ダーリン、ナイス トゥ ミーチュー!


「つまり、及川先輩は世界で一番おうじさまなわけなんですよ」

私だけの、と言えないのが辛いところだけどもね。
いつも通りの私の台詞に続いて、これまたいつも通りにお昼休みの終了を知らせるチャイムが鳴った。
黙って手を差し出す国見にポケットから塩キャラメルを取り出して一粒、つるすべお肌の手のひらに乗せてやる。これもいつも通り。
さっそく食べ始めた国見に習って私もぺりぺり銀紙を剥いて塩キャラメルを口に放り込む。
口内でキャラメルを弄んでいると、珍しいことに国見のほうから話を振ってきた。

「なあ、もし文化祭のキャンプファイヤーで及川さんと踊れることになったら、おまえどうする?」
「幸せすぎて死んじゃう」

思わず、大切に舐めていたキャラメルを勢いよく噛み切ってしまった。
だって、キャンプファイヤーって、あのキャンプファイヤーでしょ。数ある青城祭名物のうちでもスペシャルなあれでしょう。とくに、恋する青少年にとっては。


どの学校にもジンクスやらなんやらあると思う。例に漏れず、わが青葉城西高校にも多くのジンクスが存在する。
その一つが『キャンプファイヤーのまわりで踊った男女は結ばれる』というものである。
しかもこれ、かなり当たるらしいのだ。隣のクラスの友達のお兄ちゃんも、これで彼女をゲットしたらしい。
そんなキャンプファイヤーでもし及川先輩と踊れることになったら?考えただけでも爆発しそうになる。だって、それってもう及川先輩と付き合えることになるのとほぼ同義じゃないの。ああ、口元がゆるむ。

キィンコーンカーンコーン。
間延びしたチャイムが鳴った。

「その顔、もう授業始まるから何とかしなよ」
「無理だよ。授業前にそんなこと言い出した国見が悪いんだからね」

責任転嫁をして、前に向き直った。

「んじゃあ、ちょっとやってみますかね」

国見がなにやらぶつぶつ言っているのが聞こえた。しかしながら私の意識は始まった授業に集中していたので、そのつぶやきは私の耳を通り過ぎていくだけだった。





「うわぁ、まっくら」

昇降口で暗い空を見上げ、独り言を吐く。可哀想な子だとは思わないでほしい。ちょっと文化祭の準備に精を出していただけなのだ。そしたら気がついたら周りに誰も居なくなっていただけで。

とにかく両親も心配するしさっさと帰ろう。
そう思い速足で歩いていたのだが、その人の姿を発見して私の足はぴたりと歩みを止めてしまった。
普段は人の寄り付かない第四体育館に、明かりが灯っている。扉のところで壁にもたれて汗を拭っているのは、及川先輩だ。
いまは文化祭準備期間で部活動はないはずだ。国見なんか喜んで真っ先に帰ろうとしていたし。そのなかで、こんな遅い時間まで練習をしていたのか。
しびれるくらい真剣な顔で練習している先輩を惚れ惚れと見つめる。
クラスの女の子たちは、及川先輩のことを"天才"だと言う。でも、私はそうじゃないと思う。及川先輩はただの天才なんかじゃなくて、努力の天才なのだ。こうして、汗まみれになって泥臭い努力を積み重ねて、いまの及川先輩があるのだ。
私は、及川先輩のほんの一部分、それも欠片でしか知らない。でも、確かに分かる。私は及川先輩のそういうところを好きになったんだから。

ここで及川先輩を目撃できたのは、頑張って準備していた私への神様からのご褒美なのかもしれない。ほくほくした気持ちで足を一歩前に踏み出した。
しかし、つぎの瞬間、またもや私は足を止めることになった。

「徹、お疲れ様」

その声で、思考が停止した。
及川先輩のそばに、亜麻色の髪をした女の先輩が立っていた。たしか、生徒会の人だ。男子が騒いでいたから知ってる。美人だって、みんなして囁いてた。
そんな人が、及川先輩のすぐそばに立って、名前を呼んでいる。白いほっそりした手には、スポーツドリンクを握っていた。「えい」と、手に持ったそれで及川先輩の頭を小突く。及川先輩は大袈裟に痛がってみせた後、とても楽しそうに笑った。女の先輩も、嬉しそうにころころ笑う。鈴を鳴らしたみたいに綺麗な笑い声だった。

私は、それ以上見ていられなくなって逃げ出した。ほとんど駆け足で。

「あともう少しだけ待ってて。着替えてくるから、一緒に帰ろう」

及川先輩の声が聞こえる。
その言葉が、私に向けられたものだったら、なんて。考えても仕方ないか。







ちょっとこれはどうなんだろ。
心の中で呟きながら水色のスカートをつまんでみる。

いよいよ青城祭当日、現在は開場前の最終チェック中だ。
わがクラスの催し物は小さな子たちも楽しめるようにとバルーンアートにしたわけだが、それでは経費が余るからと女子の衣装をメイド服にしたのはいただけない。パニエがあるとはいえ、太腿の真ん中らへんまでの長さしかないミニスカートは落ち着かなくて嫌だ。もっと使い道があっただろう、お菓子買ったりとか。いろいろ。
こっそりため息をついていると、肩を叩かれた。首だけそちらに向けてみればスーツに身を包んだ国見が立っている。

「あれ、国見だ。かっこいい」
「もうそれ聞き飽きた」
「モテ男は違うね」
「そんなことどうでもいいから。ちょっと、こっち向いて」

自分で振り向く前に、肩をつかまれて強制的に回転させられた。
棒立ちになっている私の姿を国見は腕組みしながら頭のてっぺんからつま先まで舐めるようにじっくりと観察する。
なんだかエロオヤジみたいで気持ち悪い。イケメンなら何してもいいと思ったら大間違いだぞ。
30秒ほどかけて観察をし終えると、彼は軽く頷いた。無表情が、心なしかいつもよりも満足気に見える。その表情に心がざわざわするのを感じた。

「それならいける、かもな」
「なにが」
「まあ、それは後のお楽しみってことで」
「悪い予感がする」

苦い顔をする私にお構いなく国見はさくさく話を進めていく。

「とりあえず、シフト終わったら着替える前に財布持って俺のところに来ること」
「財布?ちょっと待ってってば!」

私の声を自主的な判断でシャットアウトしたらしい国見は振り返りもせずに歩いて行ってしまった。
なんなの、もう。






一時間のシフトを終え、財布を持って国見のところまで行く。薄暗いバックヤードで壁にもたれかかっている国見は相変わらずのスーツ姿だ。けだるげな姿はスーツにあっている。くだびれたサラリーマンみたいだ。

「お待たせ」
「言うほど待ってない。財布は持ってるよな。じゃあ、行くぞ」
「行くってどこに」
「どこって、及川さんのクラス」

いかにも当然です、って顔で言い放たれた言葉に悲鳴をあげる。

「無理!無理無理無理!なんでこんな格好で行かなくちゃいけないの!」
「その格好の方が釣れると思って」
「釣れるって!何バカなこと言ってんの、ドン引きされるから!それに」
「それに?」

酸欠になった金魚みたいに口をぱくぱくさせてから、急にしぼんでしまった声で訴える。

「及川さんには、彼女いるでしょ」

言葉にすると涙が溢れそうになってしまって、困った。
国見がゆっくり息を吐く。腕組みをして、私を見下ろした。

「それって、背がちょっと高めで、髪が長い生徒会の人?」
「うん」

うなずくと、興味なさげに「ふうん」と返された。それからぽりぽりと首筋を掻く。彼はおもむろに、
「俺、実はそのひとが好きなんだよね」
と、言った。
その言葉に私はそうなんだ、と軽く流そうとして、はたと思いとどまる。
好き?好きだって言った?

「え。えええええええ?!」

国見でも恋愛したりするのか。そしてそれをこんなにさらりと言ってしまうものなのか。こいつの性格からして誰にも打ち明けなさそうだけど、言っちゃうのか。そして打ち明ける相手は私でよかったのか。

「え、えええー。それって、言っていいことなの?」
「だめ。今まで誰にも言ったことないからこれ。もし言いふらしたら磔にするから覚悟しといて」
「りょ、了解」

目がマジだった、からたぶん嘘ではない、はず。
 
「と、まあ。そういうわけで、そこには誰よりも俺が気ぃ使ってるから。及川さんとあの人がいま付き合ってるってことは万が一にもない。あの人らは友達だよ、ちょっとそこらの友達と比べて仲が良すぎるけど」


だから気にすんな、ということらしい。でも、それだってまだ私には不安要素がたっぷりあるのだ。

「でも、私よりずっとずっと、あの人の方が綺麗だし。私は、及川さんに釣り合うほど美人じゃないって、思い知ったの」

突然、顔を両手で掴まれて無理矢理上を向かされた。首が痛い。呆れた顔の国見と目が合う。その視線も痛い。

「髪型よし、衣装よし、足下よし」
「…はい?」
「お前の容姿は、客観的に見てだいたい中の上くらい。そこまでいいってわけじゃないけど、とびきり悪くもない」

いきなり人の顔掴んで、何言うかと思ったら失礼が過ぎる。

「悪うございましたね中の上で!」
「今のお前は、せいぜい60点ってところだけど、90、100にする方法がある。なーんだ」
「え、ええー」
「制限時間は30秒」

勝手にカウントダウンが開始される。本当になんなんだこいつは。無視してやってもいいが、なにをされるかわからないので真剣に考えてみる。
なんだろう、胸か。あとワンカップアップさせるとかか。でもそんな答えの問題を国見が出すのか。否、出さないだろう。

「はい、時間切れー。答えわかった?」
「…わかんない」

降参すると、何も言わずに国見は私の顔をつかんでいた手を離した。そしてその手を自分の顔に持っていき、両手でほっぺたを押し潰した。
国見の端正な顔が、とってもまぬけなことになっている。私はどうするべきか困惑し、結局は真顔で彼を見つめることにした。そのまま、15秒。国見が手を離して「なんで笑わないの」と不機嫌そうに言った。「ごめん」としか言えない。笑うべきだったのか。

「正解は、笑顔」
「笑顔?」
「笑え。そうすれば、たいていの男はお前に落ちる。及川さんも、例外じゃない」

国見が、微笑んだ。今まで見てきたなかで一番わかりにくい微笑みだった。でも、今まで見たことないような優しい微笑みだった。

「大丈夫。お前はちゃんとかわいいよ」

そういって、軽く頭を撫でた。頭がふわふわとやわらかい暖かさに支配される。みんなが国見で騒ぐのが今までよくわからなかったけど、今ならわかる。もし私が及川さんのことが好きじゃなかったら、確実に惚れてた。
「ありがとう、国見。私、頑張ってみる」
「ん、頑張れ」




まだお昼前だというのに、及川先輩のクラスは大盛況だった。お客さんに若い女の子が多く感じるのはたぶん気のせいじゃない。
列に並びながら、私は心臓が飛び出るんじゃないかと思うほど緊張していた。硬貨を握る手が汗ばむ。

「マッキー、焼きそばひとつ追加ね〜」
「ちょっと待て及川。俺もう上がりなんだけど」
「ハーイ次のお客さん。ご注文は?」
「聞けよ」

いよいよ私の番が来てしまった。口はからからに渇いてしまっている。舌がもつれて、うまく話せる気がしない。
でも、なんとか言葉を絞り出した。

「焼きそばを、ふたつ。それと、及川先輩をください」