3錠って、多くないですか」
自分でも分かるくらいに、眉間にシワが寄る。
「…市販のはそれが普通かもしれないけど…やっぱり嫌?」
「…1錠ずつ、なら」
「うん、頑張れ」
まず1粒めを口に入れ、水を後から流し込む。ああ、嫌だ。この独特の薬の味が、苦手だ。あと2錠…
「…ゴホッゴホッ」
「ちょ!大丈夫?ゆっくり飲みな」
2粒めを含み飲み込む瞬間に、喉に突っかかって咽せた。薬は吐き出した。先輩の手が優しく背中を行き来する。
「んー、無理そうだね」
「…すみません。せっかく買ってきてくれたのに」
「いやいや、私ももう少し飲みやすいのにすれば良かったね、気が利かなくてごめん」
「いえ、飲めない俺が悪いので」
「ちゃんと食べたし、何より赤葦は元々の体力もあるから、睡眠が一番の薬になるかもね」
「…そう、ですね」
「あ。冷えピタ貼ってあげるね」
ベッドの脇で、自分よりも低い位置にいる先輩が冷えピタを開ける。
「うー…このうっすい紙が捲れない」
「…貸してください」
「…はい」
ペロリと、すぐに剥がすことができた。どうやら手先の器用さは、俺の方が上だったらしい。
「わ、赤葦、手先も器用なの。完璧すぎ」
「…先輩が不器用なの、意外です」
「う、うるさいな。いつもはちゃんとできるけど今日は緊張し、て…」
「……」
「いや、ごめん、忘れて」
「…緊張って、なんでですか?」
「…だから忘れてって…」
「一度言ったこと忘れるなんて無理ですよ」「…私、男の人の部屋で、看病なんてしたことないから…」
「…」
「…固まらないで赤葦」
「…それって」
「…」
「それって、どう言う…」
「ああ、もう、この話おしまい!」
「いって」
ぺチッ!と額に衝撃が走る。冷たい。
強引に冷えピタを貼る先輩の顔は、少しだけ赤い気がした。
「病人は早く寝なさい、薬飲めなかった分睡眠で補うこと」
「…先輩」
「何よう」
「…帰っちゃうんですか」
「…っ」
「俺が寝たら、帰っちゃいますよね」
「…ん、帰るよ」
「じゃあ、寝ません」
「子供か」
「…いてください」
「ここに、いてくださいよ」
ああ、俺は、一体何を言っているんだろう。
全部、熱のせいにして良いだろうか。
こうやって先輩を困らせて。何がしたいんだ。先輩に迷惑をかけないようにと今までやってきたのに。これ以上は、ダメだ。
「…なんて、冗談、です」
「…」
「…本当に助かりました、先輩いなかったら今頃木兎さんの言う通り死んでたかもしれないです」
「…」
「…先輩?」
「…赤葦は、昔からずるい」
「…は」
「…ずるいよ」
俯く先輩の顔を覗き込むと、耳まで顔を真っ赤に染めた先輩がいた。
え、何だこれ。この可愛い物体は、何だ。
「…先輩、どう…したんですか」
「赤葦が、わるい」
「先輩?」
「…薬飲んで、大人しく寝なさい風邪っぴき」
「いや、だから薬は…っ」
俺はその後、言いかけた言葉を言うのをやめた。言わなかった。言えなかった。
先輩がそれを、許してくれなかった。
「……んっ」
「…(ゴクン)」
小さな個体が2粒、水と共に喉を通って行くのが分かる。
されるがままに、飲み込む。
先輩の顔が、すぐ目の前にあった。
一瞬のことで、何が起きたのか分からずにいた。流れ込んだものの正体を知るのにさほど時間は掛からなかったけど、どうしてこうなったのかは理解が出来ずにいた。誰か丁寧に経緯を教えてほしい。きっと今俺の表情は漫画とかで言う、ポカーンという表現がふさわしいと思う。開きそうになる口を閉じることに集中する。
そして、目の前が開けたのち、ベッド脇に座る存在に目を移す。
そこには、茹で蛸のように真っ赤な顔をした先輩がいた。
掌を返して口元を隠しながら、先輩は言った。
「変なこと言った、仕返しだ、ばか葦」
その言葉を言い放ち、バッグを掴んでバタバタと足音を立て先輩が部屋を出て行く。
遠くで、ガチャリと玄関のドアの閉まる音がする。
フリーズする頭を少しずつ動かしてみる。
今、俺は、何をされた?
思い出す。振り返る。辿るように、今起きた出来事を遡る。
ベッド脇のテーブルにあるのは、冷えピタの箱と、穴が4つあいた薬のシート。
1粒は、自分で飲んだ。
2粒目は、吐き出した。
じゃあ、そこに無い残りの2粒は…?
「…っ!」
思い出して、思わず赤面する。
せっかく冷めてきていた熱が、また上がるのを感じる。さっきよりも、高いかもしれない。鳥肌が立つ。
早く治せだと?
逆効果ですよ、先輩。
触れた唇の感触が、まだ、残っている。
ああ、目眩がしてきた。
今日の朝は絶望を感じた。やってしまったと思った。風邪なんて一生引くもんかと思っていたのに。
…だけど、思わぬ出来事のおかげで、少し、風邪に感謝をしてしまう。
先輩の、2つの知らない顔を知った。
不器用な面と、そして、恥ずかしがる顔。
「…あんなの、反則だろ」
今起きた一瞬の出来事が夢であってくれるなと願い、一度上がった体温を下げる為ベッドに寝転がる。脳裏に焼き付く先輩の顔と、唇に触れた柔らかな感触を思い出す。
ああ、だめだ、これは。明日になっても熱は下がらないかもしれない。
そう思いながら、目を瞑る。
オーバーヒート
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”先輩、今度ちゃんとお礼させてください”
”治った報告だけで、充分よ”
”俺が、したいんです”
”それに、されっぱなしなのも悔しいんで”
”覚悟、しといてくださいね”
(風邪を引くのも、悪くない)
赤葦の弱ってる姿を書きたかった
薬を口移しで飲ませるシチュエーション好きなの私だけだったらどうしようと思いながら書いた