ムーンライト


「見て見て!ユウくん」

たまたま通りかかったユウくんの背中にぎゅっとしがみつく。ぐえっとユウくんの口から変な音が漏れた。

「首ッ!しまってるしまってる」
「あっゴメンね。つい」

パッと手を放す。振り返ったユウくんにほっぺたを引っ張られた。

「いひゃひゃひゃひゃ」
「おー伸びる伸びる。モチだなこりゃ」
「モチじゃないわぁっ!!そーれーよーり!見て!このネックレス」

きらりと石が光るネックレスをつまんで見せびらかせば「なんだ。お前ようやくオトコが出来たのか」と顎をさすさすしながらユウくんは感心したように言った。あんたは親戚のエロオヤジかっての。

「違うよ、キヨくんがくれたの!私に似合いそうだから買ったって!ちょっと遅れたけどクリスマスのプレゼントに〜って!」
「…ったく兄貴は名前のこと甘やかしすぎなんだよな。昔っからどこ行ってもお前になんかしら土産買って帰ってきてさ。しっかもお前のが一番高えし。社会人になってついにそんなモンまで買ってきて…。高校生が小生意気にネックレスねぇ」

ユウくんがネックレスを長い指に掛けて、挑発するようにちょいちょい引っ張ってきた。その手を払い落とす。

「うるさいうるさーい!僻みよくない!」

ぽかぽかお腹を殴ると、右手で頭を鷲掴みにされた。

「まあ、お前もそろそろ兄貴離れしろよ。兄貴も結婚するんだし」

耳を疑った。
ぴたりと動きを止める。

ユウくんの瞳が、動揺したように揺れた。
その黒目には、何も知らない赤ん坊みたいになった顔の私が映っている。

キヨくんが、結婚?
嘘でしょ。そんなの。






もやもやした気持ちのまま、年を越した。

元旦は朝早く目が覚めたので、初日の出でも見に行くかと外へ出た。

暗い道を一人、身体を縮めて歩く。一段上がるごとにトンカントンとなる歩道橋に上がると、そこには真っ赤なはんてんを着込んだキヨくんがいた。

「………キヨくん」

小さくつぶやくと、彼はこちらを向いた。

「おう、名前。あけましておめでとう」
「あけましておめでとうございます」

キヨくんのとなりに行って、手すりにもたれかかる。

「珍しく早起きだな」
「去年の私とは違うのですよー」
「そーかい。俺にはわからないけど」

じっと、キヨくんを見つめる。彼の鼻も、耳も、寒さで赤くなっていた。

ああ、見れば見るほど。声をきけばきくほど、好きなんだよなぁ。現実を知ったって、諦めきれないんだよなぁ。





「あっ、ほら、見てみろ」

キヨくんが嬉しそうな声を上げた。彼の指差す方に目をやる。すると、そこから一筋の光が射していた。
シンと尖った夜の空気に、じわじわと黄金色が染みてくる。
初日の出だ。




ほうっと、キヨくんが息を吐いた。白くて温かい彼の空気が、暗闇に溶けた。淡雪のように、儚く。

「名前。俺、お前にはまだ言ってなかったけど、結婚するんだ。3日には、彼女もウチに挨拶に来る」


まっすぐに太陽を見つめながら、キヨくんは言った。私も、太陽を見つめる。

「知ってるよ、私」

ぐんぐんと太陽は上へと昇っていく。
真っ黒だった空も、今は群青と桃色と黄色と橙とでグチャグチャに混ざり合い、蕩けあい、混沌としている。

そうだ。私たちはいま、夜と朝の狭間にいるんだ。
私と彼だけを残してすべてが消えてしまったような、そんな世界。
そんな世界が、あったらよかったのに。



ああ、朝日が。黄金が目に染みる。
涙が出るのは、きっとそのせいだ。

「知ってたんだよ。キヨくん」










「キヨくーん。遊びに来たよー」

ドアから半分だけ顔を出すと、キヨくんは苦笑して私を手招きした。

小走りしてキヨくんのそばによる。レンタルした淡いブルーのミニドレスを着た私を見て、キヨくんはちょっと笑った。

「似合ってるな。馬子にも衣装」
「何を〜?」
「ウソだよ、似合ってる。ネックレスも」
「ああ、これね…キヨくんから貰ったから、お気に入りなの」

キヨくんを見上げて、微笑む。

「キヨくんの白スーツ姿もかっこいいよ。花嫁さんのウエディングドレス姿は見た?」
「いや、まだ着てるとこは見てねぇ」
「あっそうなの。私さっき見て来ちゃった」

えへへ〜と笑ってみれば、例の悪い方の笑顔でほっぺたを引っ張られた。本当にこの兄弟はすぐに私のほっぺたを引っ張るんだから。

「いひゃい」
「俺より先に見た罰」
「けち」
「もっかい引っ張られたいのか」

プリプリしているキヨくんに、トンと肩をぶつけて「お嫁さん、すっごーく綺麗だったよ」と囁いた。


「当たり前だろ。俺の嫁だ」

声に誇らしさが隠しきれていない。
私はひっそり笑って「そうだね、キヨくんのお嫁さんだもんね」と言った。

「キヨくんのお嫁さんだもん。世界一、綺麗だよ」





夢のような、時間だった。
ステンドグラスから差し込む光が、白い服に身を包んだ二人を柔らかく照らして、それがまるで一枚の絵のように見えた。



花嫁が投げたブーケはまったく取る気のなかった私のところに何故か飛んできた。みんなに良かったね、と言われたけど、全然うれしくなかった。

式の夜に一人でブーケを抱きしめて泣いた。


瞳を閉じて、瞼の裏に浮かび上がってくるのは、まぶしいほどのオレンジだった。
あの日、二人で見た、まぶしい太陽。
あの時、あの瞬間、世界が滅んでしまえばいいとさえ思った。

白々とした、冷たい月光が部屋に射し込んでくる。
涙はまだ枯れそうにない。

デコルテのネックレスが、月光を反射している。
それを、手のひらが痛くなるくらいキツくキツく握りしめて、願う。


行かないで、行かないで。
遠くになんて行かないで。
他のヒトのところになんて行かないで。

嗚咽が漏れそうになって、唇を噛み締めた。
でも私にはそんなことを言う資格なんて、ないんだよ。

だって私は、彼に、キヨくんに、何一つ伝えられなかったんだから。


「好きだったんだよ、キヨくん」