なんてことないカルーセル


大好きなお兄ちゃんが幼稚園に行ってしまって暇に耐えきれなくなったのか、小さな娘が話しかけてきた。

「ねえねえ、おかあさん」
「お洋服は引っ張っちゃダメ、伸びちゃうでしょ。で、なあに」
「ごめんなさい。あのね、おかあさんは、なんでおとうさんとけっこんしたの?」

三歳児の舌足らずな声は非常に可愛らしい。女の子らしい、ちょっぴりませた質問も。

「そうね、なんでかしら………。一緒にいていちばん楽だから、かも」
「ラクチン?おかあさん、さぼったの?」
「ラクチンがイコールサボりとは限らないのよ」
「いこーる?」
「まだわからないよね。でも、気を楽にしてでいられる相手を見つけるってことは大切だから、これだけはよーく覚えておいた方がいいわ」

首をこてんと傾げて「ラクチンはたいせつ?」と呟く娘を抱き上げる。

「そうよ。楽で居られるっていうことはね、ありのままの自分でいられるってことなの。嘘をつき続けていくと、いつか壊れちゃうから。だから、ラクチンは大切なの」

まあ、苦労を重ねたらその分経験値は上がるだろうし。一概には言えないかもしれないけど。

でも、こと結婚に関しては楽を重視していいと思う。そうじゃないと、続かないから。

「じゃあ、おとうさんは?おとうさんはなんでおかあさんとけっこんしたの」
「うぅん。それはお母さんにはわからないから、お父さんが帰ってきたらきいてみて」
「わかった!おとうさんはやくかえってこないかなぁ」

娘のませた質問に思わず笑いながら考えてみる。
鉄平はなんて答えるのかな。





家事に育児にと忙しくしているうちに、鉄平が帰ってきた。
玄関の木の扉を開ける音を聞きつけると娘はバタバタと勢い良く駆けてく。なんだかサザエさんでよく見る光景だよなぁと微笑ましく思った。
ちなみに走っていくのは妹だけで、5歳の無口な兄は私の足にしっかりとしがみついたままだ。可愛いんだけど、身動きが取りづらい。可愛いのは今だけで将来はツンケンするんだろうけど。

「ただいまー」
「おかえりーーーっ!」

二人の声が居間にまで届いて来る。
しばらくすると、鉄平と、誇らし気に鉄平の鞄を持った娘が居間に入ってきた。

「おかえり、今日のお夕飯はカレーだよ」
「ただいま、カレーっていつ食べてもうまいよな」
「だよね〜。それじゃ早く二人をお風呂に入れてきて。カレー用意して待ってるから」

用意しておいたお風呂セットを押しつけて、子供達に鉄平を風呂場まで連行してもらった。

鉄平が帰って来ると、お風呂から子供達を寝かしつけるまでやってくれるので、私はその空いた時間をゆっくり過ごすことができる。
すぐにご飯が食べられるように準備をしてから、よく手伝ってくれる夫に感謝しつつ読書に勤しんだ。

きゃあきゃあ楽し気に騒ぐ子供達の声をBGMにして本を読んでいたら、いつの間にか半分眠っていたようだ。「おかあさん」と私を呼ぶ娘の声に慌てて目を開けた。

「なあに、何かあったの?」
「わたしね、おとうさんに『なんでおかあさんとけっこんしたの』ってきいたの。そしたらね」

ここで少し周りを気にするそぶりをすると、私の耳に顔を寄せて「ないしょだよ」と囁いた。

そうして娘から聞いた、鉄平が私と結婚した理由に、赤面すると同時に、思わず笑ってしまった。可愛くて。







「鉄平は私と居ると、毎日ドキドキしちゃうんだ?」

からかうように言った私に鉄平は苦笑した。

「ないしょだぞって言ったんだけどな」
「私もそう言われたわよ。でも、ないしょ話なんてなにより早く回るものじゃない」
「それもそうかもしれない」

鉄平がビールを飲むと、大きく喉仏が上下して、ごくりと鳴った。ぷはあと美味しそうに息を吐くと、「ところで」と話をはじめる。

「名前は俺といると楽だから結婚したって聞いたけど、それはどうなんだ」

笑みを含んだ瞳に見つめられて、ちょっとドキリとする。普段はのほほんとしてるくせに、たまにこんな策士っぽい眼になるから、鉄平は厄介だ。

「どうって、そのままよ。あなたといると、着飾らないでそのままの私でいられるもの」
「俺は名前と居ると毎日だってドキドキするんだけど、それはどうだ」
「…よくそんなこっぱずかしいこときけるわね」
「だって、知りたいから」
「…………三日に一度くらいなら」
「ん?」
「三日に一度くらいなら、ドキドキすることもある」

うつむいてそう言った私の頭を、鉄平はよしよしといって撫でる。恥ずかしかったのでその手を軽く叩いて落とした。

「いたた、それにしても、名前には悪いことをしたな」
「なんでそう思うの」
「だって、俺は毎日名前にドキドキさせてもらって、それでいつも力をもらってるっていうのに、#かおり#はそうじゃないというのは、なんだか釣り合ってないじゃないか」

あ、なんか嫌な予感がする。
危機を察知して「いや、全然平気だから」と言うも、私の言葉がいい終わらないうちに鉄平は話し始めた。

「と、いうわけだ。運のいいことに明日は休日だし、これから俺が名前をドキドキさせるために力を尽くそう」

きらきらした笑顔でそんなこと言われても困る。

今更ながら、私は後悔していた。
素直になることは大切だと。

はじめから「私も毎日ドキドキしてる」と言っていたら、こんなことにはならなかっただろうに。