マゼンダとブルーグレイ


「そう。あとは、これを上から通して…はい完成」
10分近くかけて、なんとかネクタイを締めることが出来た。
締めたのは、縁下のプレゼントにと選んだ、青みがかったグレイのネクタイだ。締めてくれと頼むから挑戦はいいが結局出来なくて、一から十まで縁下に教わりながらになってしまったけれど。

それにしても、教わっている間じゅう縁下の声が真上から降ってきて困った。耳に、たまにかかる息とかにも。多分ちょっと顔をあげたらキス出来ちゃうくらいの距離に私たちは居る。
うるさい鼓動には無視を決め込んで、そっと離れる。
ちらりと上目で様子を伺ってみる。視線がぶつかると、彼は瞳を弓なりに細めて「相変わらず不器用なんだね」とからかってきた。

その言葉にも、なんにも意識していなそうな態度にもムカつく。
「すみませんね、不器用な彼女で!」
ぶうたれた顔でそっぽを向いた。
不器用なだけじゃなくて、愛想なしの可愛くない彼女でゴメンなさいねえ!

頑なに目線を合わせようとしない私の顔を、縁下はまじまじと、それはもう今までこんなに見られたことはあったかと思うくらいじっくりと見つめてくる。しかし、ここで負けるような私じゃない。目を合わせてなどやるものか。

固い決意で視線をそらし続ける。すると、何を思ったかはわからないが、彼は唐突に私の唇を摘んできた。
さすがにこれには驚いて、拗ねていたのも忘れて縁下の顔を見てしまった。奴はニコニコしながら私の唇をふにふにしている。なんとか抗議をしようと思っても、唇を摘まれているわけだから上手く発音できない。結果、んぐんぐとしか言えずにされるがままになるしかないということになってしまった。

「ずっとさあ、気になってたんだよね。お前って、拗ねるといっつも唇突き出すから、もしかしてキス待ちなのかなって」
「んんっ!んぐうっ」
そんなわけないと訴えたかった。
仕方ないので、物理攻撃に出る。私の唇を好き勝手しているその手を思いっきりつねってやった。「イタタタ」と言って縁下は手を離した。ははは、ざまみろ。いい気分である。

「ああ、痛い。乱暴者だなあ」
「私からすれば、いきなり人の唇摘んでくるやつのほうが危険人物だけどね!」

仕返しとばかりに柔らかいほっぺたを引っ張る。情けない顔のまま「ごめんって」と言った。ほんとうにそう思ってるのかは謎だ。
なんとなく毒気を抜かれて、
「…せっかく化粧直ししたのに、グロス取れちゃったし。台無しじゃない」
と呟けば、キョトンとした顔の縁下に「飯食いに来たのに化粧直す必要あるのか」ときかれた。

「あるよ!あるに決まってるでしょ!!彼氏の家に行くんだもん!」
「あー、それはごめん。悪かった」

ぽんぽん頭を撫でられた。悪い気はしないので、黙る。
静かになった私の顔を覗き込んで、縁下は微笑んだ。

「じゃあ、これでどうだ」
そう言うと、彼は私の下唇を親指ですうっとなぞった。そして、その指をそのまま自分の唇になぞらせる。

マゼンダピンクの唇が、てらてら光っている。

「おそろい」

呟いて、彼はニコッと笑った。私はと言えば、いまにも爆発四散しそうだ。主に、恥ずかしさで。なんで、この男はいかにも凡人ですって顔しときながら、こうも心臓に悪いことをするんだろう。


催促するように、額をこつんとぶつけてきた彼のぬらりと煌めく唇に、軽くキスをする。

「…まあ、似合うんじゃない?その筋の人にモテるかもね」
「俺はお前にモテればそれで充分なんだけど…。それならグロスはいらないか」

だいたいの人はいらないよ、と答えようとした唇を塞がれた。息が続かなくなって、胸を押すと、唇は離れていった。

ぎゅっと抱きついてみる。彼の体はほどよい筋肉がついていて気持ちがいい。目の前に白いシャツがあるので、気まぐれにくちづけをしてみる。鮮やかなマゼンダのキスマークが出来た。
ネクタイを指先で弄ぶと、耳元で「いずれは毎朝結んでもらうんだから、結び方を覚えておいてよ」と囁かれた。

「私ね、婚約指輪はティファニーがいいな。あと、誕生日とかと結婚記念日がかぶらないようにして。お祝い事はたくさんあったほうがいいもの」

猫なで声でリクエストしたら、「考えとく」と呆れた声で言って彼は笑った。

金曜日の夜が更けていく。
これから幾度となく、過ごしていくことになる夜が。