ラプソティ・イン・ブルー


及川先輩との待ち合わせ場所に向かう途中、国見の姿を見かけた。
少し焦っているような表情できょろきょろ辺りを見回している彼は、ちょっと珍しい。彼が自分のペースを崩すことなんて滅多にないからだ。
そんな彼のペースを崩させる要因を考えて、ピンと来た。
小走りで近寄って、ちょいちょいっとベストを引っ張る。
煩わし気に振り返った国見に「いいことを教えてあげましょう」と私はにっこりした。

「なに」
「お探しの人なら、面談室に居ます」

国見はほんのちょっっぴり目を見開いて、驚いた顔をした。本当に表情の変化がわかりにくいやつだな。

「探してるの、あの先輩でしょ?及川先輩のお友達だっていう美人さん」

人さし指をぴんと立て、胸を反らす私を国見はジト目で見ている。「やっぱ教えなきゃよかった…」とか考えてるかもしれない。しかし、情報を提供したんだから感謝してほしい。

「ほーら!はやくしないと、キャンプファイヤー始まっちゃうよ?」
「わかってる。そっちこそ、はやくしないといけないんじゃない?及川さんと待ち合わせしてるんでしょ」

あの人やたら集合場所に来んの早いからはやくしたほうが良いかもよ、と言われた。そういうことはもっとはやく言ってください!思わず叫ぶ。なんだか今日は叫んでばかりだ。

だいたいは国見のせいじゃんか、と胸の内で悪態をつきつつ走りだす。追い抜きざまに、小さく彼が「ありがと」と言ったのを、耳が拾った。前言撤回。彼はやっぱりとっても可愛くて、いいやつだ。
私は、胸の奥がほこほこして、この上ないような幸福を感じた。

「恋をするのだ、若人よ!」

周りにあまり人が居ないのをいいことに、またまた叫んで走り去った。少しぬるい風を切って走る。なんだかとても清々しい。いい気持ちだ。




急いで待ち合わせ場所に行くと、そこにはもうすでに及川先輩の姿があった。
慌ててスピードを上げて隣に行く。ぜいぜい息を切らせて登場した私を見て、彼は笑った。

「そんなに急がなくても良かったのに、まだ約束した時間まであるよ?」
「…はぁっ、いや、でも。及川先輩をお待たせするわけにはっ……」
「女の子を待たせるのは主義に反するんだ。だから気ぃ使わなくていーよ」
「キザですね、及川先輩」
「疲れてるのによく働く舌だねぇ、メイドちゃん」
「もうメイドじゃないです!名前教えたんだからそっちで呼んでください!」

私の抗議も虚しく、及川先輩はからから笑って「ああ、そうそう。そう言えば」とおもむろに右斜め上を見上げた。つられて私も視線を移動させる。そこには、葉をたくさんつけた竹があった。ちらちらと葉と葉の間にカラフルな短冊が見える。我が青城祭(旧)名物、七夕の短冊だ。
今は昔、いまは秋に開催されている青城祭が7月、ちょうど七夕の時期にひらかれていた頃の名残である。大先輩たちが、時期は変わっても我ら高校生の願いは尽きないだろうと残してくれたものらしいが、いまは校舎の陰にぽつんとあるばかりで、あまり利用されている気配はない。

私は、背中に冷や汗が流れ落ちるのを感じた。まずい。これはまずい。もしや、アレを発見されたのではないだろうか。喜ぶあまりに勢い余って書きなぐってしまった、アレを。

「俺、けっこう人の字を見分けるの得意だから、部の奴らの短冊探したりしてたんだよね。けっこう楽しかったよ〜。『稼げる男になる』とか、『今年こそ告白!』とか、らしくない感じの短冊が出てきたりして。でも、いっちばん良かったのはやっぱりコレかな」

及川先輩が、竹に手を突っ込み、葉をかき分けてその奥にひっそりと付けられていた桃色の短冊を手に取った。

「『夢じゃありませんように』だって。かわいいね、メイドちゃん」


バレてるし。
私は冷や汗をだらだら流しながら、名前を教えたことを後悔した。”メイドちゃん”のままだったら、先輩に短冊がバレることもなかっただろうに。
先輩は特上のスマイルで私を見ている。私は、その視線が痛くて痛くて堪らなくなり、下を向いた。







「焼きそばをふたつ、それと及川先輩をください」

若い女の子(おそらく及川先輩狙い)含め、たくさんのお客さんがいるなかで放った一言は、思った以上の威力だったようだ。
しいん、と一瞬その教室だけが静まり返り、つぎにはキャアッだとか、ヒュウッだとか、イヤァー!だとかいう声で騒然となった。
そのなかで及川先輩はのんきに「こちらでお召し上がりになりますか?」と私に話しかけてくる。私いまあなたに告白まがいなことをしてたんですけど、と思いつつ「いえ、お持ち帰りで」と返答した。
すると、及川先輩はとびっきりの営業スマイルになった。
正直、あまりの輝かしさに目がつぶれるかと思った。至近距離は危険である。
くらくらしながらお代を渡すと、その手首を捕まれ、引っ張られた。

前につんのめった私の耳元で「ついてきて」と囁くと、及川先輩は私の手首を掴んですたすた歩き始めてしまった。
それからのことは、記憶が途切れがちである。
気がついたらこの場所にいて、なぜだかキャンプファイヤーで一緒に踊れることになっており、「5時にここに来てね」と待ち合わせまで済ませていた。
私は始終、夢でも見ているかのように放心しており、その状態は及川先輩が去ってからも続いていた。
しばらくたって、ようやく正常な意識を取り戻した時、短冊が吊るされている竹を目にして電撃が走ったのだ。
いま、書かずにどうする!と。
これが夢でない保障などないのだ、だから、いま、書かねばならぬ。そう心の声が叫んでいたのだ。いま考えれば、そのときの意識が正常であったとはとても思えない。
しかし、そのときはそう信じてやってしまった。そしていま、この状況である。



「メイドちゃん、そろそろグラウンド行こっか」
「はい…」

もう、メイドちゃんという呼び名を訂正するのも面倒くさくなってきた。いよいよダメだ。
とぼとぼ歩く私に焦れたように、及川先輩が私の手首を掴んで、軽く引っ張った。あの、お昼のときのように。

「ねえ、メイドちゃん。俺、じつは君のことけっこう好きだったんだ」
「へ?」

唐突な及川先輩の言葉に驚く。私は及川先輩のことをよく知っているが、面識はない。及川先輩は私のことを知らないはずだ。

「よく、試合の時に差し入れくれるでしょ。レギュラー全員分。用意するの大変だろうに、ありがたいなぁって思って。大抵の女の子は、俺にしか差し入れくれないから、みんなにくれるきみのことはよく覚えてたの」

いつも、ありがとね。
おそらく、今日イチの笑顔でそう言ってくれた。胸が、高鳴る。私は単純に青城のバレー部自体も好きだったから差し入れを作ることを苦に思うことはなかったし、見返りも何一つ求めてはいなかった。だけど、その差し入れのことをちゃんと覚えていて、こうしてお礼を言ってもらえると、やっぱり頑張ってよかったなと思える。微力ながらも力になれたのかもしれないと、希望を持てる。
なによりも、嬉しい言葉だった。

「ダンスが終わったら、ゆっくり話でもしようよ。趣味とか、普段何してるかとか、そういうこと。それで、話し合おう。これから、どうしたいか」
「私は、及川先輩とお付き合いがしたいです」

かぶせるようにして申告した私に苦笑とも照れ笑いともつかない表情で「だから、まだ待っててって」と及川先輩が言った。

「まずは、踊ろう。せっかくのキャンプファイヤーなんだから」

さあ、お手をどうぞ。そう言って手を差し出された手に自分の手を重ねる。大きくて、綺麗な手だった。選手の手だ。
見上げた及川先輩の姿は、炎を反射して淡く赤に染まっていた。逆光のなかで微笑む彼は、やはり王子様然としている。

曲が始まる。ステップを踏んだ。これからのことにどきどきする、胸の鼓動を隠して、踊ろう。いまだけは、私もお姫様になれる。